#程元振 新着一覧
河中の軍乱 李國貞殺害
安史の乱も史思明が子朝義に殺され終息が見えてきましたが、まだまだ征討が終わってはいませんでした。定見無く無能な肅宗皇帝と宦官李輔國は、軍人への不信感は強く、特に異民族以外の軍人は敬遠する...
山東 梁崇義の乱①②
簡単に動揺する皇帝によって山東節度使來瑱は、転任・復任・昇進とそれぞれ異例の意味の解ら...
山東 來瑱の変
乾元3年軍乱続きの山東十州節度使となった來瑱は、たちまち將士を手懐け統制を回復しました。...
判元帥府事 宦官李輔國の変①②③
輔國[護国]は肅宗皇帝が皇太子の頃から仕え、小心で意志薄弱な肅宗を張妃[のち皇后]とと...
廣徳二年 西暦764年 1
正月壬寅,程元振變服潛行,將圖不軌,長流溱州。尋復令于江陵安置。処罰されて放歸田里され...
寶應二年/廣徳元年 西暦763年 3
十月戊寅,吐蕃入長安,廣武王承宏を帝とし,改元,置百官吐蕃は京師を陥し、新帝[邠王守禮...
寶應二年/廣徳元年 西暦763年 2
七月壬子,大赦,改元「廣德」恒例の即位翌年の改元であるが、安史の乱終結の記念でもあった...
寶應二年/廣徳元年 西暦763年 1
正月癸未,劉晏が宰相となる。有能な財政家の晏を宰相とした。正月甲申,史朝義自殺,將李懷...
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