本田由紀編『労働再審1 転換期の労働と<能力>』では、近年ますます複雑化し曖昧化する「能力」に焦点を当てる。世に出回る議論は錯綜する一方で 、本書にはその諸相を把握するために有用な論考が集まっている。
とりわけ興味深いのは、筒井美紀が執筆する「『キャリア教育』で充分か?―『希望ある労働者』の力量を養うために―」という章である。本書全体を貫くコンセプトである「能力」について、著者は、概して次のように主張している。すなわち、キャリア教育によって環境に適応する能力を伸ばすのではなく、「希望ある労働者」としての力量を高めることを目指すべきだ、と。
文部科学省が提示している「キャリア教育」では、個人が環境に適応的な態度をとることによって豊かなキャリアを歩める、という考え方が中心に置かれている。しかしこの定式化は、環境に適応できないのならば自分が悪い、という自己責任論と表裏一体の理念とも捉えられる。これに対して著者は、これから社会に出て働く学生にむけて教育が担うべき役割は、自己責任を学生に受容させることではなく、「希望ある労働者」としての力量を伸ばしていくことであるという。この「希望ある労働者」という言葉は、換言すれば、「人間らしく生きていける公正な労働世界を作り存続させていこうとする存在」(p.183)としての労働者である。そして、その力量を伸ばすためには、「①働きかた・働かされ方は、社会の制度や構造が大きく左右しているという視点。②構造や制度によって複雑に編みあげられた多様な人々の利害関係が、どのようなものであるかの理解。③制度や構造は、他者への/とのはたらきかけを通じて、容易ではないが変えていけるというセンス」(p.183)といった条件を満たさなければならない。
また、著者は現状の自己責任論の根強さ示す事例として、派遣労働の不条理・不公正について扱った授業で、学生から挙がったコメントを挙げている。「過労死するまで働くなんてばかみたい」、「日本が学歴社会だと初めから分かっているのだから、努力していい大学に入らなかった自分が悪い」……。こうした嫌悪や非難ともいえるコメントには、学生の境遇が異なる者に対する学生の想像力の欠如が表れている。彼らの認識不足は、ニート、フリーター、ワーキングプアと呼ばれる人々への一方的なイメージを作りあげるだけにとどまらず、将来的に自らの首をも占めることにもなる。決して看過してはならない問題である。
こうした問題を受けて大学教育に求められるのは、学生が自己責任論を素直に内面化してしまうことに対して歯止めをかけることである。その取り組みの一つとして、近年注目を受けている「労働教育」を、単に自分のために賢く生きるためのハウツーとして扱うのではなく、社会科学的な意義づけを行うべきだという。つまり、「労働者の権利は憲法や法律に明記されていても、蔑ろにされることが多々あること、そしてそれはなぜなのか、といったこと――労働世界の構造的・制度的次元――と不可分で学習する必要がある」(p.190)のである。
以上は本論考の一部をみてきたにすぎないが、厚労省の政策文書を検討したり、実効的な労働教育を行うための具体的なアイデアを提示するなど、キャリア教育の諸相にわたって鋭い考察が展開されている。特に教育関係者には読んでいただきたい論考である。
【書誌情報】
●書名
『労働再審1 転換期の労働と〈能力〉』
●出版社
大月書店
●出版年
2010年11月
●目次
序章 ポスト近代社会化のなかの「能力」(本田由紀)
第1章 企業内で「能力」はいかに語られてきたのか――評価・賃金制度をめぐる言説の分析(梅崎修)
第2章 公務職場における「ポスト近代型能力」の要請(櫻井純理)
【Note01】ジェンダー化された「能力」の揺らぎと「男性問題」(多賀太)
第3章 高卒フリーターにとっての「職業的能力」とライフコースの構築(古賀正義)
【Note02】「キャリア教育」で充分か?――「希望ある労働者」の力量を養うために(筒井美紀)
【Note03】「無能」な市民という可能性(小玉重夫)
第4章 若者移行期の変容とコンピテンシー・教育・社会関係資本(平塚眞樹)
【Note04】「能力観」の区別から普遍性を問い直す――教師の「学力観」を参照点として(堤孝晃)
第5章 ポスト・フォーディズムの問題圏――対抗的創造性の理念(橋本努)
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