「博士」と聞くとおそらく、社会的に高いステータスを持つポジションだと思うのが普通だろう。「末は博士か大臣か」という言葉もあるように、ひと昔前は容易には到達できないものだった。しかし今、博士は大量生産され、しかも大学院博士課程修了者(博士号を持たない者も含む)の50%は職に就くことができず、フリーターとなっている。ワーキングプアの状態に陥っている人も少なくない。一体、高等教育の現場で何が起こっているのだろうか。自らも「高学歴ワーキングプア」である筆者によって書かれた本書は、「高学歴ワーキングプア」の実態とそれが生み出される構造を明らかにしている。
本書に登場する「高学歴ワーキングプア」の人たちは、およそ学歴構造の最高位まで到達した人のそれとは思えない状況に置かれている。一例として、博士号を取得しながらも非常勤講師とコンビニバイトで食いつないでいる女性が登場する。家賃を引いたお金は11万円。その中で食費、光熱費、大学の講義で必要な文献・資料代をやりくりし、手元に残るお金は全くない。「博士」になってもなぜこのような生活を送ることになったのだろうか。それは博士号まで取得して研究者へ近づいたにもかかわらず、正規の教員のポストが見つからないからだ。
このように、大学院に入ったのはいいが、結局教員になれないという境遇に置かれる人が近年急増加している。現時点で、博士号を取得済みの無職者(教員のエントリー待ち)が1万2千人に達しているという。一体その原因は何なのだろうか。本書では、1991年に文科省が打ち出した「大学設置基準等の改正」が直接的な原因だと述べられている。その中では大学院生増産がうたわれているが、実のところその目的はエリート大学(旧帝大、東工大、一橋大など)と文科省による既得権益の維持だったのだ。
「全入学時代」と言われる現在、少子化が進む中、そのまま放っておけば教員のポストは必然的に減る。また教員の多くはエリート大学の出身だったため、エリート大学は自らのパイが縮小することを恐れた。そこで、各大学院の定員を拡大し、これまで大学院を設置してもいなかった地方私立大学にまで大学院を設置させ、自学出身者の教員としての「派遣先」を確保したのである。この状況下では、いわば「二流」大学でさえ、教員はエリート大学出身者で固められるそうだ。なぜなら教員の採用はコネで決まる部分が大きく、当然大学教員市場を牛耳っているエリート大学が有利となるからだ。それに伴って「二流」大学の出身者たちはあぶれてしまう。一方、終身雇用の教員市場で教員ポストが空くことはほとんどない。
しかも、教員ポストからあぶれる博士が増えるだけではない。そもそも教員以外の就職状況自体が厳しい。博士のように、大学院を出て年齢が30前後だったりするとなおさらだろう。言ってみれば、この文科省の政策は、将来フリーターになる可能性のある若者をあえて大学院にプールして学費などをむしりとってから、過酷な労働市場に放り込むことを平然とやってのけるのである。
このような「高学歴ワーキングプア」の現状は、ふつう「自己責任」に還元されるだろう。大学院生増産には税金もかかっているので、「金を無駄にしてくれるな」という声も世間的にある。しかし、それは上記のような構造から必然的に生じた問題であるし、特に「二流」大学では増産分の確保のため、学生をだましてでも大学院へ入学させている現状がある。
では筆者はどのような打開策を考えているのだろうか。筆者は端的に「教員にこだわるな」という。そして別の道として、専門家とその知識を必要とする人との間の「仲介者」というポジション、例えば弁護士と原告の仲介業などを挙げている。教員の職自体が固執するに値するものとは必ずしもいえないから、というのが彼の見解である。特に地方私立大学などは経営の危機に立たされ、教員になったとしてもいつ大学自体がつぶれるか分からないからだ。
このように、現在の大学から抜け出したところに活路を見出すのは一つのやり方だろう。ただやはり、大学自体を組み替えていく必要は大いにあると思う。現在の、文科省と東大法学部が牛耳って、エリート大学が教員人事を握っている構図を変え、より民主的な教員市場にしていくべきだ。より具体的な問題として、専任教員のポスト待ちの人たちが就く非常勤講師の待遇改善、大学院での就職支援の体制を整えることなどが必要ではないか。非常勤講師は、専任となんら変わらない仕事をしているのに、「非常勤」という理由だけで、給料が安く、教材の準備などの費用も自腹である。
国立大学の法人化に伴って、大学間競争はますます激化している。大学は単なる教育機関ではない。企業や労働市場との絡み合いの中で、「高学歴ワーキングプア」を捉えていく必要性を本書は提起している。一読されたい。
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