NPO法人POSSE(ポッセ) blog

バス運転手の長時間労働と労働時間規制

◆はじめに

4月29日、関越道で死者7名、重軽傷者39名を出す高速ツアーバスの自損事故が発生しました。時速92kmで防音壁に突っ込んだことから当初より居眠り運転と推察されており、ドライバーの証言からも疲れていて居眠りをしていたことが明らかになっています。過労との関連については今後の情報を待つ必要がありますが、この記事では、一般にバス運転手の労働時間規制の現状と今後の規制の方向性について考えていきます。


◆日本には、労働時間を物理的に規制する法律が無い


『POSSE』でも何度も話題になっていることですが、日本には労働時間を物理的に規制する法律がありません。一応「1日8時間、週40時間まで」と労働基準法で上限が規定されていますが、「三六協定(さぶろく協定)」を労使間で交わすことで簡単にこの規制を逸脱することができます。しかも、三六協定で新たに設定する労働時間には、何時間までにしなければいけないという規定がありません。そのため、多くの企業で三六協定が交わされ、長時間労働は「合法に」横行しています。

使用者は1日8時間・週40時間を超えで働いた部分に関しては本来の時給の25%以上残業手当を支払わなければならないという規制があり、このことによって間接的に長時間労働を抑制するとみることもできます。しかし、この規制は事実上の「サービス残業」の常態化によって、ほとんど機能していません。

唯一多少なりとも機能しているのは、厚生労働省が定めた「過労死ライン」です。たとえば、継続して月に80時間以上の残業をしていた労働者が脳・心臓の病気にかかって亡くなると、その病気の原因は過労だった(=労災として扱われる)ということになります。この基準が「過労死ライン」というもので、直前の1ヶ月に100時間以上の残業・直前の2~6ヶ月に平均80時間以上の残業をしていれば、「過労死ライン」を超過しています。生きて働かせている間は「合法」だけれども、その人が亡くなったときには「会社の責任」だとなるわけです。

しかし、亡くなってから「会社の責任」となるのでは、長時間労働の抑制という観点からすればあまりに希薄な効果しか期待できないでしょう。当然、過労の蔓延を許せば、ドライバーの重大事故を引き起こす要因となります。


◆ドライバーだけ、労働時間規制がある(改善基準告示)

そこで、安全な運行を担保するという観点から、運転手に関しては例外的に物理的な労働時間規制があります。これが「改善基準告示」と呼ばれているもので、1989年に厚生労働省が告示(自動車運転者の労働時間等の改善のための基準(労働省告示第7号))[1]してから数回の改正を経て現在に至っています。国土交通省も告示[2]を出し、厚生労働省の改善基準告示に基づいて行政処分を行うものとしています。

現在はどのような規定になっているのか、その中身を見てみましょう。少し細かく紹介しますが、大まかに印象をつかんでもらえれば論旨の上で支障はありません。

(1)拘束時間の上限
・4週間を平均して週65時間(労使協定を締結すれば52週間に16週までは週71.5時間まで延長可)。
・1日に基本13時間(延長する場合は16時間が限度。15時間を超える回数は1週間に2回まで)。

(2)運転時間の上限
・2日を平均して1日9時間。
・4週間を平均して週40時間(労使協定を締結すれば52週間に16週までは週44時間まで延長可。ただし、52週間の運転時間が2080時間を超えてはいけない)。

(3)連続運転時間の上限
・4時間(30分以上の休憩をとらなければならない。ただし、1回10分以上として数回の休憩に分割することも可)。

(4)休息期間の下限
・勤務終了時から継続8時間

(5)特例
・休息期間を遵守するのが困難な場合は勤務回数の2分の1を超えない限りで拘束時間中などに分割して与えることも可(休息期間分割)。
・複数乗車する場合は拘束時間の上限は20時間、休息期間の下限は4時間(2人乗務)。


以上から、現行の「改善基準告示」が過労を防止するという観点からは非常に心許ないものであることがわかります。なぜなら、改善基準告示を遵守して働いたとしても、「過労死ライン」を超過する場合があるからです。実際、運転中に脳や心臓の発作を起こした事例も明らかになっています。

今回、関越道バスの事故を起こした運転手は、27日の夜に別の運転手が運転する金沢行きのバスに乗車し、28日にホテルに着いてから休息をとり、帰りのバスを一人で運転したとされています。この2日間をとってみると、拘束時間の上限も、運転時間の上限も、休息時間の下限も、改善基準告示の範囲内に収まっているといえます。連続運転時間についても調査がされていると思いますが、いずれにしてもこれだけの居眠り事故を起こした運転手が「疲れていた」と証言してなお、直ちに「改善基準告示に違反している」とは言い難い状況なのです。

ある報道では、金沢と首都圏間を一人で運行することはありえないなどとするバスの運転手の証言もありました。しかし、こうした一人での運行が現に存在し、法律上の規範からも「あるべきではない」とまでは言い切れません。これがドライバーの労働時間規制の現状です。


#1 バス運転者の労働時間等の改善基準のポイント
 http://www.mhlw.go.jp/new-info/kobetu/roudou/gyousei/kantoku/dl/040330-11.pdf
#2 「旅客自動車運送事業運輸規則第二十一条第一項の規定に基づく事業用自動車の運転者の勤務時間及び乗務時間に係る基準」(平成十三年十二月三日、国土交通省告示第千六百七十五号)

 旅客自動車運送事業運輸規則(昭和三十一年運輸省令第四十四号)第二十一条第一項の規定に基づき、事業用自動車の運転者の勤務時間及び乗務時間に係る基準を次のように定め、平成十四年二月一日から施行する。
 旅客自動車運送事業者が運転者の勤務時間及び乗務時間を定める場合の基準は、運転者の労働時間等の改善が過労運転の防止にも資することに鑑み、「自動車運転者の労働時間等の改善のための基準」(平成元年労働省告示第七号)とする。



◆守られていない改善基準告示

しかし、この改善基準告示さえ守られていない実態も明らかになっています。より正確に言えば、既に明らかにされていました。

改善基準告示違反の実態を見るうえでは、2007年に吹田市で起きたスキーバス事故を受けて総務省が行った調査[3]が参考になります。この事故は21歳の運転手がやはり過労による居眠り運転で事故を起こし、添乗員として同乗していた16歳の運転手の弟が亡くなるなど27人が死傷したもので、これじたいが一つの重要な事例となっています。総務省の調査では、改善基準告示違反が事業者の44%にみられました。違反事例を抜粋して紹介します。
 
・貸切バス事業者Dm:平成20年5月4日の5時20分に香川県観音寺市の車庫を出発してから、目的地である広島城に向かい、翌5日の午前3時に車庫に帰着している〔注:1日の拘束時間の上限が16時間のところ、21時間40分となっている〕。

・貸切バス事業者Cx:平成20年5月1日から31日までの1か月のうち、拘束時間16時間を超える日が5日間あるなど、4週間を平均した1週間当たりの拘束時間が74時間30分〔注:1週間当たりの最大拘束時間は71.5時間〕となっている。

・貸切バス事業者Cx:平成20年5月28日に高松市から白馬、北志賀(長野県)に向かった後、高松市に帰着する行程(拘束時間17時間、運転時間11時間34分)において、連続運転時間が6時間37分と改善基準告示を2時間37分超過しているもの。

同じく総務省の調査で、それぞれの規制について運転手にアンケートをとったところ、①1日当たりの拘束時間の違反経験者は58.1%、②1日当たりの運転時間の違反経験者は78.0%、③連続運転時間の違反経験者は17.6%、④休息期間の違反経験者は78.0%だとわかりました。

心許ない改善基準告示すら守らせることができていない状況を何とか変えない限り、いつ事故が発生するともしれません。


#3 総務省「貸切バスの安全確保対策に関する行政評価・監視結果に基づく勧告」
 http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/34390_1.html


◆「犠牲者が出たらダメ」のままでよいのか?

なお、運転手の過労に関しては、もう一つの規制があります。道路交通法では過労状態で運転をすることを禁じています(66条)。使用者が労働者に過労状態での運転を命じたり容認したりすることも罰則の対象となります。改善基準告示など無くとも、過労運転をするよう命令したり、命令すらしていなくても、過労だと知りながら労働者が運転するのを放置したりすれば、使用者は逮捕され、3年以下の懲役又は50万円以下の罰金を科せられるリスクを抱えるのです。これはかなり厳しい規制だと言えますが、重大な事故が発生して初めてこうした条文が持ち出される場合がほとんどです。

法律として規範があっても、現実に職場の中でこうした規範が機能せず、職場の外から職場を規制する実際の力も弱ければ、過労運転を抑制することにはなりません。三六協定の範囲内で長時間労働を行っていた労働者がある日突然亡くなって初めて会社の責任が問われるのと全く同じように、改善基準告示の範囲内で長時間の運転を行っていた労働者が重大な事故を起こして初めて会社の責任が問われるのです。もちろん、事後的にも会社の責任が問われないよりは、問われた方がよいでしょう。しかし、事が起きる前の段階でどのような防止措置を講じることができるのかが肝要なことでしょう。したがって、「犠牲者が出たら責任をとらせる」(いわゆる厳罰化論につながります。)だけでは不十分だと言わざるを得ません。


◆過労運転による交通事故を予防するための規制の方向性

いずれにせよ、現在の規制が予防効果を持っているわけではないことは認めざるをえないと思いますので、より効果的な規制を作っていくことが期待されます。規制を有効なものにしていくためには、二つの方向性を考えることができます。

第一に、「過労である」という事実をもってしても労働基準監督署が介入しえないような水準の規制では、重大事故と厳罰化を繰り返すばかりです。したがって、改善基準告示の改正などを通じて、過労を許さない水準での労働時間規制を行うことが必要でしょう。もちろん、その規制の逸脱を常態化させないためには、労働基準監督署や労働組合などの種々のアクターによる監視が不可欠です。実際的な「監視」の機能が弱いことが日本が過労問題を克服できずにいる根本原因であるように思いますが、労働者から「過労で苦しんでいる」という申し出があった場合にくらいは介入しうる基準を設けることがこと日本においては必要であろうと思います。

第二に、請負元の無理な指示に対する規制です。今回の事故で言えば、ツアー会社の側も一人で運行する事実を把握していました。ツアー会社が無理な運行計画を低い価格で発注し、バス会社が生き残るためにそれを受け入れざるを得ない状況があるわけですから、その構造そのものにメスを入れるか、過労運転を黙認した場合にツアー会社の責任を問うことのできる仕組みを設けるか、いずれかの方策を講じる必要があります。前者の方がより事前の市場規制的要素を含み、後者がより事後的な色彩の強い規制といえます。

過労運転による交通事故を防ぐためのより効果的な規制のあり方を本格的に議論していかないと、吹田市の事故が起きても関越道の事故を防げなかった歴史の二の舞になってしまうだろうという懸念を抱いています。


◆運転手だけではない過労と安全の問題

最後に付言しておきたいことは、実質あまり守られてもいないし、甚だ心許ない水準であるとは言え、運転手の労働時間規制だけは具体的に定められているという事実です。逆に言えば、他の産業にはこうした規制はないということです。運行の安全を期するために労働時間規制が必要であることを認めるならば、医療・介護・保育など、消費者の生命や健康を損ねる可能性がある業界にも安全を期すための労働時間規制は必要でしょう。ちょっとした不注意が重大事故に繋がる工場や建設現場の労働者にも同様のことが言えます。ある人を、その人の生命や健康以外を保全する以外の理由で過労から守らなければいけないということは、ただ運転者のみに該当するわけではないのです。

もちろん、その人の生命や健康を保全するだけの理由から、あらゆる人が過労死の危険から守られるべきだと私は思います。ただ、そう認められているとは言いがたい現在の規制の下でも運転手の労働時間が規制される必要性を認めるのであるならば、同じように規制が求められる職種は多く存在するだろうということです。

自身の裁量で働く時間を決めることができて、突発的な死亡事故が起きそうな職場で働いておらず、廉価な医療・介護サービスに頼らなくとも生活ができる人にとっても、交通事故の恐怖はつきまといます。そういう意味では、運転手の過労によって生じるリスクは最も「普遍的」な課題といえるかもしれません。だとすれば、まずはこの課題に限ってであっても、過労と安全という問題について考えていく雰囲気を醸成することが、過労死を無くしていく第一歩となるのではないでしょうか。今回の事故では様々な論点が提示されていますが、過労問題の克服に向かうのかどうかを今後の動向を評価する一つの軸としていただければ幸いです。


◆おわりに

最後に宣伝ですが、「過労死防止基本法」を制定するための署名活動[4][5]があります。これは過労死の遺族が中心となって展開されている取り組みで、過労死を防止するための基本法を作ろうという運動です。上で論じてきたような具体的な形での規制ではありませんが、過労死は防ぐべきものだということを法律で謳うことを過労死大国の現状を覆す第一歩としていこうという取り組みです。署名は個人で集めて送付することもできます。

過労死は事業主や公務員なども含め全ての働く人に関わる問題ですし、今回の交通事故で明らかになったように働いていない人にも関わります。「やむを得ず」と思って過労を引き受けていた「被害者」が、加害者となることだってあるのです。誰も幸せにしない過労死を無くすために、署名集めや労働相談などを通じて過労を「監視」する流れに貢献していきたいと思います。

#4 過労死防止基本法のホームページ
 http://www.stopkaroshi.net/index.html
#5 過労死防止基本法のツイッターアカウント
 https://twitter.com/#!/stopkaroshi


NPO法人POSSE事務局長・川村遼平


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NPO法人POSSE(ポッセ)は、社会人や学生のボランティアが集まり、年間400件以上の労働相談を受け、解決のアドバイスをしているNPO法人です。また、そうした相談 から見えてきた問題について、例年500人・3000人規模の調査を実施しています。こうした活動を通じて、若者自身が社会のあり方にコミットすることを 目指します。

なお、NPO法人POSSE(ポッセ)では、調査活動や労働相談、セミナーの企画・運営など、キャンペーンを共に推進していくボランティアスタッフを募集しています。自分の興 味に合わせて能力を発揮できます。また、東日本大震災における被災地支援・復興支援ボランティアも募集致します。今回の震災復興に関心を持ち、取り組んで くださる方のご応募をお待ちしています。少しでも興味のある方は、下記の連絡先までご一報下さい。
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