また一つ、私の町にお気に入りの場所が増えました。^^
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初めて社会に出た時
私は何にも知らない。何にも出来ない。と思った。
これは謙遜でも何でもなく
真面目にそう思った。
何の心配も苦労もなく
のほほんと育った私は
嫌なことはすぐ辞めた。
乗り越えるとか
達成感を味わうことなく大人になった。
もっと続けてみなさいとか、がんばりなさいとか・・・
父からも、母からも諭されたり、叱られたことはなかった。
自由奔放に、甘やかされたような気もするが
親になった今
果たして!親と同じことが出来るかと言うと・・・
出来ない。
12の息子に
あれこれ
諭す私がいる。
自分は全然出来なかったくせに。^^
今になって
意識していなくても
自由奔放を徹底してくれた親に感謝する。
勉強しなさいとか
進路の助言や
アドバイスは一切してくれなかったが
自分で選ぶ。
自分で決める。
自分で考える。ことを徹底させてくれて、ありがとう。^^と今朝初めて思った。
商売が忙しいので、ほったらかしで
何にも躾けられなかったので、
甘やかされただけだと思っていた。
心のどこかに
ほんの何%かでも
もっとこういう風に育ててくれていれば!と言う思いがあったのかもしれない。
過ぎたこと
考えても仕方ないことだけれど・・・
初めて
100%の思いで
親がしてくれた全てのことに感謝することが出来た。...ような気がしている。
社会に出てから
就職した会社はどこも3年持たずに辞めた。
やりがいはなかなか見つけられなかった。
19年前
父の商売で取引のあった
(株)生活の木さんの推薦で
大分FORUSのオープニングに
テナントとして
ハーブのお店を出してみませんか!と言うお話を頂いた。
なんか楽しそう。^^
これが私の商売の始まり。
何百万もの投資をして
出したお店を
たったの3年で辞めたくなった。
辞めたい、閉めることしか私の頭にはなかった。
責任感や、やり甲斐は全くなかった。
後悔も全くなかった。
「本当に辞めていいのか?」と聞いた父。
「うん。」と首を縦にふる私。
そんな決意の固いバカ娘に
諭すでもなく、説教するでもなく
父がかけてくれた一言を
私は、はっきりと覚えている。
その一言が
今朝の私を
思いっきり泣かせている。
涙がぽろぽろ
流れてきてしょうがない。。。^^
「この仕事が向いているって
自分で思わない?」と聞いてきた。
「みわちゃんがやってきた仕事の中で
この仕事が一番向いているとお父さんは思うよ。」
ただ
そう言ってくれた。
わがまま娘に
嘆くこともなく。。。
こうして大分のお店は閉めましたが
翌年私は別府でお店を再スタートさせることになります。
たくさん心配をかけたけど
いつも深い愛で
包んでくれた父に
見守ってくれた父に感謝します。
わがまま娘は
ようやく
我がままに生きる道を歩み始めたばかりです。
いつの日か
「みわちゃんなら一人でやって行けるよ。」と、安心してもらいたいと思いつつ・・・
まだまだ
父にはいっぱいお世話になって
がんばってもらいたいと思います。^^
人間、科学的には125歳まで生きられるそうですから。。。