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あなたの心に彩りを添える
ちいさな花束になりたい。。。

ことばのかけら こころのかけら

わがまま娘

2012-10-24 | Weblog

初めて社会に出た時
私は何にも知らない。何にも出来ない。と思った。
これは謙遜でも何でもなく
真面目にそう思った。

何の心配も苦労もなく
のほほんと育った私は
嫌なことはすぐ辞めた。
乗り越えるとか
達成感を味わうことなく大人になった。

  もっと続けてみなさいとか、がんばりなさいとか・・・
 父からも、母からも諭されたり、叱られたことはなかった。
 自由奔放に、甘やかされたような気もするが
 親になった今
 果たして!親と同じことが出来るかと言うと・・・
 出来ない。
 12の息子に
 あれこれ
 諭す私がいる。
 自分は全然出来なかったくせに。^^
 今になって
 意識していなくても
 自由奔放を徹底してくれた親に感謝する。
 勉強しなさいとか
 進路の助言や
 アドバイスは一切してくれなかったが
 自分で選ぶ。
 自分で決める。
 自分で考える。ことを徹底させてくれて、ありがとう。^^と今朝初めて思った。

 商売が忙しいので、ほったらかしで
 何にも躾けられなかったので、
 甘やかされただけだと思っていた。

 心のどこかに
 ほんの何%かでも
 もっとこういう風に育ててくれていれば!と言う思いがあったのかもしれない。

 過ぎたこと
 考えても仕方ないことだけれど・・・

 初めて
 100%の思いで
 親がしてくれた全てのことに感謝することが出来た。...ような気がしている。

 社会に出てから
 就職した会社はどこも3年持たずに辞めた。
 やりがいはなかなか見つけられなかった。

 19年前
 父の商売で取引のあった
 (株)生活の木さんの推薦で
 大分FORUSのオープニングに
 テナントとして
 ハーブのお店を出してみませんか!と言うお話を頂いた。

 なんか楽しそう。^^

 これが私の商売の始まり。

 何百万もの投資をして
 出したお店を
 たったの3年で辞めたくなった。
 辞めたい、閉めることしか私の頭にはなかった。

 責任感や、やり甲斐は全くなかった。
 後悔も全くなかった。

 「本当に辞めていいのか?」と聞いた父。

 「うん。」と首を縦にふる私。

 そんな決意の固いバカ娘に
 諭すでもなく、説教するでもなく
 父がかけてくれた一言を
 私は、はっきりと覚えている。

 その一言が
 今朝の私を
 思いっきり泣かせている。
 涙がぽろぽろ
 流れてきてしょうがない。。。^^

 「この仕事が向いているって
  自分で思わない?」と聞いてきた。

 「みわちゃんがやってきた仕事の中で
  この仕事が一番向いているとお父さんは思うよ。」

  ただ
  そう言ってくれた。

  わがまま娘に
  嘆くこともなく。。。

    こうして大分のお店は閉めましたが
  翌年私は別府でお店を再スタートさせることになります。


  たくさん心配をかけたけど
  いつも深い愛で
  包んでくれた父に
  見守ってくれた父に感謝します。

 わがまま娘は
 ようやく
 我がままに生きる道を歩み始めたばかりです。

 いつの日か
 「みわちゃんなら一人でやって行けるよ。」と、安心してもらいたいと思いつつ・・・

 まだまだ
 父にはいっぱいお世話になって
 がんばってもらいたいと思います。^^

 人間、科学的には125歳まで生きられるそうですから。。。