貧乏ポテトの読書記録

読書記録をつけます。よろしくお願いします。九州大学狙いの三十代ウォトコです。歴史には強いです。勝手に受験生応援します。

3/千夜千冊エディション 日本的文芸術/松岡正剛

2024-03-21 07:31:17 | 評論
 松岡正剛先生の千夜千冊、広範なブックナビゲート。小口で読めるとこが可愛くて、ハマりました。
 そして、今正剛先生の真似事みたいなことをやっています。何故アプリじゃなく、ブログなのか。文字数が稼げるとか流れないからとか意味は少しあります。
 正剛先生は本をセレクトするのも達人級でしょう。千夜千冊エディションの中には僕らの手元に届きにくい貴重な本も多いと思います。
 さて、日本的文芸術ですが、日本文学が何故日本文学たりえるか、その特徴的な部分がフィーチャー、セレクトされているはずです。
 本書でナビゲートされてる本のまとめ。
 橋本達雄編/柿本人麻呂
 松尾芭蕉/おくのほそ道
 高浜虚子/虚子五句集
 紀貫之/土佐日記
 近松門左衛門/近松浄瑠璃集
 鶴屋南北/東海道四谷怪談
 上田秋成/雨月物語
 直木三十五/南国太平記
 石川淳/紫苑物語
 五味康祐/柳生武芸帳
 半村良/産霊山秘録
 小松左京/日本アパッチ族
 五木寛之/風の王国
 二葉亭四迷/浮雲
 国木田独歩/武蔵野
 富永太郎/富永太郎詩集
 梶井基次郎/檸檬
 中島敦/李陵.弟子.名人伝
 梅崎春生/幻化
 古井由吉/槿
 つげ義春/ねじ式.紅い花
 吉本ばなな/TUGUMI
 田中貴子/聖なる女
 宮田登/ヒメの民俗学
 井原西鶴/好色一代男
 泉鏡花/日本橋
 川端康成/雪国
 吉行淳之介/原色の街.驟雨
 水上勉/鈴木いづみコレクション
 松浦理英子/ナチュラル.ウーマン
 村田沙耶香/コンビニ人間

 以上を収録。ためになる系の本に迷ったら松岡正剛先生の千夜千冊エディションおすすめです。

 日本文学についてですが所謂小説を扱いますよね。文学=小説は何歳から読んでもいいし、自由に語られる枠組みも存在するでしょう。その中で、正直、切り込み方の技術も乏しければ、要は意見を持つのに臆病なんですね。多分こういうのって、自分の習った先生や大人の意見に追従するしかないでしょう。文学でご飯が食べれるなんて夢、と言われる所以だとも考えます。
 千夜千冊は広範なブックナビゲートであり、かつ軽く評論。その底意を汲むこと容易なく、単に下手な感想を与えたいと思います。
 まず、浅いとこですが、評論と小説の違いをざっくりと。評論は硬質の文章群と緻密な論理構造から構成されており、筆者の伝えたいことを上手いナンパ師の方みたいにゴリ押ししてきます。天才のゴリ押しとでもいいましょう。受験国語の評論で満点を取ることは、大学受験の仕組み上一番難しく、国語は日本語で入り口が優しそうだから国語をする、とかいう心構えでは完全攻略は難しいと考えます。数学の大問の更に上を行く思考量も必要になり、会話なども重要になってくると思います。ホント現役で難関国公立入れる頭脳が羨ましい。上には上がいるもんです。
 対して小説とは。日本の国家を代表する文学。古典時代、そうあの古語辞典を繰るやつ、とか明治大正、昭和以後の言文一致体の名作、など創像がつきますね。
 世界文学と比較してみると、源氏物語が世界でも秀逸なんじゃないでしょうか。重厚かつ雅な言葉ばかりで作られた王朝文学、無双のごときと捉えます。
 評論が論理的なのに対して、小説、日本文学は自由な言葉群から構成されており、日本の小説は日本らしいです。小説は日常的に読む本と世間から見なされており、その読書量とか多読とかこういうものが読解を脈づけてくれます。鶴屋南北の東海道四谷怪談の紹介に綯い交ぜて、という言葉が使われています。日本もまだまだエスニック文学を抜けないとかエキゾチックはある種類の人間の感に答えますがここらへんが、経済や時代背景で読み解く現代文学の現場ともリンクする部分かな、と思います。
 本書を読んで個人的に、あくまで個人的な感想を書いていきます。
 柿本人麻呂。その魔術的な存在感、怪しさ、南米の文学を思わせるマジックリアリズムな趣、澁澤龍彦の作品みたいに、際立った醜悪的エモさ、正直考えるヒントと言う本が小林秀雄にあるけれど、こちら考える前に感じちゃう。肌から脳活できる。嫌でも、マジで。ちょっとしつこいか。
 松尾芭蕉。有職故実から外れたとこから、短文形式の秘奥義みたいなのを接収したんでしょう。推敲も秀逸な人だ。忍者ではないかと言う研究もあるが、知識は盗むもの、と言われたら、ちょいと怪しく濃くなっていく。ちなみに芭蕉は松、パイナップルとかの類の植物を挿します。
 高浜虚子。明治時代に王政復古があり、徳川幕府に代わり皇室がトップになったので、お家芸の短文形式の文学が必要とされた背景があります。虚子はこのスターだったんでしょうね。
 紀貫之。性的マイノリティの差別など、時代の波を最先端で疾走する人物。僕もどこか女々しいものを心に感じ、千年も前から、詳しくは宇治十遺物語や今昔物語を記録つける時に語りたいが、歴史資料を読み漁る余として浮上する謎のお坊さん像。こちらも少し怪しい。
 近松門左衛門。安田登さんと言う作家さんを薦められた。なるほど、僕を写す鏡みたいな人だ。国戦爺合戦もいつかは読んでみたいし、要チェック。
 石川淳。太宰治と同じく、無頼、戯作派の作家さん。和漢混合の文章で記憶している。
 小松左京。日本はお国柄や時代小説などシニアなものだけじゃないぞ、と言われるくらいのゴリゴリ理系SF作家さん。理系に浅い僕からすれば、SF小説が子供っぽい理由は判然としない。むしろ、脈絡でスタニスワフ.レムのソラリスやアーサー.C.クラークの作品群がよみたくなったので、受験の数学、理科の肥やしになればと思い読もうと思います。スタニスワフ.レムのソラリスは近々読んでブログに上げる予定です。
 五木寛之。地元福岡の作家さん。地元では有名。早稲田大学に入学しており、勉強量も半端なかっただろう。少年時代からの蔵書量が今も伝説的に語られる。
 富永太郎。小林秀雄と交際のあった詩人。詩とは、なんでしょう。あまりわかりません。ただ、繰り返し読んで心理を推測して、まあ楽しかったらいいんでしょう。受験で難関の小林秀雄。富永太郎の詩を通してヒントが得られるかも。小林秀雄の晩年の大作、本居宣長あたりもヒントに貢献する予想をたてています。
 梶井基次郎。檸檬、それは瑞々しい感性の莫大な質量をもったエネルギー体のよう。正剛先生は理系小説だ、とも言っている。小中学生の読書感想文にふさわしく、僕は頭が固いので、評論もどきも書けないだろう。共感できる人いないかなあ。
 中島敦。漢文の勉強に勉強を重ねた秀才。ちなみに僕は漢検一級に手がとどくくらい。精神の安心を求める傾向から、あまり漢文は読まないと思いますが、文法とかとても得意です。僕は中島敦の作品は難読さと癒しが混ざって面白く読んでいます。論語を筆頭に数多ある漢文作品。まだ若いので、若い感性で記録を付けたいと自学立志のこころがまえがみなぎる所存です。
 古井由吉。内向の世代を代表する作家さん。図書館で借りようとすると笑われる。奇縁だ。ねっとりめな世界観が壮漢のモデルとして適切だ。若くて早熟っていいですよね。エクステリアな概念でも。知識にしても。
 吉本ばなな。知ってる読書達人は評す。普通の人だと。吉本隆明が深読みすると普遍的戯れにも満ちた文章である。土地柄かな。ただ、中流階級の少なさや今時女性の自己の喪失からみてさまざまな視点から内的にではあるけれども、意識の爼上に登ってもいいんじゃないかと思う。これは下敷きぬなる意味も含める。
 井原西鶴。好色一代男。一代限りでもいいから、こういう経験をしてみたかった、浅はかな高校生の頃、現代の都会を考えるヒントになったし、嗚呼なんて絶食ハイスピードメガロポリスって思う。
 川端康成。決めつけたように少年時代に決めつけてた作家さん。実際読ませる力が物凄く、芥川龍之介の羅生門よりも意味のある読書体験だった。ハリーポッターシリーズの次くらいにオススメです。雪国とか読み終わったら、単に浄瑠璃の面白さをドストエフスキー以外で考えると南米のボルヘス、ハンガリーのアゴタ.クリストフの悪童日記とかいいですよ。
 村田沙耶香。若輩の僕に語るすべがないのが本心。渾身の力を振り絞ると、現代日本文学の最先端であり、文学に取り組む手法に満ちかつ教えてくれる本です。未来はすぐそこなんだなあ。

 お付き合いいただきありがとうございます。


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1 コメント

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神はサイコロ遊びをする (ああいえばこういう熱力学)
2024-03-23 18:03:34
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタインの理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。日本らしさやものづくりといった多神教的で多様性のあるなにものかによって。
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