RYOKO-ポジティブソロ活ブログ

私➕3人の野球息子たちと自由をテーマに生きてます
ゆるくのんびり生きる道

養育費支払いの話

2025-03-12 06:01:33 | ひとり親
離婚と現実vol.2

養育費支払いの話

私は離婚経験者
離婚した私について振り返る
離婚を選んだ事、経験した事へ後悔はない
離婚後に見えてきた人としての生き方を見直したい

離婚調停時
子供たちの養育費に支払いの取り決めについて
最も重要な取り決めだった
なぜなら元夫は子供たちにお金を使うことに消極的だった
私が離婚調停に踏み切ったのも
子供たちの未来のお金が必要だと考えていたから
別居生活時の婚姻費用は口頭の金額の取り決めだった
10年以上の別居生活をしていたことには理由がある
子供たちという私たちの財産を守らなければいけないと考えていた
夫婦、家族としてのお金の考え方は大きく変わっていった
途中で婚姻費用の入金がなくなるのではないかと思っていた

10年を過ぎた頃口座への入金が無くなった
連絡手段も途絶えている
子供たちは進学に費用が掛かる年齢になっていた
私一人で全部抱えるには途方に暮れるしかなかった
元夫の仕事は不安定ではないため
自分の判断で入金をしなくなったのだろうと思った

自分でどうにかする方法を探し始めた
離婚と養育費の請求をしようと進むことにした
子供たちにかかる費用をどうするべきか
離婚家庭の子供たちは思うような進学ができないのか
離婚家庭は生きるのも厳しい印象だった
しかし子供たちには希望がある
どうにかする方法を探すのが私の役割
子供たちと会わない元夫は子供たちへの思いは薄れ
子供たちに会うことを自分から閉ざしたままだった
連絡手段は手紙だった
お金の請求を手紙でやり取りしていた
しかし返事は攻撃的な文章が続いた
子供たちにも見せられるような文章ではなかった
父親像をうっすらとしか覚えていない子供たちに
私は謝るしかなかった

私は子供たちが夢や希望を持てる事を応援したいと
いつも思っていた
そのためにはどうするか
離婚調停で子供たちの将来の進学希望を話した
養育費の支払いも家庭裁判所で決めるのが最善策だと考えていた
大学へ進学することを前提に養育費の支払い期間も
22歳までになった
元夫は条件として22歳まで支払うために子供たちを
所得税の扶養にした

子供たちの所得控除を受けるには父、母どちらかになるため
離婚した私はひとり親控除を受けられなくなった
所得控除を受けている養育費は支払われている
この方法も父親としての責任なのだろうか
子供たちに会う事がないかもしれない父親は
所得控除のために養育費を支払っている
父親としての心はどうなのだろうか

養育費が支払われず父親の姿も全くわからない家庭もあったり
養育費未払いを補償するところがあったり
離婚の家庭ではさまざまな形があり
困っている方の気持ちもわかる
私もまだまだゆとりがないし
現状の経済面は困ることはたくさんある
それでも養育費があることで
子供たちは進学できて生活できている
子供たちが大人になるために生きていくお金、養育費

父母は離婚しても養育される子供たちには
将来幸せになってもらいたいと願っている
将来社会に出て家庭を持つことに抵抗がないように
養育費の事も家族のお金の価値観についても
しっかりと子供たちに伝えていきたい

別居、離婚から学んだ事、気づいた事
いろんな生き方あっていい
自分で自分を育てる時間は続く
人生を自分で選択する、作っていく
自分を大切にしようと思う




負けない力を継続する話

2025-03-05 11:18:43 | ひとり親

負けない力を継続する話

素直に正直に生きることを目標にしているが
時々負けそうになる事がある
自分に

他の人と比べて落ち込み
羨ましく思い
小さな嫉妬が動き出す
私っていったい何なのかと考え込む
自分が選択してきた事を全て否定してしまいそうになる
その時の気分で選択した事もあった
過去の自分を思い出し
なんであんな事言ってしまったのだろう
なんであんな事したのだろう
その時の自分に戻れる事もないのに
心の中で体育座りしている自分がいる

体が疲れていると心も疲れている
その反対もあって
心が疲れていると体は疲れやすい
たまたまその時に言われた言葉が心にささって
落ち込み、不機嫌になる私
心と体を立て直さないと思えば思うほど
全てのやる気を失っていく感覚
無りやり意地を張ってみるけど長続きしない
短期は損気と言う言葉を思い出す
そんな思いを繰り返しながら大人になった

人生の転機はあるんだなと感じた事がある
父が病気で亡くなり身をもって教えてくれたこと
父は負ける事が好きではなかった
私も負ける事が好きではなかった
人生は勝ち負けではないと分かっていても
勝ち組、負け組という言葉の世界の中で生きていたことに
耐えられない時もあった
別居中、離婚調停中の私は負け組なのかと感じていたある日
あなたは自分の戦いに挑んですごいと思うよと言われた言葉が
今でも忘れられない
自分がなぜこの選択をしているのかを分かった日
自分に負けない力があったから
振り返るとあの頃が人生の転期なんだなと思う

自分がどんな人生を選ぶかと迷った時
自分を好きでいられるかどうかですよと教えてくれた人がいる
我が子たちと進むべき道を勝ち続けることではなくて
負けない力を継続することを選ぶようにした
私自身が自分に負けているようでは我が子たちにも伝わらない
毎日工夫をして負けない自分を作ること
すごくなくていい
自分が自分を好きでいられる選択ができるかどうか
負けない力を継続できるようになると信じている





離婚した意味を残したい話

2025-02-18 16:42:13 | ひとり親

離婚した意味を残したい話

離婚と現実vol.1
財産の話

私は離婚経験者
離婚した私について振り返る
離婚を選んだ事、経験した事へ後悔はない
離婚後に見えてきた人としての生き方を見直したい

今は以前に比べ離婚する夫婦が減っている
夫婦がお互いに働き続け、経済面、精神的にも
将来への安心感がある
好きや嫌いでは生活できなくて
夫婦を続ける生きる道を進んでいる

人が人を支え合い生きていく時代になっている
夫婦の支え合いは私も大事だと思っていた
男性は仕事優位で
女性は家事も育児も仕事もこなす時代から
男性の育児参加の時代へ変化している事が
離婚が減少する要因の一つではないかと思っている
夫婦が家族に対する責任能力を持ち
離婚家庭が少しでも減ることを
嬉しいと感じている

私の離婚裁判最終日
養育費は養育費算定表に基づく決定となる
父親の年収と母親の年収で計算される
一定の期間までの養育費の支払いが決定される
元夫は養育費の支払いに応じるために
子供たちを所得税の扶養家族を条件にした
年末調整時の扶養控除を得るためだろう
親権とは別に子供たちを扶養家族にするには父母のどちらかになる
実際に私と子供たちが生活しているが
養育費の支払いのための扶養家族になる子供たち
私は文面上だがなんとも言えない複雑な気持ちだった
情がうつるために子供たちには会わないと言っていた元夫だが
人の本心は結局わからないままだった
実際元夫は息子たちと離れて生活してからは一度も会っていない
息子たちは大きくなった

私は離婚して元配偶者になった
子供たちは元夫の子供のままなので
実子として扱われる

将来的に財産相続が必要になった時は子供たちへ
連絡が届くようになると言われている
離婚した当時は子供たちへ財産相続の説明するには
難しいと感じていたため
相続について説明をする時期を待っていた

子供たちが成人になり相続について話をした
私は元夫の元配偶者で財産相続の権利はないこと
子供たちは両親離婚していても法律上は親子関係であるため
相続権があり、法定相続人第一位になること
財産相続トラブルはよく聞く話だが
今、子供たちの父親が独身なのか再婚しているのかも
わからないが相続の話し合いになった時には
会わなかった期間が長くても参加する権利がある事を話した
両親の行き違いで離婚家庭の子供にしてしまったが
人としての権利を人生の勉強として知っておいてほしいと思っている

別居、離婚から学んだ事、気づいた事
いろんな生き方あっていい
自分で自分を育てる時間は続く
人生を自分で選択する、作っていく
自分を大切にしようと思う




答辞を読む話

2025-02-17 22:14:55 | ひとり親

答辞を読む話

 

二月も後半になり、ふと思い出す事がある

息子たちが通う幼稚園

先生方と保護者で作る幼稚園方針が好きだった

我が子を預ける場というよりも

親として子供たちに寄り添う場だった

子供たちに寄り添いながら親の子育ての教育の場でもあった

子育てに不慣れで迷いながらの私にはとても適した場所だった

PTA活動に参加するようになり、

幼稚園生活に関わる事が自分の居場所のように感じていたある日

PTA会長をさせていただくことになった

当時はお父さんがPTA会長をする流れだった

女性PTA会長がまだ珍しく響く頃だった

行事はたくさんあった

入園式、PTA総会、PTA研修会、運動会、音楽会、クリスマス会、

演劇会、卒園式

今でも一番印象に残っているのは

卒園式で答辞を読ませていただいたこと

 

今までの私とは全く無縁の皆様の前でのご挨拶

息子の卒園だが答辞の依頼を受けた時から

どうしようと正直迷っていた

お世話になったお礼を込めた言葉を考えても

その場で読むことができるだろうかととても不安だった

卒園式といえば涙がつきもので

長男の時も次男の時も卒園式は号泣した思い出が頭に浮かぶ

三男の時には私も一緒に幼稚園を卒園していくのだと

思うだけで寂しかった

毎日幼稚園へ通い、PTA仕事をし、

いろんなお母さんたちと友達になり

言えば女性の活躍の場だった

お母さんたちの得意を引き出す場だった

 

ピアノが弾ける人、楽器ができる人、裁縫が上手い人、

本の読み聞かせが上手い人、お花を植えるのが得意な人、

パソコンが得意な人、英語が話せる人、、

体を動かすのが得意な人、お菓子作りの得意な人、、

お母さんの力をたくさん見せていただいた

その事を答辞の言葉にする事を考えた

一保護者として幼稚園での出会いに感謝し、

子供たちの成長を近くで見守れた事、

一緒に歌い、お誕生日をみんなに祝ってもらう喜び、

友達を作っていく喜び、

毎日、泣いたり笑ったりしていた成長の時間の感謝を書いた

 

幼少期は成長過程でとても大事だと思っていた私は

親として子供たちと一緒に巣立つ日になり

心からお礼と感謝を読ませていただいた

答辞の時間は泣く事もなくしっかり読めた

読ませていただく嬉しい気持ちが自分を推しているのがわかった

今でも忘れられない貴重な経験だった

一人で子育てしていかなければいけないと思い込みすぎていた自分を

周りの人たちのおかげで少しずつ変えていく経験ができた

 

ひとり親として歩き始めた自分を変えてくれる答辞だった

暖かい陽の光が降り注ぎ、桜の蕾も膨らみ始め、

春の訪れを感じる今日、、、

パソコンに下書きが残っている

私の思い出を大事にとっておこう

 

 


帰る場所の話

2025-02-17 17:13:27 | ひとり親

 

帰る場所の話

 

2024年末家族が揃う

息子たちはまた一つ大きくなって帰ってきた

帰る場所がある

 

最近のニュースで

若者の実家へ帰りたくない人が増えている

自分の時間を使いたいという理由らしい

交通費もかかるし、実家へ帰るよりも友達と

遊ぶ時間に費やしたい

年末年始の休日を自分に使いたい気持ちもわかる

実家へ帰って家族で新年を迎える事ももうわずかかなと感じたりする

おかげさまで年末年始をゆっくり家族で過ごすことができた

かつては苦い思いもあったけど今は息子たちを迎える母として

帰る場所を作って待っている自分を楽しく感じている

 

たくさんの荷物を持って帰ってくる

小さな玄関先には大きな靴が何足もある

カバンを広げると足の踏み場もないぐらいになる

それを見て帰る場所があるって良いなとしみじみ思う

帰る場所を作ることに一生懸命だった

私と息子たちの帰る場所を大事にしてきた

 

川の字になって寝ていた頃を思い出す

反抗期で顔も合わしたくない時もあっただろう

口を開けばケンカになっていた頃もあった

ケンカ後の苦笑いもあった

けれど川の字で寝るしかなかった場所

これが私たちの帰る場所

 

帰る場所が将来的には変わっていくかもしれない

あと何年この帰る場所で楽しめるのだろうか

一年ごとに考えていること、感じていることも変わってくる

家族でも足並み揃えることが大事なんだよと

教えてくれた友人の言葉を思い出した

今までは私がしっかりと土台作りをしなければと思っていたが

この度の一緒に過ごす時間の中で感じたことは

息子たちも一緒に土台を作ってくれている気がしている

私が思ってきたこと、考えてきたことが伝わっているのだと感じた

心も体も休みに帰る場所を私は今後も作り続けていきたいと

思う年末年始でした

ひとり親家庭から成長し足並み揃う家族という名のチーム作りをする

私でいたい