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pripocoの休日

大久野島:毒ガスとうさぎ🐇

少し前の話です

11月初め、しまなみ海道をチャリで散策した次の日のプチ旅行2日目。

広島県竹原市、竹原保存地区散策の日の午後です🚙

11月4日(土)☁
12時30分過ぎに竹原の町並み保存地区を出発し、車を走らせ忠海港へ🚙

道の駅で買ったサンドウィッチを車の中で食べて先を急ぎます🚙
島に渡るために渡船に乗らないといけません時間を決められるのはやや苦手です。

お父さんは「大丈夫、大丈夫」と、食後のデザートにはっさく大福を食べながら落ち着いて運転しています

13時15分発の大久野島行き渡船に滑り込みセーフ⛴忠海港の直ぐ側の駐車場に停めることができ、

ずらっと並んだ乗船客の最後尾に並び、その後も列は延びていきました。
二手に分かれ、私は乗船切符を買いに行ってお父さんのいる列に合流。

小さめの船で「こんなに乗れるのかなぁ🤔」と心配でしたが、ちゃんとみんな乗り込めました😯

「はい、ここも一人座れますよぉ✋はい、もう少し詰めてねぇ」とおじさんの手慣れた、少々強引な誘導のお陰で私達も詰めてもらって座ることができました
(↑少し小さくなって座るお父さん)
船に乗って、うさぎ島🎵
ウキウキ、ワクワク注意事項もしっかり読みました
島に上陸すると、すぐにうさぎがいるのかと思ったけど見当たりません
巡回バスが止まってるのでとりあえず先頭座席に乗り込む
バスの窓はスモークが貼られ真っ黒な外観「なんで」と思ったけど、中から外を見ると外の人からは見えてないので「バク見👀」しても外の人が驚かないようにかぁ…と窓に張り付いて上陸初のうさぎを発見してバク見してしまいました

ベンチの下に隠れてるうさぎに誰も気づかず、目線の低いちびっ子が気づいて餌を上げてました🌿
大人気なく1番前に座ったのに、ちっとも発車しないので、イラチな私達は隣の、運転席で前が見えないちびっ子に席を譲り、走ることに

確かに、いつも走るのになんでバスに乗ってもたんやろう🤔とバスが見えたからバスに乗ってみたという、我ながらバカな自分にため息

そもそもうさぎや戦争遺跡を巡って島一周を考えてるのに、バッカやねぇ
大久野島は周囲4.3kmの小さな島です。第2桟橋でフェリーを降り、バスに乗らなくても少し行けば休暇村に到着します
います、います 

ウジョウジョではないですが、餌をくれる人にはたくさん集まっています
幹部用防空壕だそうです。コンクリートで強固に作られ、従業員用のは穴を掘って上から草葉をかけるだけの簡素なもので退避壕というそうです。

「ビジターセンター」

木の足が窓を突き破って…の面白い感じでどこかで見たような…🤔
有馬富士のビジターセンターのクワガタのおしりです
建物の中はこんな感じです🪲

さて今日のメイン、毒ガス資料館に到着🏤多くの方ははうさぎ目的でここへやって来られています。しかし、ココは世界で唯一の毒ガス資料館です。
そして、戦争の負の遺産として毒ガス製造が行われた悲しい歴史のある島なのです

資料館の外に実際に使用されていた陶磁器製毒ガス製造器具が展示されていました。
毒ガス(塩酸や硫酸で出来てる)に触れると金属は腐食してしまうので器具は陶磁器製なんだそう。

これに利用された陶磁器は京都を代表する伝統工芸品の「清水(きよみず)焼」

こんな綺麗な焼き物の技術が毒ガス製造に利用されたのか…
撮影禁止のため、資料館内の写真はありません

原爆資料館と異なり、ココは日本が行った戦争における「加害」の歴史が展示してあり、毒ガスが禁止されてからも秘密裏に製造されていたように説明されてます。

今いるウサギは当時いたウサギの子孫ではないらしいですが、毒ガスの実験動物としてウサギが利用されていたそうです。
毒ガス製造当時の研究室や薬品庫として使用されていた建物だそうです。現在は広場になってうさぎが自由に飛び回ってます🐇

広場から山に登れる階段が付いてるので上ってみます
こんなとこにもうさちゃんが
うさぎの巣穴ですね🎵並んであいてます🐰
上った先は行き止まりで「南部照明所跡」となってました。めちゃめちゃ明るいサーチライトが格納されていた場所のようです🔦
来た道を下り、もう一度広場へ

自動交換機室跡。よくは分かりませんが、元は盛り土して草木で覆われてるもんなんでしょうか🤔

所々にこういった当時の設備が残ってており平和なうさぎとのギャップがあります。

海辺の方へ出ます🌊
大久野島神社と殉職碑。工場で働いていた犠牲者の方の碑があります。資料館で見たゴム製の防毒マスクや防護服では隙間から毒ガスが浸透して工員の方たちは次々と気管支や肺を患っていかれたそうです
毒ガス工場で働かれた工員さんは述べ6700人。毒ガス兵器を作るとは知らず、新しい化学兵器を作るくらいの軽い認識だったそうです。
「医務室跡と当時の消火栓」
山の上に登っていく道があり、この先の灯台につながっているようです。
灯台のたもとまでは行けず、明治時代からの灯台です💡

山伝いに島一周する感じで、夕日の丘に向かいます
雲が多いけどちょうど夕暮れです🌇
途中、別のところから上がって行き止まりになった「南部照明所跡」に出ました。
草ボーボーですが、この大きな穴に大きなサーチライトが格納されていたんでしょう

山の中にもうさちゃんがいます。夕日の丘。16時前。周りの木々が大っきくて景色が狭いけど夕焼け空。雲が多いけど

えっ下り❗登ったとこなのに…

登ったり下りたり、また登ったり下りたりするようです
休暇村に出て、その広場を通過

休暇村の片隅に「三軒家毒ガス貯蔵庫跡」地図を見ると毒ガス貯蔵庫があちこちにあったようです
現在だだっ広いこの広場には当時たくさんの建物が建っていました。

さぁまた上りです、「中部砲台跡」と「展望園地」を目指します
これも何かの設備だったのかな🤔
結構登りましたよ
上った先は、広い展望台でちょうど夕陽がさして素敵な光景でした

どこにでもうさぎがいます

広場を抜けて「中部砲台跡」に到着。

1900年頃築かれたとのこと。誰もいないし、ちょっと不気味な感じがします
ずらぁっとレンガ造りの要塞が続きます。この丸いところに砲台が置いてあったのかなぁ🤔
説明書きがないのでよく分かりませんが、きっと機密情報で教えてくれないのかなぁとも思いながら、乏しい知識で想像します
階段があるので上ってみます。段がちょいと高めで上るのはなんとか上れましためちゃめちゃ高いです

↑ここに来ましたが、ここで人が海上を目視して、その人の頭上を越える高さで大砲の筒が出てる感じなのかしら🙄
さぁ、降りようと思ってもなかなか一歩が出ません高度感があり、急勾配な上に、手すりがないので前向きに降りれない
お父さんはさっさと降りて「はよぉ、はよぉ」と下で待ってます
なんとか降りることができましたが、高いところは苦手です
今度は下りです

ずんずん下ります海辺までおりてしまいます。

島の飛び出たところに北部照明所跡があるそうです。

北部砲台跡へ。ぐるりと北側の要塞です。

ここには24cmカノン砲の砲台が置かれていたそうです。

毒ガスタンク台座

看板を見てようやく砲台のイメージが出来ました

北部照明所跡迄、行ってみますが、島の先っちょまでは行けませんでした
要塞の内側の舗装路を走ります
やっと山を抜けて周回路へ
ずっと北部砲台跡が続きます

北部砲台跡を抜けるとしばらくひたすら舗装路を走ります
最後に毒ガス工場の発電所跡。

廃墟と化した不気味な感じです。
この発電所の中で密かに「ふ号作戦」により、風船を飛ばしてアメリカ本土に爆弾を落とす「風船爆弾🎈」の気球を作っていたと書かれています。
ここにもうさぎがいます。

これでようやく、ぐるっと島を一周出来ました赤線が今回、辿った道です
もう、日が暮れて来ました。薄暗い桟橋周辺に最終便に乗る人たちが集まり始めました。

半日でしたけど筒いっぱい遊べました。うさぎだけでも楽しい島ですが、戦争の歴史に触れ、勉強できました。
忠海港に着く頃には真っ暗でした😁


最近は、休みをマラソン練習に費やし、ジョギング散策に出かけることが出来てないので、面白みに欠けておりますが、あと2週間で姫路城マラソンを迎え、練習から解放される密かな喜びに満ちてきております

どうか神様、神戸マラソンのリベンジマッチ叶いますように



































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