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pripocoの休日

竹原市町並み保存地区観光

今日から雪の予報で、終業式も1日早く今日するところもあるとニュースが言ってました。

去年みたいに歩いて出勤は嫌だなぁ…と思いますが、この辺りはいつも降らないのでまず大丈夫かとたかをくくっています

11月初めにプチ旅行に出かけた日記です

11月4日(土)☀
前日は、しまなみ海道をチャリでのんびりと廻りました🚲🚲

夜の間に移動し、広島県竹原市の町並み保存地区の道の駅で車中泊をし、朝を迎えています

午前中はこの町並み保存地区をブラブラ観光、午後からは負の遺産が残る大久野島に行きたいと考えてます

欲張りな計画で、この町並み保存地区観光だけでも1日かかる気がしますが、せっかく広島までやってきたのでフルに遊ぼうと

ココは江戸時代にタイムスリップしたかのような町並みが有名で「安芸の小京都」とも呼ばれるそう楽しみです

早速、たけのこの車止めを発見たけのこは竹原市の特産品のようです。

観光ですがジョギング散策のため、服装はいつものジャージ👕

最初に「頼山陽」先生の銅像発見👀頼山陽先生のおじいさんがこの竹原で紺屋を営んでおられ、頼山陽先生もここ竹原で幼少期を過ごされたそう
播磨の歴史の中にも頼山陽先生が登場するので名前は聞き覚えがあります「偉い先生」「日本外史」…「小赤壁」そんなに知っているわけではないですが播磨にも足跡が残っています。

姫路藩の河合寸翁(すんおう)がつくった学校に講師として呼ばれたのがこの頼山陽先生です。白浜の「小赤壁」は頼山陽先生が名付け親だと聞いたことがあります
ココ竹原は塩田と酒造の町で、江戸時代当時の姿が今も息づく歴史ある町と紹介されています

では、保存地区へ
今も皆さん、生活をされていますので静かに観光させていただきます。

「旧笠井邸」塩田経営者の邸宅。
この地域も農作物を作るには不向きであったため、塩田が栄えたそうです。
「塩田」といえば、兵庫の地元、赤穂浪士で有名な赤穂藩も「塩田」で繁栄しました。


旧笠井邸の中にお邪魔し、案内の方に尋ねてみました。

私:「赤穂の塩田とこちらの塩田はどちらが早くできたんですか

案内の方:「赤穂のほうが先ですね。赤穂から来た商人が❝農作物が育たないのなら、ここ竹原も『塩田』をしてはどうか❞と提案したそうです。」と。

赤穂藩の塩作りの技術はそもそも門外不出だと思うのですが…🤔

…と思ってたら、展示された資料の中に竹原と赤穂に繋がりがあると…

赤穂藩の藩主浅野内匠頭は広島藩の本家浅野家の分家とのこと😀
ほぉ~、繋がってるんですね

赤穂から塩作りを伝授されて、竹原は塩の一大産地に「タケハラを買う」と言われたくらい、竹原の塩は北前船で全国に運ばれて行きました⛵

旧笠井邸を出て通りを歩くと階段を登ったところにお寺があります。

その境内の端っこに「お抱え地蔵」というお堂がありました。

1回目に抱えた時の重さより、2回目に抱えた時の重さのほうが軽いと感じたら、願いが叶うらしい

最初に持ち上げるときは確かに想像した重さに対応する力を自分で調整して持ち上げるとすると、

もう一回持ち上げるときは、あの程度の力じゃだめだと力いっぱい力を出すので2回目は軽く感じるってことなのかなぁ🤔知らんけど

NHK連続テレビ小説「マッサン」のモデルとなった「竹鶴政孝」さんの生家です

1733年創業。竹鶴家は頼家、吉井家と並ぶ竹原の三大塩田地主の一つで、竹原で製塩業が始まる前から約400年間酒造りを営んでおられるそう。

少し離れたところに竹鶴政孝さんと妻リタさんの銅像がありました。

旧松坂家住宅↓波打つ屋根が特徴的で迫力があります

通りを歩くと、ほんとに立派なお宅ばかりで、江戸時代にタイムスリップしたかのような町並みです✨

塩田を所有し、製塩業で財を成した豪商たちは「浜旦那」と呼ばれ、町作りや文化の発展に寄与したと言われています
「まちづくり」が豪勢でどっしりとした構えのお宅が建ち並んでます。

何回も言ってしまいますが、ほんとに江戸時代にタイムスリップしたかのような町並みです

塩で財を成した浜旦那たちは、酒宴や会合の場として書院造りや数寄屋造を取り入れた大きな屋敷を持つのが常だったそうです

なので、立派な構えのお宅ばかりなんですね😯
途中、通りから山側へ西方寺へ
長い階段を上り切り、西方寺の本堂の横の高台に「普明閣」という名の、京都の清水寺に似せたと言われる舞台があります。

ここに上ると竹原の町が一望できます
こじんまりした街ですが、古い本瓦葺きの大きな屋根が目立ちます。

今もこの町が子孫の方たちへ脈々と引き継がれ、活きているということに感動します
頼山陽先生のおじいさんのお宅がありました。

中も見学出来ました。頼山陽先生は大阪で生まれて少年時代を竹原で過ごされたそう。

「お抱え地蔵」がまたありました
パンフレットを見ると、こっちが案内されてる本物のようです

坂道を上ると途中の山際に祠があり、抱っこできそうな小ぶりなお地蔵様が一体鎮座してました。

ここでも抱っこしましたが、いや、重いですよ

藤井酒造さんは1863年創業、藏は酒造交流館となってます。
中はオシャレなショップと奥にお食事が出来るレストランもありました

どの道を通っても、裏通りも、しっとりとして、いい感じです✨
やっとぐるり一周出来ました。昔はここに北前船が入ってきたんだろうなぁという風景です。

さて、道の駅でお弁当を買って、因島のはっさく大福をデザートに買って、いざ大久野島へ⛴

竹原の町並み保存地区の見どころが多くて、12時30分を過ぎ、ゆっくりランチをする時間がなくなり、車内でランチです🥪

大久野島へ行くには乗船時間があるので急ぎます🚙

次は、島中うさぎ🐇のいる大久野島へ。どちらかというと負の遺産、地図から消された「毒ガスの島へ」の方に誘われています

続きは後ほど。



























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コメント一覧

smailpoint
ホントにいい所でしたね。もう一度行きたいです。
pripoco
こんにちは😀コメントありがとうございます🤗因島で有名なはっさく大福、コレはその有名店のではないのですが😁私も以前、そのお店、閉まってました😢でも世の中のフルーツ大福より格安で八朔の酸っぱいのと大福の甘い感じが💕見かけて思わず買ってしまいました😁竹原保存地区は今も生きてる、生活されてる町なので、ビュンビュン通りませんが、車は通ってます。家の軒に軽四が路駐されたりしてます。感動したのが、どこからともなく魚売りのおばあちゃんの声が聞こえだし、振り返ると軽トラの荷台に魚積んで、「今日は〇〇が水揚げされたよ」って魚売りが来るっていいですねぇ😀
虫主婦
あっ!はっさく大福!!
ワタシも因島に立ち寄った時、買いたかった(お店が休みで断念)ヤツ。。。

この竹原の保存地区は、建物も立派ですが、道がすべて石畳になっていますね。
新たに敷いたのでしょうけど、重厚感が増します。
車も来ないのでしょうか。
こういう町並み、大好きです
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