参加者:私と夫の2人
今日は須磨離宮公園駐車場に車を停めて須磨区を散策しようと思います
このところ、何回も神戸を訪れて走ってますが、なかなか回りきれるものではありません
結果として、下のような散策になったのですが、目的は「高倉山から須磨浦山上遊園まで、源義経が一の谷の奇襲攻撃で駆けた山を行く」です
私達は足で散策をやってますが、須磨には「須磨周遊バス」っていうのが無料で巡廻してて
坂のある街なかの名所をバスに乗って簡単に回れるような仕組みがあるようです
子供が小さいときに離宮公園に入ったことがあるけど、その一回きり…。
今、入れば視点が違うので史跡など探せて面白いかもですね🧐
なんせ、ここは元は天皇家の別荘「武庫離宮」ですから
さて、まずは近くのスーパーへ、飲み物&小腹用の食べ物調達🧃
ヤマダストアーを出て北上
「高倉台」の入り口交差点にやって来ました
この住宅地は神戸港を埋め立ててポートアイランドを作る際にここに存在した高倉山の土を削り取って出来た団地です7.6kmの超長いベルトコンベアーで削った土を海まで運んでいたそうです
(↓神戸市ホームページより引用)
↑写真の白いところがこの住宅地のようです。削り取られた山の上が平地になっています
その奥も山、山、山ですが今は巨大な街が形成されて、計画された以上に発展してるんじゃないかなぁと思うくらいです
(↓栂尾山から西側の高倉山他を望む)
↑赤矢印のところが高倉山の展望台なので、高倉山がほぼ消失しています
お父さん(夫)が学生時代、新快速で大阪に通ってた頃、「ベルトコンベアーが通っとったで」って言ってて、「ほんまかいな」と思ってたけど、どうやら真実のようです🤔
↑山の上に見えてる展望台を目指します
高倉台は地図の赤点線で囲まれた地域です。(⇒のように左回りで須磨区を散策しました)
東へつつじ橋を渡ると栂尾山へ六甲全山が続いていく道です
↑今日は西に向いていきます
遠くに見えてる山が、削り残った高倉山でその展望台が目指すところです。高倉台の中へ入っていきます。
全山のルートだけあって、住宅街の遊歩道ですが、山登りの人たちと何組もすれ違います
山が削られてるので「一旦下に降りてまた登る」という登った稼ぎ分ゼロになるちょっぴり辛いところです。
「エッ、なんで住宅街山、どこ」みたいな
とうとう見つけてしまいました
ナンバー「1」
名谷辺りの住宅には「512」など大きな番号だったので…「1」に感動です
鉄拐山まで一直線ですが赤い遊歩道から間違って出ると同じ建物ばかりで迷子になりそう
地獄の階段の始まりですポートアイランドの埋め立てで削られていった山際なので一気に階段で登ります
上から下りてこられる方達に道を譲りました。驚いたことに「東京から来た」という御一行さんでした
きっと須磨浦公園駅からスタートされたんだと思います
きっと須磨浦公園駅からスタートされたんだと思います
更に階段が続きます
到着、振り返って📸
(↑向こうに見えるのは栂尾山)
書いてありました元あった高倉山は標高291.5mで、ここから東へ栂尾山に続く昔からの峠道、多井畑街道が通っていたと。(現在の標高200.1m)
ここから東の栂尾山を眺めてみてもすっぽりと山がなくなってるのが分かります(そりゃあ、住宅街の歩道を歩いてる登山者が多いわけですね)
西を向くと、明石海峡大橋が見え、第二神明はこの山塊を貫いてます🚙🚚
そのトンネルを出ると正面の山際を、高倉台の縁を第二神明が通ります。
高倉台の中は戸建の家もぎっしり詰まってます。
いつまでも眺めていられる風景です
(↓今から行くルート)
地図を見ると、高倉山にトンネルが通され、山は削られ、ハチャメチャなことが分かりました。少し可愛そうになるくらい
今から鉄拐山⇒鉢伏山と源義経が通ったであろう峠の道(…でも階段)
気持ちの良い尾根伝いです
うまく写真に写りませんが両サイド、結構切り立ってます
じゃんじゃん、気持ちよく快走
鉄拐山に到着
↓頂上への海側からくる別ルート、源義経が一の谷の奇襲攻撃をかけた「逆落とし」に続くのだと思われます
↓頂上への海側からくる別ルート、源義経が一の谷の奇襲攻撃をかけた「逆落とし」に続くのだと思われます
(位置的に。諸説ありますが。)
↓現在地はこの辺り
しばらく進み、旗振山に到着
旗振山の名は兵庫の米相場を岡山に伝達する旗振り場であったことから来ているそうです
ここは何と言っても昔の「播磨国」と「摂津国」との境にあたります
こういう表示を目にすると歴史を感じることが出来て良いですねぇ
西を見ると明石大橋と淡路島が見えます👀あとはこの山を下るだけです。
東を見ると、港町神戸の街がドドンと拡がります
歩きやすい、明るい登山道です
鉢伏山の須磨浦山上遊園に到着平清盛になって記念撮影ココの平清盛はマスコット風。(二位ノ尼は平清盛の妻、壇ノ浦の戦いで孫である安徳天皇を抱いて舟から入水された方です)
展望台へ。桜🌸の時期なので山上は花見客で賑わってます
東側、櫛型の須磨ビーチが見えます👀
西側、垂水方面が見えてます👀
アッ、海に向かって谷間になってるところはもしかして「境川」でしょうか以前の散策では実際の川は見つけられなかったので…砂防ダムのような人工的なコンクリートの壁が見えます
下のロープウェイの駅から「カーレーター」という二人乗りのカゴみたいな、レトロな乗り物に乗って皆さん、山頂へ(ここはその乗り場です)
すぐ下はロープウェイの駅です。ここからの下りはロープウェイに乗らずに
すぐ下はロープウェイの駅です。ここからの下りはロープウェイに乗らずに
足で下りられる方もたくさんおられます。
ありました「境川堰堤へ」。メインルートからは外れて、上から見えてた場所へ行けそうです
激下りですが、ずっと階段が堰まで続いてました
到着ハゲハゲの看板がありました。境が「堺」となってますが…。
きっと元々、川だったのではないかと勝手にココが国境の「境川」だと信じて、確認できたので下山
山ファションの方の方が少なくなりましたがおられますね
花見客ですごく賑わってます海がそこで気持ちいいです
私達も花見の方たちに混じって今度は平敦盛と一緒に記念撮影📸こちらの敦盛はアニメ風。(平敦盛はココ、一ノ谷の戦いで16歳という若さで熊谷直実に首を取られた平氏の武将)
山伝いに「一の谷」から西に「二の谷」、「三の谷」とあるようで、「三の谷」と書かれた橋を渡ります
普通に生活しておられる家と家の間の道を静かに通らせてもらって、
結構な崖です
一の谷町となってるので一の谷に出たようです
この谷を下って降りると、山陽電車の須磨浦公園駅前に出ました。花見でこんなに多いのか、奥に救急車と消防車が止まってるので野次馬で多いのか分かりませんが駅前はごった返してました
山上より下の公園の方が圧倒的にシートを広げた花見客で満杯です
山上より下の公園の方が圧倒的にシートを広げた花見客で満杯です
手書きの案内看板が気になったので山電の高架を潜って行ってみることに。
「安徳天皇」といえば、源平合戦の最後の戦いである「壇ノ浦の戦い」で、祖母にあたる二位ノ尼に抱っこされて入水して亡くなられた悲劇の天皇
びっくりする急登でしたが、山電が撮れました📸
「安徳天皇」がお祀りされてあるお宮に手を合わせて移動
登りも急登でしたが、別のところからおりましたが下りも切り立った崖の脇のコンクリート道を下ります。
この歩道の入り口に自転車がたくさん停めてあります。そりゃあ、これ以上、上れませんよね
振り返るくらい、本当に激坂でした
振り返るくらい、本当に激坂でした
山電の高架を潜り、2号線の歩道を東へ、須磨寺に行き、敦盛の青葉の笛を見て帰りたいと思います
前回来たときは遅かったので宝物殿が閉まってました今日は時間が早いので見れると期待して
裏手の墓地から須磨寺に入り、先に平敦盛の首塚にお参りする。
胴塚は先程いた須磨浦公園にあります。それから、宝物殿に行き、「青葉の笛」を見ました👀右側がその青葉の笛のようです。
平敦盛は笛の名手であったということで、戦場でも演奏していたと云われています。
宝物殿の前の庭には一の谷の戦いでの平敦盛と熊谷直実の戦いのシーンが再現してあります。海の中にいるのが平敦盛、砂浜上が熊谷直実と思います。
何度見てもいいお庭です
須磨寺にもう一度来れるとは思ってなかったので青葉の笛が見れて満足です
16時30分今日は早めのあがりとなりました
大した距離にはなりませんでしたが、源義経が通ったかもしれない山道を同じように走れて面白かったです
最後まで長々ありがとうございました
ゴールデンウィークの天気が気になっております
大した距離にはなりませんでしたが、源義経が通ったかもしれない山道を同じように走れて面白かったです
最後まで長々ありがとうございました
ゴールデンウィークの天気が気になっております