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pripocoの休日

ジョギング観光〜矢掛町〜その弐

前回のリアル「じゃあ、いいですぅ」と同じ、矢掛宿の中身的な続きです。

こんなに観光地だとは思わず、ジャージを着て、走りでやってきた私達

10月3日(日)☀
参加者:私と夫の2人

岡山県小田郡矢掛町
旧山陽道の江戸時代の風情が残る町並

「問屋」の無料に吸い寄せられ入る
バネルの展示があり、資料館になってます。

オッさっき車停めたとこの吉備真備(きびのまきび。※語呂がいいので私も聞き覚えが…)

身分が低いながら、天才で遣唐使として一度目は17年も唐で勉強し、
戻って来てからは朝廷の偉い人に仕えたそうです。

出てきました❗ロマンの旧山陽道
江戸時代の五街道には含まれていませんが、

大陸からやってくる外交使節や国司の移動に使われ、
古代の7道の中では最もメジャーな
街道だそうです。

今いる「矢掛宿」から東へ行くと
岡山と兵庫の境目近くの
「三石宿」まで載ってます。

その少し先に、
こないだジョギング散策した、

「野磨馬駅跡」があり、
↑きっと赤丸のあたりです。

これは古代山陽道の馬駅跡なので近世、中世とは異なりますが…

今いる「問屋」の説明があります。

「裏の本陣」と言われたそうです。

宿場の大事な仕事の一つとして、
公用の人や荷物を次の宿場まで運ぶこと。
「伝馬役」と呼ばれたそうですが、
間口が広いとその負担が大きくなり、
皆、間口は狭く…

これらにかかる経費の割り当てを取り仕切っていたのが「問屋」。

その経費の割り当ても通りに面する間口の広さや石高で決められたとあります。年貢の免除も。

問屋は「裏ボス」

間口が狭い分、奥行きはめちゃめちゃあります

こんな感じでずうっと奥に続いているので…
でも、

↑これが矢掛本陣石井家住宅
(参勤交代の時に大名が宿泊)

↑これが矢掛脇本陣高草家住宅
(お供の者たちが宿泊)
間口が何軒分もあるし、奥行きも先の写真と同じ😲

脇本陣の細~い通路ですが、
めちゃめちゃ長い

300年以上、変わらぬ町並みだそうです

問屋の他の仕事の一つに「継飛脚」なるものがあるそうです。
「飛脚」は今で言う、郵便や宅配便。

次の宿場まで順送りに、二人一組の飛脚が幕府の公用文書や御用物を運んだそう。
今の世の中では考えられないですが、
でも、そう考えると、「郵便物」って無くせそうなのになくなりませんね🤔

旧山陽道はずぅっと続きます。
兵庫県の県境まで5つの宿がありますが、

矢掛宿がある矢掛町は岡山の西の端。
兵庫県との県境まで結構あります

ググると…えッ100km
「あっそんなにないんや
と思ってしまいましたが…

ちなみに私の住む兵庫県の横幅は
111kmでした。

でも、100kmを足で移動だから
それはそれは大変です

宿場がだいたい均等にあるとしたら
岡山県内では次の宿場まで約20kmでしょうか

一日20kmなら歩けるかぁ🤔
いやいや、岡山を出るのに5日以上かかるし…

↑こんな常夜燈はところどころにあっても夜は真っ暗闇では歩けませんよね
そもそも足で移動するのは本当に大変。昔の人達はすごいです

昔の人達の歩いた道が、現代にも通ずる同じ道というのは、そこに自分が立っているだけでも感慨深いです

今日も歴史の中の勉強ができました

私達の一日もあっという間に終わり、真っ暗に

↑吉備真備公園に車を止めたので、
矢掛町へ往復10kmの移動が含まれてます






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