赤穂市の「旧赤穂上水道」巡りの続きです
参加者:私と夫の2人
赤穂の城下では海に近いので地下水が飲用できず、1616年千種川の7km上流から取水し、そこから城下まで水を引いて飲料水としていたそうです
A地点の隧道が見つけられず、前回B地点のところでブログを終えた、その後のことです。
千種川の堤防を南へ、車で移動。イオンに車を停めて出発
イオンから少し北側のD地点〜E地点の下側に位置する水色の水路が集中する城下町へ。
いつも、交差点のところで気になるレトロな消防車🚒今日は車の窓越しじゃなくて直接見れました👀
E地点
案内看板が立ってます。
案内看板が立ってます。
旧赤穂上水の戸嶋桝跡で今も水路があり、西へ塩屋方面と南へ赤穂城跡方面へ分かれます。
江戸時代初期、赤穂城築城の際、井戸を掘ると海水が湧いたので、飲水を確保するために上水道を敷くことを計画。なんと昭和19年まで現役だった
この頃はまだ桜が咲いていませんでした。
北側から見たJR播州赤穂駅です。
こちら側に来るのはお初デス
駅の構内には赤穂浪士の討ち入りのパネルが。
うわっやられた
駅の構内には赤穂浪士の討ち入りのパネルが。
うわっやられた
駅の観光案内所の入り口に置いてあるお知らせ看板に私達が今やってる散策と同じ催しが、本日あったようです
説明してくれる方付きはいいですよね
南側の正面から見た播州赤穂駅。
駅前の銅像は忠臣蔵の大石内蔵助でしょうか
まさに今日の上水道と大好きな忠臣蔵で赤穂の街がPRされてます
駅に寄り道してしまったので、水道のモニュメントを一つ飛ばしてしまったようですが、
その次のモニュメントとして案内されてるところに来てしまいました
その次のモニュメントとして案内されてるところに来てしまいました
道と道の合流地点に水が吹き出す水道モニュメント
「赤穂藩上水道」となってます
「赤穂藩上水道」となってます
赤穂藩は日本初の水道トンネル(隧道)となる切山隧道を掘削し、更には導水路や導水管によって侍屋敷や町家の各戸まで給水するという、この時代に既に上水道システムを城下に巡らせました
ここを南に下れば赤穂城です。
ここを南に下れば赤穂城です。
次は「息継ぎ井戸」
先程の噴水様のところから、南にやってきた交差点デス🚥
ちょうど17時でからくり時計が動き始めました
息継ぎ井戸。
ちょうど17時でからくり時計が動き始めました
息継ぎ井戸。
(本当は井戸ではありません細かいことを言えば、コレは上水道に繋がってる汲出桝デス)
赤穂城主の浅野内匠頭が松の廊下で吉良上野介を斬りつけた刃傷事件が起こったことを知らせる早駕籠に乗ってきた知らせの者がここで一息ついて大石内蔵助邸に行ったとあります。
(いや、もうそこやのに…。でも、早駕籠が高取峠を超えてきたと考えたら…。ヤレヤレ赤穂に着いたという気持ちと、重大事を伝えなければならないので心を落ち着かせての一息の息継ぎ井戸と考えたら…感慨深い井戸に見えてきました👀。高取峠は赤穂と相生の境の峠で江戸時代に浅野氏が今の高取峠より南東の標高の低い位置に官道として道を整備した参勤交代のルートです。)
このような汲出桝が侍屋敷や町家に設置され、今もこれを残す民家もあるそうです。
江戸時代の区割りと現代とがほぼ同じということなので面白いです。
そのまた南に「百々呂屋裏(ももろやうら)大桝」
↓歩道上にその桝が形どられてます。
ここの桝でろ過されゴミが取り除かれて暗渠となり各戸へ導水管で運ばれていました。
息継ぎ井戸のところに昔の地図があり、船入場を見に行くことに
↓歩道上にその桝が形どられてます。
ここの桝でろ過されゴミが取り除かれて暗渠となり各戸へ導水管で運ばれていました。
息継ぎ井戸のところに昔の地図があり、船入場を見に行くことに
この船入場から赤穂の塩がブランド塩として全国に流通していました
赤穂の城下町はきれいに整備されてて松並木とお土産屋さん、食べ物屋さんが軒をつらねていて素敵です。姫路城周辺にもあったらなぁ…と思います。
もちろん埋め立てされて船入場は現代には残っていません立派な陸地でしたが、江戸時代後期には埋め立てられたそうです
もちろん埋め立てされて船入場は現代には残っていません立派な陸地でしたが、江戸時代後期には埋め立てられたそうです
ここから東へ少し行くと、
今は細い川になってますが、ここは昔、海でたくさんの船が行き来してたと思われます。
元の道にもどり、あれっ
歩道上のマンホールに「旧上水道」と書いてありますそうか、暗渠になった上水道は今いるこの歩道の下を通ってるということですね
もう一つ、可愛いの発見
赤穂って感じが出てます字体も和で、「播州赤穂」って
今は細い川になってますが、ここは昔、海でたくさんの船が行き来してたと思われます。
元の道にもどり、あれっ
歩道上のマンホールに「旧上水道」と書いてありますそうか、暗渠になった上水道は今いるこの歩道の下を通ってるということですね
もう一つ、可愛いの発見
赤穂って感じが出てます字体も和で、「播州赤穂」って
そうこうしているうちに、町家の各戸を潤してきた旧上水道の終着点、赤穂城跡に到着。
入り口手前の公園に旧上水道の案内板
入り口手前の公園に旧上水道の案内板
すごいですよね既に江戸時代にこの導水管が地中に埋まって飲水が各戸に供給されてたって
実際に発掘で見つかった旧上水道の導水管。つなぎ目はもれないように漆喰で塗り固めてあったそう。
赤穂城跡は堀と海に囲まれているため、サイフォンの原理で堀の下を通って城内へ配水されていたそう
これが導水管の古陶管。
焼き物だったのか…。コンクリートもプラスチックもない時代だから
お金かかってますぅ💰
この大手橋の下を導水管が通り、サイフォンの原理で城内へ。
↑あれ〜っ
この大手橋の下を導水管が通り、サイフォンの原理で城内へ。
↑あれ〜っ
橋の下、パイプ見えてるで(このパイプはちゃうやつかな)
大手門を入った右手に桝が…。
大手門を入った右手に桝が…。
汲出桝かなぁ
大石神社に到着。もう18時で夕日が沈みます🌅
城内に入った水は侍屋敷や庭園、御殿に配水されて、外堀を潤して瀬戸内海に放出されたそうです。
これで、赤穂旧上水道散策完了
帰り道は町家が残る通りを通って帰りました
赤穂の街を歩いたのは初めてでしたが、とてもおもしろかったです
歩いてみないと分からない景色がたくさんありました