"FOR THE CUSTOMER"

創業120年の建設会社「今西組」の六代後継者が あなたの”いいね”を築く!

「インド、行って得たもの、その解説」

2010年02月23日 21時46分53秒 | Weblog
藤原新也の「印度放浪」の中で、インドにいた感想を聞かれ「負けて帰ってきたよ」とコメントする場面を急に思い出した。
それを読んだのは確か、ガンジス河のほとりにあるヒンドゥー教の聖地、バラナシから夜行電車に乗ってタージマハールのあるアーグラーに向かう途中だった。
すでに胃腸炎が進み、旅行なかばにして「帰りたい、かも」と思ってしまうシーンの最中。
帰ってから「インドどうだった?」と聞かれても、「楽しかった」と言い切れず、ようやく出てきた言葉は「うん、満足でした」であった。

ちょっとインドにいたくらいで、すごいものを得たようなつもりになるのは不肖である。
だが、行って得たものを自分なりに、人生経験として、心に収めるのは私の自由である。
【行って得たもの。】
① 人生、私は幸せを浪費していた。浪費し続けていたことに気づいた。
② チャンスがたくさん身の回りにあるにも関わらず、それと気づかずに通り過ぎていた気がした。
③ 自分の特技って、一体なんだっただろう。



【解説。】
① 幸せはつかみとるものだ。②に続く。
② インドにはカースト制が未だ色濃く残っている。上流階級はいいが、働く機会を与えられずに子供に物乞いをさせて生計をたてる大人、駅の周りで観光客の荷物を運んでチップをもらおうとし続ける青年、赤信号をねらい静止する車のドアを叩いて花を配り1ルピー(2円)をねだる少女、駅のホームで電車を待つ観光客に近づきサーカスの真似事をやってみせてチップを一人前に要求する3歳くらいの兄弟。
彼らに、たとえば日本に留学する、というような機会がもてる確率は0%に近いだろう。
そのようなチャンスは巡っては来ない。
カーストの壁は高いし、厚い。
だが一般階級から最近ニューリッチ層と呼ばれる富裕層にいたるまでは、成長著しいインド、チャンスの宝庫である。
また今回のインド人ガイドと付き合って思ったことだが、彼らは決してチャンスを逃したりはしないし、チャンスをつかむために、夢中で努力をしている。
そのインド人ガイドは、若干20歳ながら、インド雑貨や食品を日本に輸出するビジネスがしたいという夢を実現するため、大学で日本語のカリキュラムを18歳から学び、ガイドの仕事等で得る月収10000ルピー(20000円、チップ含む)の大半を貯金にまわし、日本の留学資金にあて、語学一級(というものがあるようだ、漢字を何百字とか)の試験に日本で受かって初めて、インドに帰れる、こう言っていた。
そういえば、リクシャーという人力車のドライバーも、観光客を乗せるために英語を話していた。
英語ができれば、観光客用の料金を稼げるからだ。
また数少ない日本語ガイドは、「悠久のインド」的な旅行をする高齢者グループをねらえば、おそらく法外なチップがもらえることだろう。
インド人相手と観光客相手とでは、あらゆる物価が異なっている。

各々、夢が現実的であった。
各々、自らが得たスキルはすべて、生きるために最大限活用していた。
生きるために、スキルを身につけていた。
カーストのためにチャンスのない層と、生活の中で身近に接するため、自分こそは与えられたチャンスは生かそうと、思い込み易いのかも知れない。
だから彼らは決してチャンスを逃したりはしないし、チャンスをつかむために、夢中で努力をしている。

振り返れば私。
建築士をとって、些か満足していた。
資格とは決して手段であって、目的ではないのは頭ではわかっていた。
けれど、私が生きるために最大限活用しているとは到底言い切れないことに気づいた。
そもそも、何のために?

活かさなければいけない。
生かさなければならない。
チャンスを窺っていかなければならない。

多少逆説的ではあるが、私としても、いくら継ぐといっても、会社に甘えてはいけない。
建設会社なんだし、この恵まれた環境、やろうと思えばなんだってできる。
豊田家だって家訓に「継ぐ立場たる者、継ぐ前に、一度は自ら会社を創る経験をしなさい」とある。
③ 特技があれば、それを活かしてみるほど手っ取り早いことはない。私は計算や暗算が速いことを特技と一応言っている。A,「計算協会」みたいなところで、計算が速い連中同士の交流や競技会があれば、参加するのは面白そうだ。計算で生計を立てている人はそんなにいないだろう。みんな職業に就くか、あるいは自営でやっているかもしれない。好きな計算を通じて、異業種交流ができるのはすばらしいことではないのだろうか。私はもちろん、会社のネットワークとしても、きっといいことがあるだろう。

「よどみ、事業予算、設計意図」

2010年02月23日 21時46分05秒 | Weblog
昨日は支店にて会議があるため、出張していた。
無論、それだけでは旅費がもったいないし、わざわざ来て定例会議のみの参加というのも価値が薄いため、定年で退職なされる顧客企業の担当の方に、お別れの挨拶を兼ねて。
そして支店。
何かを感じる。
萎縮?空気がよどむ。
みんな、何かを私に言おうとしていた。
その言う機会を、探っている気配がした。
次年度の予算や人事体制の打ち合わせをしているのを察してか?

組織を人で成り立たせているとはいえ、社員の評価を担当上司伝いですべて判断してしまうのはリスクだ。
担当上司の示す、概ねの方向はあっているかもしれない。
しかし前向きであれ、後ろ向きであれ、何らかの人事異動を決断しようと思えば、直接本人と会話するのを避ける理由はない。
自らの見解はもっておかないと、言いくるめられて終わり。
言い分を鵜呑みにしてしまって、終わり。
かえって組織を守れなくなるような気がする。
カーライルというイギリスの歴史家が、「衣装哲学」の中でこういっている。
「人間は、すべて誤解しあうほど理解し合えればどんなに幸福だろう。」
人間というものは、互いに誤解しあっておるものだ、本当に理解しておるということは少ないものだということを嘆じている名言である。

機会は、こちらからつくれば何度でもある。
要は、私がこれから何をしたいか、それを実現するための手段として、事業予算なり、組織編成に「芯を据えて」表していくことだ。
そういう意味で、今回、遅かれ早かれ、初めて次年度の事業予算組に携わっておいてよかった。
会社がどう成り立っているか、または成り立っていないかがよくわかった。
取り除くところ。
減らすところ。
増やしたところ。
付け加えたところ。
建築士として、まさか事業予算の設計が最初の仕事だとは思わなかった。

設計には、必ず設計意図がある。
意図のない設計に、時間を費やすことを事務処理という。
私が処理に埋没している場合ではない。
処理は任せる。
「君子豹変」は私が執る。

「埼京線、新幹線の待合スペース、【だれに?】」

2010年01月22日 22時23分39秒 | Weblog
埼京線が車両点検で遅れているという相変わらないニュースを山手線の社内で目にする。

目にする、とは列車のドアの上に液晶ビジョンがあって、時事ニュースや「目黒まで何分」や遅延の情報をリアルタイムで利用者に提供しているからだ。

そういえば韓国の地下鉄も液晶ビジョンが充実していると聞く。

大阪ではJRにはあるが地下鉄や私鉄はあまり目にしない。


いつも新幹線に乗るとき、思うことがある。

私は大抵、次に乗車可能な「のぞみ」を予約し、さっと乗ってしまう。

あらかじめ時間がきまっていても、ぎりぎりに着くため時間をつぶそうと思ったためしがない。
東京駅構内の「グランスタ」脇、待合スペースの強烈な人だかり。

彼らが本当に列車に乗ろうとしているのか、わからない。

目的のみえないヒトの群れからは、特に高齢の方ばかりであればあるほど、大変申し訳ないが、アジア的というか、混沌とした喪失感を感じざるを得ない。


話しの対象を、私のような会社の後継者や、建設業営業マンに関する話題へと変える。

ある種の悩みや問題というものは、誰にでも相談すればよいというものではない。

かといって一人で悩むとストレス社会の奴隷と化する。

大事なことは、いったいだれに、相談を求めるのかが重要なのだ。

だれに。

最適と思える相談相手に、すべてを打ち明け、なるほどという回答を期待する。

今日も、新宿で、とてもいい出会いがあった。

いろいろ懇切丁寧にご教示いただいた。

「いちど社長になる前に、何か違う形でトップの経験を積む必要があるぞ」

「登山家でもあった、あなたの祖父のルーツ【なぜ山に登ろうとしたのか】を探ることは、組を継ぐあなたにとってのルーツ【なぜ継ぐのか】の答えを決定づける、とてもいい参考になると思うよ」

「あなたの会社のホームページからは、ロマンは感じるがビジョンは感じられないよ」

なかには、まだ私にとって高尚すぎる教示なのか、よく納得できなかったので、若輩ながら意見いたしたい、以下のようなものもあった。

【「一を話し、十を聞きとろうとする」姿勢が望ましい】
→とは、情報の不足感が当たり前であった以前の世界でのやり方。

情報が飽和し、ある程度であれば誰でも知れるようになった現代においては、いかに質の高い情報を聞き取ることができるかが重要であるように思う。

そのためには、「十を話しきり、スペシャルな一を応えていただける」スペシャルな相談相手が必要であるように思った。



だれに?

最適と思える相談相手に、すべてを打ち明け、なるほどという回答を期待する。

弁護士?

税理士?

会社の「じい」?

会社経営者?


いずれにしても、先祖や先輩に感謝の連続である。

「カレル氏、ヒマンシュ・エレクトリック社、虎視眈々」

2010年01月09日 10時57分35秒 | Weblog
「社長、インドからお電話です。」秘書が慌しく言い放つ。

こちらをむく余裕はないようだ。

「はい、代わりました」

「こちらデリー現場の山本です。」

「時差があるから、、、もう夜の6時か?」

①「はい。実は我々の共同住宅の施工を、発注者のカレル氏が大変気に召されたようで、知り合いの携帯広告会社の社長を是非紹介したいとおっしゃっておられるのですが」

「現場には携帯広告会社の社長はいらっしゃったのか」

「はい、昨日、丸一日おられました。おかげでほとんど仕事はできませんでしたが」

「工期は詰まってきているのか」

「現地の調達スピードは、日本とはずいぶん分が違うようです。文化観の違いもあるかと思います」

「遅れそうなのか」

「たまたま現場の近く、車で2時間くらいでしょうか、現地日本法人の資材工場があります。

そこが製品の品質もよいので直接注文していて、納期はきっちり守ってくれて心配はありません。

労務についても作業スピードは予想通りの遅さで、そこは工期に織り込んでいたので問題はないと思います。

なにしろ土木作業員はほぼ全員がヒンドゥー教でしたので、宗教観の対立は今のところありません。

問題は外注分です。施主指定の電気設備業者「ヒマンシュ・エレクトリック」社が定例会議に来てくれません。

工程の説明が滞り、職人の数が予想を下回っております。

それについては昨日、その携帯広告会社の社長とカレル氏と同行しているときに、直接カレル氏に伝えてもらえるようにお願いしました。

インドでは知人のいる状況で、互いの建前に非情なプライドを持つ国民性のようで、電話のように二人だけで話すときよりも、誰か第三者がいたときのほうが意見を聞いてくれるのです。

無理して格好つけて、とんでもないことを言う時もありますが。

私もようやくコツをつかんで来ましたが、もう工事も終わりですね(笑)」

「携帯広告会社からは受注が見込めそうなのか」

「先ずそのオーナーが自邸を作りたいとおっしゃっております。

さらにインドは携帯普及率がうなぎのぼりのようで、広告を出せば必ず知名度は広がる、インドの建設会社は社会的に信用が低く、競合他社はドイツやEUの建設会社となるだろうが日本企業はまだ知らない、だからチャンスはあると思う、一度社長とお会いしたいとのことです」

電話を切った後、まだ慌しそうにする秘書に社長は言った。

「至急、デリー行きの飛行機をおさえてくれ。

2010年代がスタートした。

「虎」視眈々(こしたんたん)と窺っていこうじゃないか。