"FOR THE CUSTOMER"

創業120年の建設会社「今西組」の六代後継者が あなたの”いいね”を築く!

社員第一、枠、世界でーー

2009年05月22日 21時32分07秒 | Weblog
長らく、ブログ投稿を怠けてしまいました。

本日、あらためて気づきました。

社員のことが、大好きであることを。

「みんな、ブログ、見ているよー。」

それを気づかせてくれたのは、当社の社員でした。

「お客さん、みんな、ブログ、見ているよ。」

聞いてもいないのに、教えてくれる。

会社での関係を越えた、私に対する自発的な言葉。

こんなにありがたいことはない。

私ども中小企業において、経営者側からすれば、枠からはみ出ようとしない社員は少し悲しい。

枠を無理やり与えていれば別だけれど、

枠を自ら囲いこむ「ひきこもり」社員と対話するのは難しい。

雇用させていただく側にとって、派遣社員と社員の違いはそこにある。

理想の言葉。

「俺に任せてもらえれば、絶対いい建物、創って見せますよ。」

言葉は続く。

少し、酒に酔っているのかもしれない。



なぜ俺は、こんな苦しい現場所長を、仕事としてやっているのだろう。

原点に返ろう!

心のどこかで、きっと、譲れない自分だけの「プライド」があるに違いないのだ。

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誰にもいえない言葉がある。(とその社員は言う。)

「俺が創った建物が、世界で、一番、かっこいい。」



こういう方とめぐり合えたことを、生涯忘れずに生きて生きたい。

優秀、「認められてなんぼ」、西松建設

2009年03月11日 16時15分18秒 | Weblog
受験競争や新入社員だった過去において、非常に優秀といわれながら、仕事において決して優秀と言われない人物がいる。
不幸なことに当人はそのことに気づいていない。
与えられた課題に対して、最適解を導いていると思い込みたいし、思い込まずにはいられない。
当人がそのつもりでいればいるほど、自分の能力が、交渉相手や社内で認められないことがなぜだかわからない。
それが繰り返されると、今度は解く行為そのものが恐怖だと感じるようになり、自ら生理的にそういう状況を避けようとし、自己保身に走ることでバランスをなんとかたもとうとする。
悪循環のスタートである。
そう、最適解ではなかったのだ!
彼は、彼の知っている答えを、さも「彼が初めて見つけた」ように説明し続けたに過ぎないのだ。
彼は、心凍らせた。
結果として社内に眠る遺産となる。
折角の相談相手や友人に対しては「自分がいかに優秀か」を諭す言葉しか出てこない。
もっと、誰も聞いてくれなくなるだろう。
さらに孤独になり、さらに打たれ弱い人物となっていくのかもしれない。

頭が冴えるというのと、適応能力に長けているということとはイコールではない。
「その実務に向いてない」ことだってあるに違いない。
研究者や評論家のほうが向いているかもしれない。
大事なのはいさぎよく方向転換を図れるかどうかである。

ただ、もし「認められてなんぼ」の世界を生きるならば、最適解とは「認められること」であり、覚悟をもって真正面から立ち向かう情熱が必要に思う。

映画「シャークウォーター」で、市場で高値で売れるからといってエイヒレの乱獲を目的に鮫を殺し続けるエクアドルの「地球最後の楽園」ココス島の漁師に対し、阻止を続ける環境保護団体の長は言う。
「ガンジーやマンデラ、マザーテレサを見よ。
世界を変えるのは、結局のところ、大統領や法律ではなく運動にある。
運動を維持するのには圧倒的なエネルギーが伴う。
その覚悟と情熱なしに、なにも変えることはできない――」

私は、受験戦争のころからの癖というか習慣で、優等生になれば誰からも認められるのかと頑張ってきた時代があった。
だが、いくら優等生になっても「決して認めてくれはしない」ことを、修行時代、弊社の工事現場は私に教えてくれた。

奇しくも建設業界、「認められてなんぼ」の世界である。
「金もうけ」が目的で当業界に入る人は非常に少ない。
新卒の若者に見放されそうな業界の筆頭である。
けれどもし、誰か一人でも「ものづくり」への情熱をもちつづける方がいるのであれば、
私はあなたと、やがて「互いに認め合う」関係として、当社の将来だけでなく、この業界を、なんとか希望のあるものにしていきたいと切に願う。


西松建設のニュースは、新卒の学生が就職活動の際、最初にもつ業界への失望感を加速させていく。
されど業界シェアベスト10に入る規模の会社である。
未来の業界のリーディングカンパニーを目指すのならば、一刻も早く全世界で営業活動を一時休止してほしい。
ただでさえ国内で数少ない市場のパイを奪い合う競争過多の世界である。
真面目に経営する50万社に対する説明責任は、重い。

ライトスタンド、「気持ちは形に現れる」、感謝を込めて。

2009年03月05日 09時39分28秒 | Weblog
今朝、会社で、とても大事な方からお届け物を頂いた。

開けた瞬間、まるで阪神、金本のライトスタンドにとびこむ逆転ホームランを見たときのような、あついものを感じた。

酒瓶に、私の名前が、刻まれていた。

ラベルではない。

首の部分には、会社の名前まで。

もしかしたら、体温が1-2℃上昇したかもしれない。


おこがましいようで恐縮だが、気持ちを形に表すことの出来る方は本当にすばらしいと思う。

昨今、伝える言葉さえ、見つからないで困っている若い方が多いと聞く。

時代においても、また社内においても、先行きの不透明さというものは、かえってそこに属する方々の行動を我慢させ、ストレスを溜めさせる要因となる。

悪循環から抜け出るために。

「気持ちは形に現れる」

ものづくりに携わる以上、特に「無から有形をつくり上げる」建物づくりにおいても、

この「基本中の基本」を忘れないようにしていかなきゃっと真面目に思いました。

しかし、驚きました。

本当にありがとうございます。

現地調査、「とっさの一言」、感情移入

2009年03月04日 23時42分54秒 | Weblog
ふと、「ああこの人と会えてよかった」と思うひと時を感じるときがある。

その瞬間とは、さりげなく、私の人生を味わいのあるものに深めてくれる。

もちろん、仕事で出会う方々にも共通して言える。

現地調査のあと、最寄り駅まで送ってもらう車の中。

たまたま隣に座ったロータリー例会での方との雑談。

脳裏に残る「とっさの一言」に、とかく私は影響されやすい。

でも求めているのかもしれない。

ただ優等生を演じるだけだったら、誰でもできる。

一見仕事のできそうなふりをすること。

だが果たしてその行為は幸せと呼べるだろうか。

本当に大切ななにかに触れるために、とことん相手と絡んでゆく。

自ら心を解き放ち、相手に感情移入することこそ、相手を知り、そして自らを知ってもらうもっとも重要な行為だと思っている。

しかし今日も飲みすぎたなあ。

さ、明日もいいことがありますように。


桜の見ごろは早まるようですよ。

2009年03月04日 08時13分54秒 | Weblog
先日は夜に降りしきる雪の中、設計事務所の方々との意見交換に神田へ出かけた。

競争激化による低入札に悩むのは、どうもゼネコンだけではないようだ。

工事費として原価が明瞭であるため、増減の説明がしやすい施工業者の見積りに対し、壁線一本いくらとは言い切れない事務所事情は、昨今の役所指導、特に構造に対する厳格化の波によって、原価にもろに反映されてしまう。

説明可能な原価上昇の必要分と、低価格でないと受注できない入札の関係。

つらいのは、当社だけではない。

スズキの鈴木社長は、メディアを通して、「原価改善とは、下請け業者をいじめることではなく、社内のムダを取り除くことである」と語っていた。

ムダは、本人ではなかなか気づけないもの。

私自身も、ムダがたくさんあるだろう。

そんな私に、気軽に指摘して頂けるよう、相談相手になってほしい。