藤原新也の「印度放浪」の中で、インドにいた感想を聞かれ「負けて帰ってきたよ」とコメントする場面を急に思い出した。
それを読んだのは確か、ガンジス河のほとりにあるヒンドゥー教の聖地、バラナシから夜行電車に乗ってタージマハールのあるアーグラーに向かう途中だった。
すでに胃腸炎が進み、旅行なかばにして「帰りたい、かも」と思ってしまうシーンの最中。
帰ってから「インドどうだった?」と聞かれても、「楽しかった」と言い切れず、ようやく出てきた言葉は「うん、満足でした」であった。
ちょっとインドにいたくらいで、すごいものを得たようなつもりになるのは不肖である。
だが、行って得たものを自分なりに、人生経験として、心に収めるのは私の自由である。
【行って得たもの。】
① 人生、私は幸せを浪費していた。浪費し続けていたことに気づいた。
② チャンスがたくさん身の回りにあるにも関わらず、それと気づかずに通り過ぎていた気がした。
③ 自分の特技って、一体なんだっただろう。
【解説。】
① 幸せはつかみとるものだ。②に続く。
② インドにはカースト制が未だ色濃く残っている。上流階級はいいが、働く機会を与えられずに子供に物乞いをさせて生計をたてる大人、駅の周りで観光客の荷物を運んでチップをもらおうとし続ける青年、赤信号をねらい静止する車のドアを叩いて花を配り1ルピー(2円)をねだる少女、駅のホームで電車を待つ観光客に近づきサーカスの真似事をやってみせてチップを一人前に要求する3歳くらいの兄弟。
彼らに、たとえば日本に留学する、というような機会がもてる確率は0%に近いだろう。
そのようなチャンスは巡っては来ない。
カーストの壁は高いし、厚い。
だが一般階級から最近ニューリッチ層と呼ばれる富裕層にいたるまでは、成長著しいインド、チャンスの宝庫である。
また今回のインド人ガイドと付き合って思ったことだが、彼らは決してチャンスを逃したりはしないし、チャンスをつかむために、夢中で努力をしている。
そのインド人ガイドは、若干20歳ながら、インド雑貨や食品を日本に輸出するビジネスがしたいという夢を実現するため、大学で日本語のカリキュラムを18歳から学び、ガイドの仕事等で得る月収10000ルピー(20000円、チップ含む)の大半を貯金にまわし、日本の留学資金にあて、語学一級(というものがあるようだ、漢字を何百字とか)の試験に日本で受かって初めて、インドに帰れる、こう言っていた。
そういえば、リクシャーという人力車のドライバーも、観光客を乗せるために英語を話していた。
英語ができれば、観光客用の料金を稼げるからだ。
また数少ない日本語ガイドは、「悠久のインド」的な旅行をする高齢者グループをねらえば、おそらく法外なチップがもらえることだろう。
インド人相手と観光客相手とでは、あらゆる物価が異なっている。
各々、夢が現実的であった。
各々、自らが得たスキルはすべて、生きるために最大限活用していた。
生きるために、スキルを身につけていた。
カーストのためにチャンスのない層と、生活の中で身近に接するため、自分こそは与えられたチャンスは生かそうと、思い込み易いのかも知れない。
だから彼らは決してチャンスを逃したりはしないし、チャンスをつかむために、夢中で努力をしている。
振り返れば私。
建築士をとって、些か満足していた。
資格とは決して手段であって、目的ではないのは頭ではわかっていた。
けれど、私が生きるために最大限活用しているとは到底言い切れないことに気づいた。
そもそも、何のために?
活かさなければいけない。
生かさなければならない。
チャンスを窺っていかなければならない。
多少逆説的ではあるが、私としても、いくら継ぐといっても、会社に甘えてはいけない。
建設会社なんだし、この恵まれた環境、やろうと思えばなんだってできる。
豊田家だって家訓に「継ぐ立場たる者、継ぐ前に、一度は自ら会社を創る経験をしなさい」とある。
③ 特技があれば、それを活かしてみるほど手っ取り早いことはない。私は計算や暗算が速いことを特技と一応言っている。A,「計算協会」みたいなところで、計算が速い連中同士の交流や競技会があれば、参加するのは面白そうだ。計算で生計を立てている人はそんなにいないだろう。みんな職業に就くか、あるいは自営でやっているかもしれない。好きな計算を通じて、異業種交流ができるのはすばらしいことではないのだろうか。私はもちろん、会社のネットワークとしても、きっといいことがあるだろう。
それを読んだのは確か、ガンジス河のほとりにあるヒンドゥー教の聖地、バラナシから夜行電車に乗ってタージマハールのあるアーグラーに向かう途中だった。
すでに胃腸炎が進み、旅行なかばにして「帰りたい、かも」と思ってしまうシーンの最中。
帰ってから「インドどうだった?」と聞かれても、「楽しかった」と言い切れず、ようやく出てきた言葉は「うん、満足でした」であった。
ちょっとインドにいたくらいで、すごいものを得たようなつもりになるのは不肖である。
だが、行って得たものを自分なりに、人生経験として、心に収めるのは私の自由である。
【行って得たもの。】
① 人生、私は幸せを浪費していた。浪費し続けていたことに気づいた。
② チャンスがたくさん身の回りにあるにも関わらず、それと気づかずに通り過ぎていた気がした。
③ 自分の特技って、一体なんだっただろう。
【解説。】
① 幸せはつかみとるものだ。②に続く。
② インドにはカースト制が未だ色濃く残っている。上流階級はいいが、働く機会を与えられずに子供に物乞いをさせて生計をたてる大人、駅の周りで観光客の荷物を運んでチップをもらおうとし続ける青年、赤信号をねらい静止する車のドアを叩いて花を配り1ルピー(2円)をねだる少女、駅のホームで電車を待つ観光客に近づきサーカスの真似事をやってみせてチップを一人前に要求する3歳くらいの兄弟。
彼らに、たとえば日本に留学する、というような機会がもてる確率は0%に近いだろう。
そのようなチャンスは巡っては来ない。
カーストの壁は高いし、厚い。
だが一般階級から最近ニューリッチ層と呼ばれる富裕層にいたるまでは、成長著しいインド、チャンスの宝庫である。
また今回のインド人ガイドと付き合って思ったことだが、彼らは決してチャンスを逃したりはしないし、チャンスをつかむために、夢中で努力をしている。
そのインド人ガイドは、若干20歳ながら、インド雑貨や食品を日本に輸出するビジネスがしたいという夢を実現するため、大学で日本語のカリキュラムを18歳から学び、ガイドの仕事等で得る月収10000ルピー(20000円、チップ含む)の大半を貯金にまわし、日本の留学資金にあて、語学一級(というものがあるようだ、漢字を何百字とか)の試験に日本で受かって初めて、インドに帰れる、こう言っていた。
そういえば、リクシャーという人力車のドライバーも、観光客を乗せるために英語を話していた。
英語ができれば、観光客用の料金を稼げるからだ。
また数少ない日本語ガイドは、「悠久のインド」的な旅行をする高齢者グループをねらえば、おそらく法外なチップがもらえることだろう。
インド人相手と観光客相手とでは、あらゆる物価が異なっている。
各々、夢が現実的であった。
各々、自らが得たスキルはすべて、生きるために最大限活用していた。
生きるために、スキルを身につけていた。
カーストのためにチャンスのない層と、生活の中で身近に接するため、自分こそは与えられたチャンスは生かそうと、思い込み易いのかも知れない。
だから彼らは決してチャンスを逃したりはしないし、チャンスをつかむために、夢中で努力をしている。
振り返れば私。
建築士をとって、些か満足していた。
資格とは決して手段であって、目的ではないのは頭ではわかっていた。
けれど、私が生きるために最大限活用しているとは到底言い切れないことに気づいた。
そもそも、何のために?
活かさなければいけない。
生かさなければならない。
チャンスを窺っていかなければならない。
多少逆説的ではあるが、私としても、いくら継ぐといっても、会社に甘えてはいけない。
建設会社なんだし、この恵まれた環境、やろうと思えばなんだってできる。
豊田家だって家訓に「継ぐ立場たる者、継ぐ前に、一度は自ら会社を創る経験をしなさい」とある。
③ 特技があれば、それを活かしてみるほど手っ取り早いことはない。私は計算や暗算が速いことを特技と一応言っている。A,「計算協会」みたいなところで、計算が速い連中同士の交流や競技会があれば、参加するのは面白そうだ。計算で生計を立てている人はそんなにいないだろう。みんな職業に就くか、あるいは自営でやっているかもしれない。好きな計算を通じて、異業種交流ができるのはすばらしいことではないのだろうか。私はもちろん、会社のネットワークとしても、きっといいことがあるだろう。