JR宝塚線の脱線事故からもう15年。
(一般には福知山線脱線事故と言われますが、正しくは宝塚線です)
あの時私は前に住んでいた家で畑仕事をしていました。
夫の姪の「おばちゃん、大丈夫か?」という電話で事故を知りました。
急いでTVを見ると、とっても現実のこととは思えない映像が流れていました。
あの頃、大阪の義母の元へ週の半分行っていました。
最初は、
義母の目の下にできものが出来て膿んでいたので
病院通いをするために行っていたのですが、
1週間に1泊2日で通っているうちに認知症なのが分かって、
途中から我が家と義母宅と半分づつの生活になって、
1年くらい経ったころでした。
事故まではJRだったので宝塚を通過していたのですが、
事故後は宝塚で降りて阪急電車で通うようになりました。
その義母も一昨年亡くなり、
事故から15年の今日、あの頃のことを久しぶりに思い出しました。
あの時私は事故を起こした運転手のご両親を思いました。
自分の息子の死を表立って悲しむことも出来なかったでしょう。
運転手は半分はJRに殺されたようなものだと思ったものでした。
もちろん半分は彼自身の責任であって、
そのせいで多くの命を奪い多くの人生を狂わせてしまったのではあるのですが。
あんな悲惨な出来事はもうこれ以上は起こさないでほしいと。