こんにちは 進です。
昨日は震災から半年、しかも9.11からもちょうど10年と言うことで
全国各地でデモが開催されたようですね。
福岡でもサウンドデモが行われていて、できれば参加したかった。
普段はテレビ全く見ないんですが
昨日たまたま朝テレビをつけたとき津波の映像が流れていて
あのときの衝撃が再びよみがえってきました。
わたしもこの半年で、いろいろな人に会いました。
震災直後、千葉の浦安市に住んでいた女性は
液状化の被害がひどくライフラインが止まってしまい、
小倉の実家に一時避難している間にらくだにご来店されました。
もともと私が担当させていただいていた方で
まさかのご来店と再会を嬉しく思いながら
複雑なおもいで被害の話を伺いました。
また、千葉県の実家に奥さんやお子さんと暮らしていた男性で
震災後の原子力発電所の被害を恐れて京都に家族と一緒に移り、
新しい生活をしていると言う方と話をする機会があり、
その方はお子さんがまだ小さかったのでその将来を考え、
金銭的な負担は大きいけれど・・と引っ越しを決断したようです。
周りを説得するのはかなり大変だったようですが
「数年後に、“ビビッて損した。結局何も起こらなかったね”と笑えたらいいなと思うよ」
という言葉がすごく印象的でした。
家族と健康で暮らすことを最優先に考えた行動をとったこの方のことを
本当に尊敬したし、自分も結婚するならこんな人がいい。
他にも、関東から糸島に移住したマジシャンや
家族で大分の安心院に移住したミュージシャンとも知り合いました。
西への移住を行動に移した人はおそらく多いでしょう。
でも、それもほんの一部。
やっぱり、大半の人は現状を飲み込みながら住み続けている。
先月、神戸に旅行に行ったんですが、
そのとき入ったお店の男性が一人だけ関西弁ではなくて
話をきくと出身は東北の方でした。
その男性からきく震災の様子やその後の経過の話は
あのとき九州にいたわたしにとってかなり衝撃的で
テレビやネットが報道するニュースより何よりリアル。
知人伝いに転々と流れてきて、神戸に落ち着いたところだったようです。
「ふつうのことが、いまは本当に幸せでありがたいですね。」
「自分がいまこうして生きているのは、友人たちのおかげ。
当たり前だけど、困ったときに頼りになるのは縁なんですよね。」
という彼のシンプルな言葉が、なにより胸に響きました。
また、近いうちに東北に旅立つという男性とも神戸で知り合いました。
目的は詳しくきいていないけれど、おそらくボランティア。
震災直後は行っても逆に迷惑になるだけの場合も多いというけれど
震災から半年たって、状況はかわっているのかな。
彼は今、どんな思いで東北でくらしているのだろう。
いまここにあげたのは、知り合ったほんの一部の人。
震災がなければ出会うことのなかった人も多くいるのも事実。
たくさんのひとに出会い、話を聞くたびに
さまざまな思いが沸き起こり、
自分や周りの将来について考えたりしています。
先日、わたもまたひとつ、無事に年を重ねました。
東北に知り合いはいなかったけれど
この一年、病気や自殺で友人を3人亡くしました。
大好きな音楽家レイハラカミの急逝の知らせもショックだった。
今年誕生日を迎えられなかったたくさんのひとたちのことを
思わずにはいられない日となり、
今の自分のまわりの環境を幸せに思いました。
祝ってくれたたくさんの友人や家族に感謝。
いまのわたしの生きがいであるらくだにも、感謝。
そしてもうひとつ。
家族で千葉から京都に引越した例の男性が
「嘘がメディアから垂れ流されているのが耐えられない」
と言っていました。
わたしはテレビもみないし、新聞もとってないんですが
3月11日の震災以後、確かに何が真実なのかがわからなくなった。
今はTwitterを利用しているおかげで
いいも悪いも、いろいろな情報が入ってくる。
自分に必要な情報や真実は、自分で見極められる目を養いたい。
東北や福島に行って現実をみたい気持ちもあるけれど
それは今の自分にはできませんでした。
でも目を養うために、やっぱりいろいろなひとに出会うことが必要だと思います。
わたしが最近、よく遠出をするのはそのためかもしれません。
これから劇団の活動とは関係なく
ちょこちょこいなくなるかもしれませんが許してくださいね。笑
・・なんて、長くなりましたが、少しでも書き残しておきたくて
おもいのままにダラダラとかいてしまいました。
なんだかまとまりもなく読みにくかったかもしれませんんがすいません;;
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今日は十五夜。晴天。
今から平尾台にいって、空にうかぶお団子をながめてきます。