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昭和の想い出ーその5
『生と死と』
なかなかヘビーなタイトルですよね、『生と死と』って。
でも、これって本質的なところで日常なんですよね、触れることがないと考えませんけど。
僕は、幼少の頃は男の子とも遊んでいましたが、女の子ともよく遊んでいました。
“きょうこちゃん”ていう子が近くに住んでいて、幼い頃によく遊びに行っていました。
同い年か一つ上の子だったと思うのですが、何をして遊んでいたのかは覚えていないんですけど、なぜかきょうこちゃんのことを思い出すときに、お面が出てくるんですよね。
たぶん、一緒にお祭りに行ったりしたのかな~、ウルトラマンのお面のイメージがあります。
近所に住んでいた“まり”ちゃんは、同い年ということもあって家も近かったので、親同士も仲良かったように思います。
まりちゃんには妹が居て、妹さんのことは“あやちゃん”て呼んでました。
家から少し離れたところにまりちゃん家が引っ越ししてからは、顔を見ることもなくなったんですけど、25歳くらいのときに甲州街道であやちゃんにバッタリ会ったときはビックリしましたけど、月日が経っても一目みたら分かるもんなんですね~。
懐かしい話とか、お互いの最近の話とかしてお別れしたんですけど、懐かしい人にバッタリ会うのって、なんだか嬉しいものですね。
ガンのおじさん
さて、本題に入るんですけど、幼稚園か小学校低学年くらいのときによく遊びにいっていた“ちずこちゃん”の家に行った時の話です。
そのときはいつも居た、ちずこちゃんのお母さんは居なかったように記憶してます。
僕たちのいた部屋から見える隣の部屋には、初めて見るおじさん(子供からみえるおじさんだったので、まだ3~40代くらいだと思います)
その人は、隣の部屋のテーブルの前の椅子に腰掛けていました。
何をするでもなく、静かに座っている。そんなイメージでした。
すると、僕の耳元でちずこちゃんが囁きました。
『あの人ガンで、もうすぐ死んじゃうんだって』
『!?』
その頃の僕にとって、すごい衝撃でした。
ガンていう言葉は知ってはいましたが、当時はまわりの親戚にもいませんでしたし、ガンと診断される人は今ほど多く居なかったので、とても珍しい病気だと思っていたからです。
もうすぐ死ぬだなんて言われて、なんであの人は普通に座っていられるんだろう?
静かにその時を待っているように見えたその人が不思議でなりませんでした。
死と向き合っていたと思われるその人が静かに椅子に座っている姿は、今でも僕の脳裏に焼き付いています。
死というものを少しだけ考えた初めての記憶です。
その後、海に遊びに行って溺れかけて、死を意識する恐怖体験をすることになるのですが、その話はまた別の機会でさせてもらいます。
※実家前で、チコと親戚のゆきちゃんと
生と死と
幼稚園に行くか行かないかくらいの頃に、実家で犬を飼い始めました。
『チコ』と名付けたその犬は、柴犬のメスでとても頭の良い犬でした。
飴玉をあげると散歩中に、噛まずにずっと舐めていました。
たまにポロっと口から落としたら、口ですくってずっと舐めている、そんな犬でした。
そんなチコは、『生と死』を初めて僕に教えてくれた師匠なのかもしれません。
小学5年生頃のある日、隣の家のトッチとかピーマンと一緒に兄たちが駐車場で野球をやっているときに、僕は実家の二階にいたんですけど、『ニャー、ニャー』と猫の鳴き声のようなものが聞こえてきたんですね。
僕は、“もしかして!?”と思って、二階の窓から犬小屋を覗くと、身籠っていたチコが子供を産んだのです。
僕は「産まれたよ~」と、子犬が産まれたことを兄たちに知らせて、階段を駆け下りて犬小屋にいきました。
産まれたばかりの犬って、猫みたいに“にゃーにゃー”泣くんですね。
子犬は4匹生まれていて、めちゃくちゃ可愛かったのを覚えています。
4匹もうちで飼えないからと、1匹だけ残して他の3匹とは別れることになりました。
近所の野良犬との間にできた子供たちは、黒と茶色が混じったような色をしていました。
産まれた子犬4匹の中で、一番不細工で一番黒っぽかった犬をみんなで選んで決めたように思います。
とても黒っぽかったので、『クロ』っていう名前にしたんですけど、段々黒くはなくなっていきました。笑
※家の近所で兄と、チコとクロの散歩
チコは幼いクロに、色々と教えてあげているようでした。
家に帰ると必ずクロが飛び掛かってくるんですけど、後ろからチコが前足でクロが飛び掛かれないように抑えたりしてくれたりすることも度々ありました。
そんな母子の時間は長くは続かずに、ある日突然終わりを告げるのでした。
2~3年後のある日の夕方、車庫の方から「カチャン」という音がしました。
僕たち家族は、“またか!”と思いました。
近所の人が勝手にウチの車庫の扉を開けて、犬を逃がしていたのです。
一度や二度のことではなくて頻繁にです。
近所の人から見たら、檻の中に入れられて可哀想にと思っていたのかもしれませんが、毎日朝と晩に一日に2回、30分から一時間、兄弟で欠かさずで犬の散歩をしていたので、家族からしたらとても迷惑していました。
三人一緒に散歩に連れていくときは、姉と兄がそれぞれ犬の手綱を持って、僕はビニール袋とスコップを持って付いていっていました。
傍からみたら犬の散歩じゃなくて、一人で散歩しているだけの子供ですよね。笑
その日も、車庫に行ってみると扉が開いていて、チコとクロはいませんでした。
それから、いつものように姉兄3人と母親とで、チコとクロの名前を叫びました。
僕はその日、二階の窓から『チコ~!クロ~!』と名前を呼んでいました。
5~10分くらい名前を叫んでいると、いつものように遠くの方から家に向かって走ってくるチコとクロの姿が見えました。
チコが駐車場の向こうの畑の方から走ってくる姿と同じタイミングで、右側の道路からすごい勢いで走ってくる車の姿がみえました。
家の前の道路は車一台分くらいの狭い道路だったんですけど、その車はすごい勢いで走ってきていました。
僕は嫌な予感がして、名前を呼ぶのを止めたのですが、チコの勢いは止まりません、車も止まりません。
二階から見ていた僕の眼前で、チコと車が接触!!
頭を強打して跳ね飛ばされた後に車の前輪に踏みつぶされて後輪が乗り上げました。
車の下敷きになっているチコ
その車は、一度戻ろうとしてバックして前輪が乗り上げた状態から、途中で諦めたのか逃げるように再び加速して再度チコを踏んで走り去っていきました。
僕は二階からチコの名前を叫びながら階段を駆け下りて、チコの元へ駆け寄りました。
チコは口から出血していて、ヒューヒューしていました。
動物病院に電話して、すぐに来てもらったかどうか?
その後のことは、あまりよく覚えていませんが、頭を強打していて、内臓破裂で即死に近い状態だったと聞いたような気がします。
あの日、チコとクロを逃がした人が車庫の扉を開けていなかったら
あのとき、あのタイミングでチコとクロの名前を呼ばなかったら
あの車があんなにスピードを出していなかったら
色々な思いが頭を巡りました。
次の日の朝、車庫の片隅に毛布を掛けて冷たくなっているチコの姿がありました。
僕は、泣いていました。
ずっと泣いていた僕を目て父がいいました。
『チコがいなくなったことは悲しいことだけれど、チコがいなくなってしまったことを悲しむんじゃなく、チコがいてくれたからこそ楽しい時間を過ごすことができたと思って、その想い出を大切にしていきなさい。その方がチコも嬉しいはずだよ』
そう父に言われました。
チコは命が生まれる喜びを教えてくれましたし、自分の身を以てその命の儚さをくれました。
もう、チコとクロを一緒に散歩に連れていくことができなくなったことは、とても悲しいことでしたが、一緒に居てくれた母親を失ったクロの悲しみを思うと、悲しんでばかりもいられませんでした。
それから時折り聞こえるようになったクロの遠吠えは、突然いなくなってしまった母親を想ってのことだったのかもしれません。
「生と死」について、その身を以て教えてくれた師匠、チコの写真は殆ど残っていません。
短い間でしたがチコとの想い出は僕たちの心の中で生きています。
流れた時間は戻りませんが、でもだからこそ良いのかもしれません。
やがてクロの、夜の遠吠えがおさまる出来事が起こるのでした。
つづく
昭和の想い出ーその5『生と死と』でした。
最後までお読みいただきありがとうございました。
あなたにとって、素敵で幸せな日常でありますように願いを篭めて
その6につづきます