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人生の想い出ーその8昭和の想い出・8『ケガとダイヤモンド』その1

2023-06-25 19:40:08 | 人生の想い出
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昭和の想い出ーその8

『ケガとダイヤモンド』その1

 
 

忘れられないケガ

 
幼いころからほんと、ケガばっかりしている子供でした。
 
 
家の前の飯場に遊びに行くと、いつも飯場の人たちから『ボウズまたケガしたのか?』なんていって、からかわれていたそうです。
 
 
手足はもちろんですけど、幼い頃は特に顔にケガをしていたみたいで、その頃の写真はだいたい顔に絆創膏を貼ってます。笑
 
年上の子供たちに交じって遊んでいたから、きっとムリしていたんでしょうね。
 
3回くらい頭から血が出ていたような気がします。笑い泣き
 
 
『自分の容量以上のことをしてケガしていた』と母親に言われました。
 
何歳か忘れましたが家の隣のアパートの塀を飛び越えたら、頭から着地していたこともありました。笑い泣き
 
アパートと言えば、小さいとき家の隣のアパートに住んでいたおじいちゃんに『ウチに来ないか?』と誘われて家に遊びに行ったことがありました。
 
今思うと、危ないですよね~、幾ら隣だからといって何が起こるか分からないですしね。
 
家に上がると、そのおじいちゃんは木の容器に、アラレを入れて持ってきてくれましたが、僕は「毒が入ってるかもしれない」と思って、ほとんど手をつけませんでした。
 
『じゃあ何で行ったんだよ!真顔ってツッコまれそうですが、本当に何で付いていったのかは自分でも不思議です。
 
 
家にいる間は、襲われてきたときの対処法ばかり考えていました。
 
結局、何事もなく開放されたんですが、そのおじいちゃんは子供好きだったらしいです。
 
きっと何か理由があったのかもしれませんね。
 
まぁ、親を悲しませずに済んで良かったです。
 
 
※幼稚園の遠足の写真(どこですかね、ここは)
 
 
小学生時代は、ケガばかりしている毎日でしたが、中学に進学してからはとんとケガをしなくなりました。
 
ところが、ある日忘れることができないケガをしてしまいました。
 
教室で同級生らとふざけて遊んでいたときに、ガラスに両手を突っ込んでしまいました。
 
『危ない!!』と思って手を引っ込めたので大丈夫かと思ったのですが、、、。
間に合わなかったようで、ガラスは割れて両手からボタボタを血がしたたり落ちていました。

すぐに保健室に連れていかれて、ガーゼを巻いて近くの病院に歩いて行ったのですが、血だらけで手に刺さっているガラスが認識できないからと、看護婦さんに両腕を掴まれて勢いよく開いた蛇口の下に両手を押さえつけられ時の痛みは一生忘れられません。
 
本当に痛いときって、声も出ないし涙もでないんですね。

それと同時に、初めて見た自分の指の骨が輝くような白さだったことも脳裏に焼き付いています。



左利きだったからか、左手は中指の付け根と小指一部が切れた程度だったのですが、右手は中指と薬指と小指を切っていて特に薬指は丸ごと切れていて、薄皮一枚でかろうじて肉が付いているような状態でした。

薬指がついているだけでラッキーだったそうです。
後から聞いた話では薬指切断の可能性もあったそうですゲローアベシビックリマークビックリマークドクロ


長い時間をかけて、それぞれの指を縫合していただきました。
 
縫合していただいた右手薬指は、縫い糸だらけでアリが群がっているみたいに見えました。
 
それから歩いて学校に戻るのですが、あの時の風景と気持ちは今でも忘れられません。
 
夏休み直前の天気が良い日で、外ではセミの声が聞こえていました。
 
学校のプールからは、キャッキャと楽しそうな声がしてきて、天気の良いとても穏やかで幸せそうな日常の中で、何で自分だけこんな境遇、こんな気持ちでいるのだろう?と思っていました。
 
 
同じ世界に住んでいるのに、全く違う世界に自分一人だけいるような...(自業自得なんですけどね)
 
 
暫くは後悔ばかりしていたんですけど、人間て強いですよね、忘れっぽいというか( ;∀;)・・・。
 
 
しばらくしたら、抜糸もしていないのに砂場でバク宙して遊んでいる自分がいました。おーっ!
 
んで、いざ抜糸の日が来ました。拍手
 
今はもう溶ける糸とかあるんでしょうけど、当時は抜糸ですよ、抜糸!奥さん抜糸です!!
 
 
 
抜糸って痛いんですよ~、血も出てきますしねキョロキョロ
 
20針くらい縫ってますからね、なかなかでした。
 
で、これでやっと解放されるウインクスターと思っていたら、現実はそんなに甘くありませんでした。
 
薬指だけ曲がらないんです、ずっと伸びたままでガーン
 
薬指の腱が切れていたので、縫合してくれていたらしいのですがキレちゃってたみたいですアセアセ
 
砂場でのバク宙が原因か!? 分かりませんがとにかく薬指は曲がらなくなってしまいました。
 
縫合してもらった病院は救急病院だったので、日赤医療センターを紹介してもらいました。
 
『とても腕の良い医者がいるから』とのことでした。
 
指が曲がらないことは不便でしたが、少しでも指が曲げられるようになれば手術を受けずに済むんじゃないか?そう思って毎日指を曲げる練習をしていました。
 
ある日、父に呼ばれていくと、曲がらなくなった薬指の右手を両手でマッサージしてくれたんですね。
 
手のひらから薬指にかけて、ゆっくりと丁寧に丁寧に。
 
気持ちを篭めてマッサージしてくれているのを感じました。
 
時間にしてどれくらいか覚えていませんが、とにかく長い時間マッサージを“心を篭めて”マッサージしてくれました。
 
心なしか、少しだけ曲げ伸ばしできるようになったような気がしました。
 
 
この時のことが嬉しくて、いつか父に恩返しをしよう そう思いました。
 
 
 
 
この出来事から四半世紀後の2007年9月25日、その年の中秋の名月の日に父は旅立ちました。
 
父が亡くなる数日前に、入院先の病院から危篤の知らせがきました。
 
その日は、下高井戸八幡神社のお祭りの日だったので、姉弟3人とも実家に集まっていたので、母も一緒にみんなで病院に駆け付けました。
 
父はベッドの上で、横になって右手をバタバタとしながら苦しそうにもがいていました。
 
 
“いよいよかもしれない” そう思った僕は、あの日にもらった恩を父に返そうと思いました。
 
バタバタとしていたその右手を、両手で包んで『あの時はありがとう』と、精一杯の感謝の気持ちを父の右手に流しこみました。
 
 
すると、しばらくしてス―っと父の苦しそうな表情が落ちついてきました。
 
 
それから父は、ベッドの上で身体を起こして、僕の目をジーっと見つめてきました。
 
その頃の僕は、父に対して思うところもあったので、父の目線を正面から見ることができずに“感じている”だけでしたが、父の目はくぼみ、ほっそりとやつれている表情は感じていました。
 
そうしている時間はたぶんそれ程長くはなかったのかもしれませんが、僕には長く感じました。
 
 
やがて父は、ゆっくりと横になりました。
 
『状態も落ち着いたので、もう大丈夫です。』
 
看護師さんにそう言われて、僕たちは実家に戻ったのですが、それから数日後に父は旅立ちました。
 
でも、あの時に父からもらったものを父に返すことができたので、心残りなく父を見送ることができて良かったです。
 
 
 
 
話が脱線してしまいましたが、ガラスのケガのその後に戻ります。
 
夏休みに入って、母と二人で日赤医療センターを訪ねました。
 
そこには、その道の第一人者と呼ばれるお医者さんがいました。
 
その年の夏休みと、翌年の夏休みの2回に渡って手術をしてくださった方なので、その先生のことはよく覚えています。
 
 
僕は心の中で、あれだけ父がマッサージしてくれたし、僕も毎日練習して少しだけ曲げられるようになったのだから、手術はしなくても大丈夫なんじゃないか?と思っていました。
 
でも、それを見た奥津先生が発した一言は『やはり曲がらないね』でした。えーん手術決定ビックリマークビックリマーク残念ーっ!!
 
 
 
 
その2につづきます