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人生の想い出ーその8昭和の想い出・8『ケガとダイヤモンド』その1

2023-06-25 19:40:08 | 人生の想い出
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昭和の想い出ーその8

『ケガとダイヤモンド』その1

 
 

忘れられないケガ

 
幼いころからほんと、ケガばっかりしている子供でした。
 
 
家の前の飯場に遊びに行くと、いつも飯場の人たちから『ボウズまたケガしたのか?』なんていって、からかわれていたそうです。
 
 
手足はもちろんですけど、幼い頃は特に顔にケガをしていたみたいで、その頃の写真はだいたい顔に絆創膏を貼ってます。笑
 
年上の子供たちに交じって遊んでいたから、きっとムリしていたんでしょうね。
 
3回くらい頭から血が出ていたような気がします。笑い泣き
 
 
『自分の容量以上のことをしてケガしていた』と母親に言われました。
 
何歳か忘れましたが家の隣のアパートの塀を飛び越えたら、頭から着地していたこともありました。笑い泣き
 
アパートと言えば、小さいとき家の隣のアパートに住んでいたおじいちゃんに『ウチに来ないか?』と誘われて家に遊びに行ったことがありました。
 
今思うと、危ないですよね~、幾ら隣だからといって何が起こるか分からないですしね。
 
家に上がると、そのおじいちゃんは木の容器に、アラレを入れて持ってきてくれましたが、僕は「毒が入ってるかもしれない」と思って、ほとんど手をつけませんでした。
 
『じゃあ何で行ったんだよ!真顔ってツッコまれそうですが、本当に何で付いていったのかは自分でも不思議です。
 
 
家にいる間は、襲われてきたときの対処法ばかり考えていました。
 
結局、何事もなく開放されたんですが、そのおじいちゃんは子供好きだったらしいです。
 
きっと何か理由があったのかもしれませんね。
 
まぁ、親を悲しませずに済んで良かったです。
 
 
※幼稚園の遠足の写真(どこですかね、ここは)
 
 
小学生時代は、ケガばかりしている毎日でしたが、中学に進学してからはとんとケガをしなくなりました。
 
ところが、ある日忘れることができないケガをしてしまいました。
 
教室で同級生らとふざけて遊んでいたときに、ガラスに両手を突っ込んでしまいました。
 
『危ない!!』と思って手を引っ込めたので大丈夫かと思ったのですが、、、。
間に合わなかったようで、ガラスは割れて両手からボタボタを血がしたたり落ちていました。

すぐに保健室に連れていかれて、ガーゼを巻いて近くの病院に歩いて行ったのですが、血だらけで手に刺さっているガラスが認識できないからと、看護婦さんに両腕を掴まれて勢いよく開いた蛇口の下に両手を押さえつけられ時の痛みは一生忘れられません。
 
本当に痛いときって、声も出ないし涙もでないんですね。

それと同時に、初めて見た自分の指の骨が輝くような白さだったことも脳裏に焼き付いています。



左利きだったからか、左手は中指の付け根と小指一部が切れた程度だったのですが、右手は中指と薬指と小指を切っていて特に薬指は丸ごと切れていて、薄皮一枚でかろうじて肉が付いているような状態でした。

薬指がついているだけでラッキーだったそうです。
後から聞いた話では薬指切断の可能性もあったそうですゲローアベシビックリマークビックリマークドクロ


長い時間をかけて、それぞれの指を縫合していただきました。
 
縫合していただいた右手薬指は、縫い糸だらけでアリが群がっているみたいに見えました。
 
それから歩いて学校に戻るのですが、あの時の風景と気持ちは今でも忘れられません。
 
夏休み直前の天気が良い日で、外ではセミの声が聞こえていました。
 
学校のプールからは、キャッキャと楽しそうな声がしてきて、天気の良いとても穏やかで幸せそうな日常の中で、何で自分だけこんな境遇、こんな気持ちでいるのだろう?と思っていました。
 
 
同じ世界に住んでいるのに、全く違う世界に自分一人だけいるような...(自業自得なんですけどね)
 
 
暫くは後悔ばかりしていたんですけど、人間て強いですよね、忘れっぽいというか( ;∀;)・・・。
 
 
しばらくしたら、抜糸もしていないのに砂場でバク宙して遊んでいる自分がいました。おーっ!
 
んで、いざ抜糸の日が来ました。拍手
 
今はもう溶ける糸とかあるんでしょうけど、当時は抜糸ですよ、抜糸!奥さん抜糸です!!
 
 
 
抜糸って痛いんですよ~、血も出てきますしねキョロキョロ
 
20針くらい縫ってますからね、なかなかでした。
 
で、これでやっと解放されるウインクスターと思っていたら、現実はそんなに甘くありませんでした。
 
薬指だけ曲がらないんです、ずっと伸びたままでガーン
 
薬指の腱が切れていたので、縫合してくれていたらしいのですがキレちゃってたみたいですアセアセ
 
砂場でのバク宙が原因か!? 分かりませんがとにかく薬指は曲がらなくなってしまいました。
 
縫合してもらった病院は救急病院だったので、日赤医療センターを紹介してもらいました。
 
『とても腕の良い医者がいるから』とのことでした。
 
指が曲がらないことは不便でしたが、少しでも指が曲げられるようになれば手術を受けずに済むんじゃないか?そう思って毎日指を曲げる練習をしていました。
 
ある日、父に呼ばれていくと、曲がらなくなった薬指の右手を両手でマッサージしてくれたんですね。
 
手のひらから薬指にかけて、ゆっくりと丁寧に丁寧に。
 
気持ちを篭めてマッサージしてくれているのを感じました。
 
時間にしてどれくらいか覚えていませんが、とにかく長い時間マッサージを“心を篭めて”マッサージしてくれました。
 
心なしか、少しだけ曲げ伸ばしできるようになったような気がしました。
 
 
この時のことが嬉しくて、いつか父に恩返しをしよう そう思いました。
 
 
 
 
この出来事から四半世紀後の2007年9月25日、その年の中秋の名月の日に父は旅立ちました。
 
父が亡くなる数日前に、入院先の病院から危篤の知らせがきました。
 
その日は、下高井戸八幡神社のお祭りの日だったので、姉弟3人とも実家に集まっていたので、母も一緒にみんなで病院に駆け付けました。
 
父はベッドの上で、横になって右手をバタバタとしながら苦しそうにもがいていました。
 
 
“いよいよかもしれない” そう思った僕は、あの日にもらった恩を父に返そうと思いました。
 
バタバタとしていたその右手を、両手で包んで『あの時はありがとう』と、精一杯の感謝の気持ちを父の右手に流しこみました。
 
 
すると、しばらくしてス―っと父の苦しそうな表情が落ちついてきました。
 
 
それから父は、ベッドの上で身体を起こして、僕の目をジーっと見つめてきました。
 
その頃の僕は、父に対して思うところもあったので、父の目線を正面から見ることができずに“感じている”だけでしたが、父の目はくぼみ、ほっそりとやつれている表情は感じていました。
 
そうしている時間はたぶんそれ程長くはなかったのかもしれませんが、僕には長く感じました。
 
 
やがて父は、ゆっくりと横になりました。
 
『状態も落ち着いたので、もう大丈夫です。』
 
看護師さんにそう言われて、僕たちは実家に戻ったのですが、それから数日後に父は旅立ちました。
 
でも、あの時に父からもらったものを父に返すことができたので、心残りなく父を見送ることができて良かったです。
 
 
 
 
話が脱線してしまいましたが、ガラスのケガのその後に戻ります。
 
夏休みに入って、母と二人で日赤医療センターを訪ねました。
 
そこには、その道の第一人者と呼ばれるお医者さんがいました。
 
その年の夏休みと、翌年の夏休みの2回に渡って手術をしてくださった方なので、その先生のことはよく覚えています。
 
 
僕は心の中で、あれだけ父がマッサージしてくれたし、僕も毎日練習して少しだけ曲げられるようになったのだから、手術はしなくても大丈夫なんじゃないか?と思っていました。
 
でも、それを見た奥津先生が発した一言は『やはり曲がらないね』でした。えーん手術決定ビックリマークビックリマーク残念ーっ!!
 
 
 
 
その2につづきます
 
 
 
 
 
 
 
 
 

始まりと終わりの違いがわかりますか?

2023-06-24 18:30:23 | ブログ
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始まりと終わりの違いがわかりますか?

これから、ある動画を貼ります。
 
あなたは、動画の始まりに映っている映像と、動画の終わりに映っている映像の違いがわかりますか?
 
 

混在

 
実は真ん中に映っている財布だけは、最初と最後で変わっていないんです。
 
この財布は『混在』というテーマで作った財布で、最初から表面と裏面を違う革、違う色で作った財布でした。
 
表面をハープシール(アザラシ革)のグレー、裏面をクロコダイル(ワニ革)黒の偏光パール仕上げ、差込を黒マットのクロコダイル、財布内側を金箔の吟スリパイソンという3種類のエキゾチックレザーで作った1点物財布でした。
 
 
 
この動画、実は4年前に撮影したものなんですけど、当時学生だった長男が会社に来てくれて撮影したものなんです。
 
僕が撮影して(下手ですね~)、手元が映っているのは長男の手です。
 
そして、動画の編集は全部長男がやってくれました。
 
ネットから著作権に引っかからない音楽を探してきてくれて、導入部とエンディングのロゴ動画も長男がやってくれました。
 
先日聞いたら、この時使っていた動画編集ソフトは解約してしまったらしいです。
 
この時は学生で、学割料金だったから使っていたそうで、通常だとひと月5000円ほど掛かるそうです。びっくり
 
事務所の一部をお店にしたのも、長男のアイディアです。
 
エキゾチックレザーは、種類によっても、仕上げ方によっても、さわり心地が違ったりするので、実際に触ってもらった方が良いからと、テーブルの配置やら、看板やらと手伝ってもらいました。おねがい
 
 

情報拡散お願い致します<m(__)m>

 
でも、エキゾチックレザーって万人受けするようなアイテムではないので、認知度も低いし苦戦してますえーん
 
ただでさえパイが少ない業界なのに、コロナの影響やら、最近の物価高の影響を受けまくっています悲しい
 
ということで、あなたのまわりに革好きな人とか、エキゾチックレザー好きな人とか、個性的な財布がお好きな方など、いらっしゃいましたら、是非!!蔵前にある『Re-Bone/リボーン』を教えてくださいびっくりマーク<m(__)m>お願い致しますびっくりマーク
 
情報拡散にご協力頂けましたら幸いです。ほっこり
 
 
 
次は僕のご挨拶動画です。僕はこんな顔をしています。
 
この動画も、ちょうどこの頃に長男に撮影してもらって編集してもらいました。
 
『塩漬けのワニ革』のところだけテロップ間違えていますが、正式には鞣す以前のかわなので、正しくは『塩漬けのワニ皮』です。

 

 

 

イメージ動画

 

『リボーンウォレットのイメージ動画』というものもあるので、暇つぶしに観ていただければ幸いです。

 

僕は、この動画好きなんですけどね♪押上、蔵前、東京駅と1日で撮影しました。

 

動画冒頭の彼女が座っているシーンは押上スカイツリーの真ん前の川で撮影してます。

 

彼が歩いている昼間のシーンは蔵前の会社の前で、夜に彼女が歩いているシーンは東京駅のすぐ近くで撮影しました。

 

最期の夜のシーンでは、寒くて風が強くて大変だったのですが、彼女は本当に頑張ってくれました。ニコニコ

 

 

 

 

あるカップルが、ある日彼の仕事の都合で離れて暮らすことになってしまいます。

 

悲しそうにする彼女に彼は、ある財布をプレゼントします。

 

彼女の財布の色違いを彼も持っていて、その財布を2つに分けて財布の片割れを彼女に渡します。

 

『必ず迎えにくるから』

 

お互いの存在を感じられるようにと、お互いの財布の片側ずつを交換して、お互いの財布を組合わせて持つことで、離れていてもお互いを感じられる。

 

私の後ろ(裏側)には、彼(彼女)がいる。

 

二人離れて暮らしていても心は一つ...みたいな、そんな動画です。

 

 

『彼と彼女』『表と裏』『赤と青』2つの価値観、異なるもの同士が共生することこそ、“結婚”であったり、共存、平和だったりするのかな~なんて思ったりもします。

 

 

 

 
最後までお読みいただきありがとうございました。
 
 

あなたにとって、素敵で幸せな日常でありますように願いを篭めて

 

人生の想い出ーその7昭和の想い出・7『エキゾチックレザーとの出会い』

2023-06-23 19:00:14 | 人生の想い出
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昭和の想い出ーその7

『エキゾチックレザーとの出会い』

 

昭和のテレビ番組

 

テレビ番組っていっても、幼稚園から小学校低学年くらいまではアニメとか、ヒーローもののテレビばっかり見ていました。
 
今、思い出して出てくるのは、僕が生まれた時にはすでに再放送のものもありましたが
・月光仮面
・黄金バット
・パーマン
・マッハGoGoGo
・リボンの騎士
・鉄腕アトム
・火の鳥
・ブラックジャック
・ゲゲゲの鬼太郎
・怪物くん
・サスケ
・妖怪人間ベム
・ひみつのアッコちゃん
・忍風カムイ外伝
・タイガーマスク
・サザエさん
・ハクション大魔王
・ムーミン
・アタックNO.1
・エースをねらえ
・ルパン三世
・海のトリトン
・デビルマン
・科学忍者隊ガッチャマン
・ど根性ガエル
・マジンガーZ
・ウルトラマン
・仮面ライダー
・人造人間キカイダー
・新造人間キャシャーン
・勇者ライディーン
・ゴレンジャー
・バビル2世
・超人バロム・1
・魔法使いサリー
・サイボーグ009
・ベルサイユのばら
・巨人の星
・あしたのジョー
・侍ジャイアンツ
・宇宙戦艦ヤマト
・銀河鉄道999
 
 
ざっと思い出しただけでもすごい数ですね滝汗
 
記憶の片隅に白黒実写版の月光仮面があって、それが一番古い記憶のような気がします。
といっても、実写版は僕が生まれる以前の作品なので再放送を見たのかな?
 
アニメ化もされているみたいですね。
 
『月光仮面のおじさんは~♪』っていう箇所だけは覚えています。ニコ
 
黄金バットは笑い声だけで、ストーリーは覚えていませんうさぎ
 
というか、ほとんど最終話はおろかストーリーを覚えていないものばかりです。
 
 
黄金バット | アニメ動画見放題 | dアニメストア
 
パーマンとサイボーグ009は、ペラッペラの紙みたいな赤いレコードが家にあったので聞いてました。
 
009は最初白黒でした。
 
白土三平さんのサスケとカムイ外伝は好きでした。
サスケは主人公が途中で死んでしまって、その後は兄弟だか従妹だかが主人公になったような気がします。
なかなかに衝撃的でした。
 
『バカ!死んだら何も残らないじゃないか』っていうセリフは覚えています。
 
家にカムイ外伝の他に、“カムイ伝”があったのですが、カムイはあんまり出てこなくて、当時の人々の暮らしとか、大飢饉とかについて書かれている大人の漫画でした。
 
少しお休みしてます】がいろじゅ☘ on Twitter:
 
ゴレンジャーは戦隊もののはしりでした。キレンジャーの好物はカレーでした。笑
 
あしたのジョーは、最初の頃はバンドに挑戦したりとかっていう件があったらしいです。
単行本にも掲載されていないので真意の程は明らかではありませんが、祖母はそのように言っていました。
 
宇宙戦艦ヤマトは、『さらば宇宙戦艦ヤマト』劇場ではラストシーンでシクシク泣いている人が結構いて感動的なラストでした。
しばらくして、宇宙戦艦ヤマト新作の製作発表を聞いた時は、アゴが外れるかと思いました。笑い泣き
 
アトムとか、デビルマンのアニメの最終回は覚えていないのですが、原作の漫画はかなりシリアスで深い内容だったみたいですね、子供向けアニメなので、テレビでは彼らを単なるヒーローとして描いているのですが、実は“人間こそが悪である”みたいな感じみたいです。
 
鉄腕アトムでは、AIなどの科学技術が発展していくことへの警鐘のような側面も持っているみたいです。
 
アトムの結末について解説されているチャンネルがあったので、リンクを貼っておくので、よろしかったらご覧ください。
 
原作の漫画版デビルマンの紹介動画
今度ゆっくり、子供の頃みた漫画とかアニメのお話もしたいですね~。
 
さて、そんな小学生時代の昭和の子供の遊びは、色んなものがありました。
 
缶蹴り、鬼ごっこ、ロクムシ、野球、虫取り、ベーゴマ、メンコ、スーパーカー消しゴム、キンケシ、銀玉鉄砲、水鉄砲、水風船、ゴム飛び、縄跳び....
 
他にもまだまだあると思いますけど、思いつくのはそんなとこです。
 
缶蹴りなんかは、ウチの子供たちもしていなかったんじゃないですかね。まさに昭和の遊びって気がします。
 
 
 

エキゾチックレザーとの出会い

 
そんな缶蹴りとかして遊んでいた、小学校3、4年生くらいの頃ですかね~。
 
夏休みのある日、父が3人の子供たちに向かって言いました。
 
『3人で会社に来てバイトしないか?』
 
『?』
 
僕たちはきょとんとしていましたが、父からしたら自分がどんな仕事をしているのか見せたかったのかも知れません。
 
バイト代をくれるというので、僕たち3人は喜んで父の車に乗って、当時入谷にあった父の会社へ行きました。
 
 
僕は当時、車に乗るとすぐに酔ってしまうので心配していました、車の中の匂いだけで気分が悪くなってしまうので、クルクルと窓を開けてできるだけ遠くを見つめるようにして乗り切りました。
 
まだ、当時の車は手動式だったんですよね、懐かしいです。
 
で、やっと会社に到着した僕たちを待っていたのは巨大な木箱の数々でした。
 
父が開けてくれた木箱から、強烈な臭いがしました。
 
覗き込むと、塩漬けにされた大量のワニ皮が!?びっくり
 
臭いとその数にビックリしました。
 
取り出すと、大量の塩がジャリジャリとついていました。
 
そのワニ皮の枚数を数えることが、3人に与えられた役割でした。
 
当時、僕は小学生でしたが兄は中学生だったんじゃないですかね、姉は中学か高校かってとこですね。
 
で、3人で協力してワニ皮の枚数を数えたのですが、たしか1日では終わらずに2日か3日かかったと思います。
 
 
 
 
あれは、なかなか衝撃的な出会いでしたね~。
 
思えばあれが、エキゾチックレザーとの初めての出会いでした。
 
結局、その後もたまに父の会社に連れて行ってもらうことがあったのですが、バイト代をもらえることはもちろんでしたが、もう一つ嬉しいことがあったのです。
 
それは、お昼ごはんです。
 

想い出のチキンライスと焼きおにぎりと

 
父の会社の近くの中華料理屋さんから出前を取ってくれていたのですが、そのお店のチキンピラフが超絶美味しかったのです。!!ラブラブラブ
 
今まで54年生きてきて、父の会社で食べたチキンライス以上に美味しいチキンライスは食べたことがないですびっくりマーク(きっぱり)
 
兄も同じことを言っていました。
大人になってから香港だか台湾で、美味しいチキンライスを食べたことはあるけど、あのチキンライスは今までで一番美味しかったと。
 
僕は大人になってから、あの時のチキンライスをもう一度食べたい!そう思って記憶を頼りに訪ねてみました。
 
 
おおよその場所は記憶していたので、ここだろうという中華料理屋さんに入店して、チキンライスを頼んでみましたが、全くの別物でした。
 
父にそのことを伝えると、先代の親父さんが亡くなって、その後息子だか誰かがお店を継いだらしいけど味が落ちたらしいな。と言っていました。
 
とても残念なことですが、あのチキンライスを、あと一度で良いから食べてみたいな~...なんて思っています。
 
きっと、皆さんも同じような経験があるんじゃないでしょうか?
 
在りし日の父
 
チキンライスに添えられているスープも又、絶品だったんですよね~にっこり
 
絶品といえば、祖母のばばちゃんが作ってくれた“焼きおにぎり”も絶品でした恋の矢
 
以前、家に遊びにきた高校の後輩も食べたことがあって、その後その後輩はオーストラリアに行ってしまうんですが、10数年後に日本に帰ってきた時に、その後輩が『おばあちゃん元気ですか?』って聞いてきたんですよね。
 
 
『元気だよ、なんで?』って聞いたら、
 
『昔おばあちゃんが作ってくれた焼きおにぎりの味が忘れられなくて』
 
『あんなに美味しい焼きおにぎりは食べたことがなかったので、あれから色んなお店で食べたり、自分で作ったりもしたけど、あの焼きおにぎり以上に美味しい焼きおにぎりに巡り合えていないので』
 
そう言われて、“同じだ~っ”って、とても嬉しかったです。
 
僕も何度か、ばばちゃんの焼きおにぎりを再現しようとしましたが、2度とあの味に出会えてはいません。
 
きっと、あの味噌の焼きおにぎりは、ばばちゃんが作るからこその味だったのでしょう。
 
 
でも、何にせよあの時に幸せな気持ちにさせてくれたことには、感謝しかないです。
 
生きることは食べること
 
そんな風にも言われるほど、食の記憶って鮮明に残るものですが、そんな記憶に埋もれることなく残っている、衝撃的なエキゾチックレザーとの出会いのお話でした。
 
 
最後までお読みいただきありがとうございました。
 
 

あなたにとって、素敵で幸せな日常でありますように願いを篭めて

 
 
 
 

TikTok デビューしました

2023-06-22 17:47:42 | ブログ
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TikTok デビューしました

 

6月に入ってからスマホで登録して始めたんですけど、パソコンでTikTokを開いてみたら『あらビックリ!』以前、別のアカウントで登録だけしていたみたいなんですね凝視

 

それで、そのアカウントから昔撮っていた動画をアップしてみたので、良かったら見てみてくださいm(__)m

 

 

 

で、スマホで登録した方のアカウントでは、もう何本も動画をアップしているのですが、動画を上げれば上げるほど視聴回数が減っていくんですけど・・・煽り・・・。
 
 
これってどういうことなんでしょう?
 
何かやり方間違っているのでしょうか?
 
ご存じの方で、優しいかたがいらっしゃいましたらヘルプミー大泣き
 
ちなみに、もう一つのアカウントでアップしている動画です。
 
最近は色んなSNSがあって、正直ついていくのが大変です滝汗
 
 
 
 

人生の想い出ーその6昭和の想い出・6『君の名は』

2023-06-21 18:17:04 | 人生の想い出
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昭和の想い出ーその6

『君の名は』

在りし日のチコとクロと兄と

※クロと一緒に何を見ているんですかね?好きな写真の一枚です。

 

在りし日のチコとクロと兄と散歩

 

 

チコとクロ、母子が並んでいる姿を見ることができなくなってから、どれくらいの月日が流れたのでしょうか

 

 

※たぶん中学の入学式の日の写真だと思います。

 

チコとクロ

 

中学生になっていた僕は、日常的にしていたケガも、随分としなくなっていました。

 

 

チコが旅立ってから、夜に遠吠えをするクロの姿は切ないものがありました。
 

隣で感じられていた温もりが、ある日突然なくなってしまったのですから切ないですよね。


家で生まれたからかクロは気立てが良くて優しい犬でした。


クロが小さい頃から、チコはケンカの仕方を教えていたりしたのは、もしかしたらクロと長くは一緒に居られないことを感じていたのかもしれません。



息子にケンカの仕方を教えてはいましたが、チコはケンカが弱い犬でした。

猫に返り討ちにあっていたこともあったようでした。笑

 


チコはちょっと気が小さい所があったのですが、クロは真逆でとても大らかな性格をしていました。

 

そしてチコがケンカを教えたとは思えないほどケンカが強い犬でした。

 

自分からケンカを売ったことはないのですが、売られたケンカを買って無敗でした。

 

自分より大きな犬にも敗けたことはありませんでした。

 

在りし日のチコとクロと自転車と



クロはいつも嬉しそうに、顔とかいろんなところをペロペロと舐めてくるのですが、父が水虫の足を舐めさせようとしたときだけは、嫌そうにしていました。

それでもしょうがなく、あきらめたように舐めてあげていました。

何でも、クロに舐めてもらうと1シーズンは水虫の発症を抑えさせられたそうです。

僕も、たまに擦り傷とか舐めてもらっていましたが、自分で舐めるより治りが早かったです。

ケガをして、一番治りが遅いのは“赤チン”を塗ったときで、次が自分で舐めたとき、クロに舐めてもらうのが一番治りが早かったんですよ、ほんとうに。


クロとは一緒に成長しているような気がしていましたし、友達のような感覚。今でもその気持ちは変わっていません。

縁側で横になってテレビを見ていると、クロが縁側に上がってきて僕の足元を枕にして寝ていた光景が僕は好きでした。


チコが旅立ってから、どれくらの時間が流れたのでしょうか・・・。

 

 

君の名は

 

中学何年生のころか覚えていないんですけど、僕の交通事故キッカケで階段をつけてくれた“下高井戸八幡神社”のお祭りの日の出来事です。

 

お祭りから帰ってみると、車庫に見慣れない子犬の姿がありました。

 

『おや?』

 

『君の名は?』

 

※家にきてしばらく経った頃のベス

 

その犬は、とても小さくて生後間もない感じでした。

 

毛がふさふさとしていて、誰かが“サルみたい”って言ってました。

 

何でもお祭りの人通りの中で、家の前をずっとウロウロしていたのだそうです。

 

まだ生まれて数週間程度に見えたその子犬を放置して、人に踏んずけられたり車に轢かれでもしたら可哀想だからと、とりあえず家に保護したのだそうです。

 

家は、八幡神社への通り道になっていたので、お祭りの日はかなりの人が往来するのです。

 

その犬は雌犬だったこともあってか、それか淋しがってたところに来てくれた仲間のような感覚だったのか分かりませんが、クロはとにかく優しく接していました。

 

自分のごはんも、その小さな子犬に分け与えているようでした。

 

※ベスに食べられて空になった自分の鍋を見つめるクロ

 

その名はベス

 

お祭りも終わって暫くして、家族で話し合いました。

 

あんな小さな子犬だし、飼い主だった人はさぞかし心配しているだろうと、近所の人とかに見覚えがないか聞いて回りましたが飼い主は見つからず。

 

『子犬預かってます』と、貼り紙を作って呼びかけもしましたが、飼い主らしき人は一向に現れず・・・。

 

 

『何で首輪していなかったんだろう?』家族の誰かが言いました。

 

そうです、その子犬は首輪をしていなかったんです。

 

どれだけ探しても飼い主が見つからなかったので、“飼い主が見つかるまで家で育てよう”ということになりました。

 

とりあえずでも家で育てるなら、と『ベス』という名前をつけました。

 

結局その後、家に居つくことになるのですが、ある程度時間が経った頃に『似たような犬を探している家がある』という情報が届いて、母親と兄が連れていったのでした。

 

僕は、『もしかしたら、ベスとはもう会えないのか』と少し寂しい気持ちになりましたが、ほどなくして母親と兄がベスを連れて帰ってきました。

 

どうやら犬違いだったようです。

 

 

※同居人(犬)がきて嬉しそうなクロとベス

 

 

ベスはちょっと不思議な犬でした。

 

犬らしくない犬、というのか家の人は“宇宙犬”て言っていました。

 

“自分のこと人間だと思っているんじゃないの?”と父が言っていましたが、よく二本足で立ってました。

 

クロも人懐っこくて愛嬌たっぷりの犬でしたが、ベスは自己アピールもハンパない犬でした。

 

クロがベスに対して甘やかすもんだから、ベスの態度はどんどん増長していきました。

 

といっても、クロだけにですけどね。クロが良いならそれで良いけど...なんて思って見ていましたね。

 

それぞれの鍋に餌を入れると、ベスは先ずクロの鍋から食べ始めるんですね。姉はよく怒っていました。

 

でも、クロとベスは何だかんだ仲良くやっていましたし、クロも嬉しそうだったので良かったのかな??と思います。

 

後から、クロにごはんあげたりして。

 

 

※なぜかよく二本足で立っていたベス

 

 

ベスは人間に媚びるのが上手というか...かわいいと思わないのは、僕の姉くらいだったんじゃないでしょうか。笑

 

家の前を通る小学生たちからは“チョコ”と“クリーム”って呼ばれて可愛がられていたみたいです。

 

ベスは僕が家に帰ると、一度挨拶を済ませると、その後まわりにある何かを口で噛んで持ってくるんですね。

 

いつもはたいてい車庫にある布切れとか、毛布とかを噛んで持ってくるんですけど

 

ある日、僕が帰った時に、僕に寄ってきて挨拶を済ませたあとにベスが後ろを振り向いてキョロキョロとし始めました。

 

その日車庫には何もありませんでした。

 

ベスはしばらく考えています。

 

僕は、どうするんだろう?と様子を窺っていました。

 

 

その瞬間ベスは、“まさか!?” の行動にでます!

 

庭先に行って、自分のフンを口に咥えて持ってきたのです、それも嬉しそうな顔で。

 

さすがに僕も、そのときばかりは逃げるようにして玄関の扉を閉じたのでした。

 

 

 

※あくびをするクロと宇宙犬ベスと兄

 

大切な想い出

 

その後、クロは僕が22歳の時に旅立っていきました。

 

旅立つ前の日の晩に、弱っていたクロに話しかけたときに、力なく『クゥ~ン、クゥ~ン』とないた声が、僕が聴いたクロの最期の声でした。

 

クロとの出会いに感謝していますし、今でも僕にとっての友達のひとりです。

 

ベスは、クロが旅立ってから一人(犬)になるのですが、暫くしてまたもやひょんなことからベスに同居人が現れます。

 

父が会社の近くで信号待ちをしていたところ、見知らぬ犬が付いてきてしまったそうです。

 

詳細は知りませんが、“捨てられた飼い犬”だと判断した父は、家に連れってベスと一緒に育てました。

 

明らかな飼い犬なのに首輪を外されていたとか、少し怯えているようだったとか、そんな理由だったような気がしますが理由は覚えていません。

 

その犬はそこそこの年齢で室内で飼われていたらしく、当初は鳴くこともありませんでした。

 

散歩に連れて行っても、最初は痛々しくアスファルトを歩いていましたが徐々に慣れていきました。

 

その犬はケリーと名付けられました。シープドッグでした。

 

 

最初に飼った犬がチコで、その子供がクロ、そしてお祭りの日に保護してそのまま居ついたベス、父についてきた犬ケリーと、妙な縁で家に住みついた犬は4匹です。

 

血縁はチコとクロだけでしたが、4匹の犬たちには縁あって出会えて良かったです。

 

やがてケリーが旅立ち、最後にベスが旅立って、実家から犬が居なくなりました。

 

 

 

 

この写真から、何となくわかりません?偉そうなベスに従うクロの構図。

 

クロはとにかく、色んな意味で“男らしい犬”で、ベスは“女らしい犬”だったのかもしれません。

 

昭和から始まった4匹の犬たちとの想い出は、平成で幕を閉じました。

 

チコ、クロ、ベス、ケリー、大切な想い出をありがとう!!

 

 

最期までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

あなたにとって、素敵で幸せな日常でありますように願いを篭めて