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南東北・北関東を旅してきた その4 2日目 福島~新地

2017-04-26 15:24:10 | 旅行・鉄道
 
 
2日目は福島からスタートです。
まずは2012年8月以来となる新地駅再訪を目指します。



阿武隈急行線経由で新地駅へ

福島から新地へと向かうなら、東北本線で岩沼駅まで行って、そこから常磐線に乗り換えるのが通常の経路でしょう。
しかしこの区間も何度か乗っているので、今回はまだ乗ったことのない阿武隈急行経由で行くことにしました。





まずは福島駅から阿武隈急行線に乗りましょう。
JRの乗り場とは違うので注意。



なんだか昭和を感じる入口です。
ただ看板はあるもののその先は暗く、
「ほんとにここなの?」って思ったのはナイショ。



8時ちょうど発の槻木行きに乗車。
これで終点の槻木まで乗りとおします。



ホームの反対側には飯坂線が止まっていました。
阿武隈急行の福島駅は福島交通飯坂線と駅舎・プラットホームを共同使用しています。
これはかつて、阿武隈急行の株式の51%を福島交通が保持していたからなんだとか。



80分ほどで終点の槻木駅に到着。
車窓風景は……よくある地方鉄道ですねぇ。
しいて言えば兜~丸森あたりの県境付近で、阿武隈川沿いに狭いところを進む様子は面白かったかな。



槻木駅で東北本線に乗り換え。
ひと駅乗ると岩沼に到着。
岩沼からは常磐線に乗り換えます。



行先表示の「原ノ町」の文字にちょっと感動。
前回来たときは亘理行きでしたから。



浜吉田を過ぎると、震災後内陸へと移設された区間に入ります。
岩沼から30分ほどで目的の新地駅に到着。








2017年の新地町

新地駅に来るのは二度目です。
前回訪れたのは2012年8月。
震災から1年半近く経った頃で、常磐線は当然動いていないため代行バスでの訪問でした。
当時は津波で全壊した駅はなにも手を付けられていない状態で、その様子は津波の恐ろしさを物語っていました。



代行バスのバス停は新地町役場の前にありました。



わかりにくいですが、ホームです。
真ん中の一段落ちているのが線路のあったところですね。



トイレの建物だけが残されていました。
雑草が生い茂っているせいで、廃墟感が増しています。



辺り一面草っぱらな中に瓦礫の山がいくつかあって、
あまりの非日常さに言葉を失ったものです。
瓦礫とは言いましたが、元はといえば住居なんですよね……





あれから5年、常磐線は少々山側へと移設され、それにともなって新地駅も200mほど離れたところに再建されました。




新地駅の新しい駅舎。



西口には綺麗なバスターミナルが作られていました。
ただ、常磐線再開とともに代行バスは廃止されてしまったそうで、
常用するバスはなし。不便になった部分もあるようでした。



西口から少し視線を動かすと、ブルーシートの被せられた山がありました。
おそらくこれは、津波により破壊された街の残滓なのでしょう。



一方こちらは海側にあたる駅の東口の様子。
見ての通り、辺り一帯はいまだ更地のままでした。
基本的には工事車両以外入れないようになっていたので、
一般人が旧駅舎跡には近づくことができません。



地図を参考にするならば、おそらく旧新地駅のあったのは
この砂山の奥辺りかと思われます。



工事車両が至る所で見られました。



復興住宅はほぼ完成しつつあり、これから入居が行われる模様。





電車が復旧し駅が再建されたので行ってみたわけですが、
常磐線の復旧は復興のゴールではなく、ようやくスタートラインについた段階なんだなと思い知らされました。
6年かかってようやくこれくらいなのを見ると、津波による面での被災のダメージがとても大きいことを再認識させられます。

ただ、地元の方にお話を聞いたところ「これでも津波で被災した地域としては、復興が早い方なんですよ」とのこと。
そういえば前日に餃子をいただいた「川鳥」のご主人も同じようなことをおっしゃっていました。

今後この町はどのように復興していくのでしょうか。
駅名しりとりの旅で偶然たどり着いた町ですが、これからも注目していきたいと思います。
そしてしばらくしたら、また訪れたいものです。

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