岩手人の廃校探訪記

岩手県の懐かしの学校の記憶を貴方へ…

遠野市立土淵第二小学校

2025-04-06 07:52:37 | 岩手県遠野地区
1984年閉校【土淵小へ統合】

・コメント
遠野市北東部、土淵町にあった学校。へき地等級は無級でした。
更に北部の琴畑に分校を持っていました。
学校周辺には田園風景が広がっており、学区の基幹産業は農業となっています。
開校は1877年。
昭和20年代は3~4学級、昭和30年代は4~6学級、昭和40年代は概ね6学級、昭和50年代以降は児童数が急減し4学級以下で推移したようです。
旧川井村との境にある恩徳地区は7km程離れているため、児童は国鉄バス(遠野北線、1990年代前半に廃止)で通学していました。

学校跡は工場に転用されていましたが、最近は動いていないようです。
校舎と校門、記念碑が残されていました。

校舎はブロック造2階建てで普通教室3、特別教室5(理科室、音楽室、視聴覚室、集会室、児童会室)、特別室6(職員室、保健室、教材室、管理室、放送室、校長室)という配置でした。
1968年に建てられたもので、同時期に設計されたと思われる鷹鳥屋小学校や長野小学校とよく似た建築様式です。
両端や隔壁はブロック造ですが、プレハブ感が強い校舎です。
校舎西側に新しいプレハブの建物が繋がって建っていますが、これは工場に転用した際に新しく建てたもののようです。

体育館はすでに解体されていました。
校舎の後ろにのびるボイラー&便所棟につながっていたようです。

校庭は一部舗装されており、それ以外の部分は草が茂っていました。
校庭の南端には記念碑群がありましたが、フェンスの内側だったので遠くから眺める程度にしました。


校門から校舎を眺める

校舎裏手

校庭

宮守村立迷岡小学校

2025-04-05 08:36:44 | 岩手県遠野地区
1977年閉校【鱒沢小へ統合】

・コメント
旧宮守村南部にあった学校。中山間地にありますが釜石街道やJR釜石線が近くを通っているため、へき地等級は無級でした。
「迷岡」と書いて「まよおか」と読みます。やや難読ですね。
鱒沢地区の北部を学区としていました。
もともと鱒沢小学校の分教場として開校し、1948年9月に独立。
閉校時の児童数は27名で4学級編成(1、2、3+4、5+6)だったようです。

校舎や体育館は解体され、校舎があったところにはコミュニティセンターが建っていました。
校舎は木造2屋建てで、普通教室4、特別教室1(音楽室)、特別室4(職員室、放送室、煮沸室、当直室)、その他1(保育室)という構成でした。
6学級編成だった時期もあったためか、宮守村のなかではそれなりの規模の校舎です。

体育館は木造モルタルで標準的な大きさだったようです。
校舎東側に直角につながっていたようです(イメージ:校舎ー|体育館)。

校庭は学校規模に比べてかなりの広いものでした。
片隅にはやや頼りないバックネットが残っています。

この学校跡の一押しポイントはプールが残っているところです。
一見防火水槽かため池にしか見えませんでしたが、よく目を凝らすと確かにプールがありました。


校舎跡

校庭

バックネット

プール
【2020/8/31訪問】

遠野市立土淵第二小学校琴畑分校

2025-04-03 12:38:48 | 岩手県遠野地区
1973年閉校【土淵第二小へ統合】

・コメント
遠野市北東部、土淵町にあった学校。へき地等級は3級(ただし、1962年~1972年は2級)でした。
本校は土淵町栃内地区北部を学区とする土淵第二小学校です。
開校は1933年でした。
学級数は開校期間を通じて概ね1~2で推移したようです。

学校跡は土淵町中心部から小烏瀬(こがらせ)川沿いにさらに北へ、支流の琴畑川を上ったところにあります。
跡地には校舎と屋内運動場、教員住宅、記念碑が残されていました。
校舎は木造平屋で1教室+職員室といった規模。
1933年の開校時に新築された校舎で、築年数は92年になります。
1952年から1957年にかけて3回の改修工事を行っているそうですが、それにしてもすごい校舎ですね。

屋内運動場は1970年に建築されたそうです。
閉校の3年前で、この時点で統合の是非について検討はされていたことと思いますが、地域の集会所として利用することを見越しての建設でしょうか。
校舎に比べて1.5倍くらいの大きさがあります。

屋内運動場の隣には教員住宅も残されていました。
その前には教育発祥の地の記念碑が。遠野市の分校跡にはこのタイプの碑があることが多いです。


校舎

屋内運動場

記念碑(左は教員住宅)
【2024/10/1訪問】