さんぜ通信

合掌の郷・倫勝寺のブログです。行事の案内やお寺の折々の風光をつづっていきます。 

寄り添うこころ

2013-12-24 16:30:00 | 東日本大震災

 

東日本大震災から、間もなく三度目のお正月になります。被災地では瓦礫の片付けが済んできれいになってきていますが、そこから先がなかなか進まないようです。

自力で出来るところはみなさん懸命に努力しているのですが、市町村や県単位での復興事業に関しては、
法律や条例の整備、住民合意、建設資材の高騰など、問題が山積して思うように進んでいません。

仮設住宅も三度目の冬を迎えて痛みが激しくなってきていますし、福島では原発事故で手をつけられない所が沢山あります。
この状況がいつ終息するのか、先は全く見えません。

その福島のお寺さんから聞いた話です。

ある避難所に、三十代のお父さんと二人の小学校低学年の子供さんが避難してきていました。
男性の両親と奥さんの三人が津波に流されて行方不明になり、男性は毎日家族を捜しに出かけていました。
土台だけになった自宅のあった場所で家族に縁の品物を探したり、心当たりの場所に足を運んで消息を尋ねたり、陽が暮れるまであちこち捜してまわったそうです。

ある日の避難所への帰り道、男性は道端でリンゴを売っているおばさんに出会いました。
箱を積み上げて「一個百円」と書いた紙を貼って売っていたそうです。

「このおばさん、ここで商売するのか・・被災者の俺達から金をとるのか。」
男性は腹が立ちました。

震災後はたくさんのボランティアの方が現地に入って炊き出しや片付けの手伝いをし、また、救援物資ということで色んなものが無償で配布されていました。
ですから「一個百円」と書いた看板を出してリンゴを売っているということが、とても腹立たしく感じられたのだそうです。

男性は、ムッとしながらリンゴの前を通り過ぎようとしました。
しかし、カゴに盛られた真っ赤なリンゴを見たとき、最近子供たちに果物食べさせてないな、と気がついてリンゴを買うことにしました。

「おばさん、リンゴください。三個。」
男性は、ポケットからなけなしの三百円を出しておばさんに渡しました。

おばさんは男性の様子をじっと見た後、その手提げ袋を貸しなさい、それに入れてあげるから、と言ったそうです。
男性は、子供の名前の入ったお稽古バッグを持っていたのだそうです。

おばさんは「ひとつ、ふたっつ、みっつ」と数えながら、リンゴを三個、手提げ袋に入れてくれました。
そしてその後もためらうことなく、そのまま「みっつ、みっつ、みっつ・・・」と小さく数えながら、リンゴが溢れそうになるまで十個も入れてくれました。

リンゴで一杯になった手提げ袋を渡しながら、男性の顔を見つめておばさんはこう言ったそうです。
「子供のためなら親はなんでもできるんだから、ここで挫けちゃだめだよ。」

たくさんのリンゴを貰ったことに驚き、そしておばさんの温かいひとことが心に沁みて、男性は本当に嬉しかったそうです。
そして自分がどんな顔をしていたのかにハッと気が付き、とても恥ずかしく思ったのだそうです。


人も物も、あらゆるものが押し流されて崩れ落ち、言葉を失うような震災の現場でした。
男性はそんな現場で連日家族を捜し、いろんな遺体と対面し、絶望の淵に立たされて、いつも死ぬことばかりを考えて過ごしていたのでした。
子供たちと一緒にいるとき、避難所で一緒に暮らす人たちと話しているとき。

そしていつしか、そんな心の様子は顔に現れていました。


両親や嫁さんはどこへ流されてしまったのか、これからどうやって暮らしていけばいいのか、子供たちをどうやって育てていけばいいのか、住居はどうなるのか・・
あの時一緒に流されていればこんなつらい思いをしなくてもすんだのに・・いっそ子供を連れて、向こうの世界に行ってしまおうか・・。


リンゴを売ってくれたおばさんは、男性の表情からそんな心の内を読みとったのかも知れません。
「子供のためなら親は何でもできるんだから・・・」
行方不明の妻や両親のためにも、助かったこの命を子供たちのために大事に使わなければ、今ここで踏ん張らなければ、とおばさんの言葉で気がついたそうです。
たくさんのリンゴだけでなく、死を思いとどまらせてくれた温かな励ましの言葉と心を貰って、男性は避難所に帰ったということでした。

後日、男性はこんなことも言っていたそうです。
「あのとき、お金を出してリンゴを買わせてもらってよかった。被災地だから被災者だから、何でもただで貰える、やってくれるという卑しい気持ちになっていたことに気づくことができた。」

被災地から遠く離れて暮らす私たちは、月日が経つに従って震災直後の危機感や寄り添う気持ち、声高に叫ばれた心の絆が薄れ、震災それ自体が遠いことのように感じられることがあります。
しかし、現場はまだ災害のさなかであり、私たちが震災や震災後の出来事から学ぶべきことや手を差し伸べられることはたくさんあります。

核燃料の処理や除染の問題、生活再建に向けての手助けなど目に見えることだけでなく、長期にわたる苦悩で折れそうになる心を支える言葉や想いなど、
見えない力、あたたかな心をどのように届けるかということも、学ぶべき、そして行うべき事柄のひとつです。

リンゴ売りのおばさんと同じように、やむにやまれぬ思いに突き動かされて被災地に手伝いに行かれた方も大勢いらっしゃると思います。
もう三年、ではなく、まだ三年です。無理のないお手伝いを、温かな心を添えて行っていきたいものです。

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今年もまた「歳徳神さま」と「火伏の龍」の文字を書きました。(由来などはこちらから

山形の佛性寺では、先代住職の頃から有縁の方に配布していますので、私もそれを引き継いで10組ほど書いて送っています。

大晦日近くになると、貰いに来るのだそうです。
暮れのあいさつをして、歳徳神様と一緒に雪の中をそれぞれの御家庭に帰っていく。
なんかいい風景ですね。

 

横浜のほうでも頂きたいという方がおられましたので、ひと組お渡しすることになりました。
よいお年をお迎え頂けますように、と心をこめて書かせていただきました(下手くそだけど)。

草友会の方々が、お地蔵さまの裏手に植えてあった水仙を、日当たりのよい霊園入り口のほうに植えかえてくださいました。
葉っぱばかりでなかなか花がつかなかった水仙でしたが、おかげで今年はもう花が咲いています。

近くに行くと、ほんのり、水仙の良い香りがします。

        

サザンカも花が咲いては散り、散っては咲くという、同じ木の中で花が交代する時期になってきました。
咲いたばかりの花のそばで茶色に変色して行く花弁や、蕊だけになってしまったものもあります。
いまさらですが、諸行無常、ですね。

散りゆく花もまた風情があります。

      

       

写真を見て気付いた方もいらっしゃるかも知れませんが、今回からカメラが変わりました。
同じペンタックスなのですが、k5からk3に更新です。
使わなくなっていたオリンパスのカメラセットや古いレンズを処分し、k5も下取りに出したら全部で5万円ほどになり、けっこう安く手に入れることができました。
これからはペンタックスk3とフジフィルムXE‐1の2台体制になります。

いよいよ、今年も残りあとわずか。今しかできないことを、今、しっかりやっておかないと。

今日はここまで。

 

さんぜのまなざし goo別院 1312



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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
泣けてきました。 (えみ(ハワイ))
2013-12-25 17:05:27
いつもありがとうございます。
避難所の男性とおばさんのお話、泣けてきました。
先日のニュースで、学校の給食の牛乳から放射性物質セシウムが発見され、数校が急遽配給を取りやめたそうです。育ち盛りの子供たちには牛乳は必要な栄養元です。本当に泣けてきます。子供たちには何の罪もないのです。
私も遠くに住んでいて何もできませんが、帰国の際は被災地を訪れて、少しでも手助けができたらと思っております。その方たちの心の支えになりたいって思っております。遠くから祈っています。

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Unknown (Unknown)
2013-12-26 11:36:00
えみさん、コメントありがとうございました。

皆さんからお預かりしている義捐金を届けに行かなくては、と思っているうちに今年も終わってしまいそうです
サンタさんやタイガーマスクにはなれないなあ・・


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良いお話有難う御座いました (伊部慶一)
2013-12-26 14:09:16
考えさせられました。背伸びせず自分の出来ることを考え実行していくことがあらゆることについて大切ですね。孫にもこの話を読ませたいと思っております。有難う御座いました。この1年、本当にお世話になりましたことを感謝致しております。良いお年をお迎えください。
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おせわさまでした (りんしょう)
2013-12-26 14:51:49
こちらこそ、今年はお世話になりました。

念願の写真部(仮)、来年はよろしくお願いします。

部員募集しなくちゃいけませんね(^-^)
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