(石巻市内:まだ転がったままの鯨缶詰の巨大看板)
暗闇のなかに立つ被災した警察署やショッピングセンターのある街の中心街を抜けて、暗い気持ちにふたをするように海沿いの道路を走ります。
能代からのドライブを終えて、当日の宿に着いたのは夜7時を回ったころでした。
本葬儀のお逮夜(葬儀の前の晩の行事)も既に終わり、参列の方々もすでに夕食の時間。
震災時には避難所になっていたホテルの一室に、故人を偲び、残されたお弟子さんや家族を気遣う方々が集まって、
ささやかな会食が行われました。
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翌朝はまだ薄暗いうちに起きだして、街の様子を見に出かけました。
早朝、雨が止んだ南三陸の街は、静かです。風の音と、ときおり走り去っていく車の音、そしておだやかな波の音。
街中の瓦礫はかなり片付けられていますが、山のように積み上げられているところもあり、分別が終わった後はまだそのままといった感じです。
「お店は場所を変えてがんっばてます」「全国の皆さん、ありがとう」といった感じの看板なども見受けられますが、実際は・・・・・
まだまだ厳しいことでしょう、そんな感じが景色からも見てとれます。
知恵を出し合ってのさまざまな復興事業、飲食店やコンビニも仮設店舗ではありますがけっこう賑わっているようです。
(下のバスを改造したラーメン屋さんは、お昼にはたくさんのお客さんが入っていました。)
しかし、日中に街中ですれ違う車は私を含めて多くが県外ナンバーやレンタカー。
連休明けの街のようすはどうだったのでしょうか、気になるところです。
建設業界が特需に沸いているとはいうものの、地域差がかなりあるようです。
解体処理にこれ以上お金がかけられない、また、解体しても瓦礫を持っていく場所がない、ということで震災当時そのままになっている建物もまだまだ多くあるとのこと。
とにかく、入江という入り江の集落が全て被災しているので、全てを旧に復するには膨大な時間と費用、労力が必要なのです。
解りきったことではあるのですが、あらためて考えさせられました。
自分は何をしてきたのだろう?この国はいったいどうなっていくのだろう?
1年前、石巻で拙僧を叩きのめした巨大なギモンが、暗く冷たい沼のように、また胸の中に居座ってしまいました。
その場所に立っているだけで、悔しいのと、情けないのと、いろんな感情が入り混じって涙が滲んできます。
朝食の後、降りしきる雨の中を本葬儀のおこなわれるお寺へと向かいます。
地域の仕事にも力を尽くした方丈様らしく、次第に強くなる雨にもかかわらず、多くの檀信徒の方々が御焼香にみえられました。
父であり師匠でもあった故人の無念を思う気持ちが、お弟子さんの挨拶にも滲んでいます。
導師を勤められた老師が、故人さまを送るその法語の最中、堪えきれずに一瞬言葉を詰まらせたその様子に、
多くの方が新たな涙を誘われたことでした。
がんばれとは言えないなあ・・・けれど、子どもさんの笑顔のためにも、少しずつ前に進んでいただけますように。
身体には、くれぐれも気をつけてください。
お昼前には本葬儀も無事に終了。
一緒に参列した方々と別れ、いっそう激しくなる風雨のなかを、今度は石巻に向かって車を走らせます。
1年前にみた石巻日和山公園の桜を、せっかくの機会、どうしても見てみたいと思っていたのです。
途中、お昼ご飯のために入った道の駅は、ひどい風雨を避ける人で超満員。名物蕎麦屋さんでは、相席もできないほど。
無い後ろ髪を引かれながら、再度車を走らせます。
さて、石巻市内に入って仮面ライダーを発見。おお、きれいになってる!
サイボーグ009のメンバーなど石ノ森ヒーローたちに迎えられて、ようやく石巻に着いたと実感。
早速日和山に登ります。
あいにくの風雨に、観光客の姿もほとんど見られません。でも、桜は1年前とかわらず同じように咲いていました。
神社から見下ろす街の風景、いろんなものが片付けられているからでしょうか、去年よりあっさりした感じがします。
大悲呪と観音経をお唱えして、心ばかりの御供養をさせていただきました。
「地震があっても津波が来ても、時期が来れば桜は咲くんだよなあ」
昨年4月半ばに初めて現場に来て、日和山のこの場所に立ちました。そしてさらに半月後、ここで桜が満開になっているのを見ました。
桜が咲いているという、ただそのことに強烈に心を動かされたことが、まるで昨日のように想い出されました。
来る途中コンビニで買ったビニール傘が、なんども「おちょこ」になるほどの雨風。
作務衣も靴もびしょびしょになってしまい、こりゃだめだ、で車に避難。
去年見た「がんばろう石巻」の看板を目標に、山を下りて街中を走ってみることに。
看板、ありました。去年瓦礫の中で見た鯉幟が、今年は看板の近くで元気に泳いでいます。
看板のところには誰でもお参りできるよう、献花台が作ってありました。そして、小さな献灯も。
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この火は被災した石巻地域から木片を集め
それを種火としました
東日本大震災から一年
亡くなられた方への哀悼の思い
生き残った私たちの“がんばろう”とする思い
心に残したく燈しました
2012.3.11
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献花台の手前には、大きく「復興するぞ!」の文字も。
忘れてはならない出来事をしっかり心に刻み、そして生活を続けている石巻の方々の強さを感じました。
ちょっとしたことで涙が滲んだりグラグラしてしまう、そんな自分を反省、であります。
昨年夏に来た時は、お墓や公共の建物、いろんなところがかなりきれいになっていて、
「こっちの人は仏様や地域のつながりを大切にしてるなあ、やっぱり東北の人は違うなあ」
と感心したことでありましたが、一年たってまだ手つかずのところもたくさんあります。
きれいに直したところが増えたので、壊れたりしているとかえって目立つ感じです。
しかしよく考えてみれば、直せないのは、もしかしたら一家全員亡くなっていらっしゃるからなのかも知れません。う~む・・・・
また、病院の近くはひどい地盤沈下で、雨が降るとご覧の通り。下右の写真はまるで川のよう・・・手がつけられないなあ。
浜の通りの松並木は、ほとんどすべて切り倒されて切り株だけが残っていました。
震災の日、津波に流されながらも松の木につかまって助かったはずの多くの人が寒さと疲れで力つき、
次々と木から落ちて亡くなったという話しは、本当にショックでした。
日和大橋のたもとは今、廃車置き場になっています。いったい何千台、あるんだろうか。
風雨の中、空も気持ちも暗くなっていたところ、松並木のあった場所に植えられたチューリップの畑を見つけました。
一か所だけ、そこが明るく華やかな感じがします。風に揺れる様子も、まるでコーラス隊が身体を揺らしているようです。
車を止めてしばらく眺めていたら、重くなっていた心がちょっとだけ軽くなりました。
花は、いいですね。
ここを通る人はちいさな花たちに、ひと時の心休める場所とほんの少しの勇気や力をもらっているのかもしれません。
花を植えてくれた方々に、こころからの感謝を申し上げます。
さて、カーラジオでは、山形道や東北道でがけ崩れの危険度が増したため、一部通行止めになっているとの情報が流れています。
JR仙山線が停まっている可能性もあることから、早めに仙台に向かうことにしました。
予定より2時間早く4時過ぎにプリウスを返却。結構飛ばしたにもかかわらず、リッター26キロの低燃費。
プリウス、いいじゃないですか!ちょっと欲しくなっちゃったかも。
レンタカーさんから駅までは200メートル。せっかく乾いた作務衣なのに、また雨の中を歩いて仙台駅へ。
かき揚げを乗せた立ち食いそばを食べ(結局、蕎麦ばかり食べてる)て、次の仙山線は何時発かな、と掲示板を見るとムムム、やはり「終日運転中止」の文字。
路線バスは運行しているとの情報を得て、結局、また雨の中を歩いて高速バス乗り場まで向かい(もうビショビショです)、山形駅行きのバスに乗車。
仙山線が運休なので、バスは満員です。
大きな荷物を抱えた拙僧、白い目に耐えてようやく席を確保。
ウトウトしているうちに発車したらしく、気が付いたら、いつの間にかバスは山形市内に入っていました。
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最近の園内の写真は下のフォトチャンネルからどうぞ。
さんぜのまなざし goo別院 1205
緑がだいぶ濃くなってきました。アジサイの花芽もだいぶ膨らんできました。
で、一句 紫陽花や母口ずさむ恋の歌 by rinshou
今日はここまで。