もう2週間も前になってしまいましたが、お寺の用事が重なって5月1日から4日まで、秋田県、岩手県、宮城県そして山形の実家に行ってきました。
秋田・山形は法要と相談事、そして岩手、宮城は震災がらみの見舞いと本葬での出仕です。
1日の秋田行きは、倫勝寺のご本寺、白鶴山(はっかくさん)倫勝寺さまの先代住職7回忌法要への出仕。
住職はお逮夜(おたいや・・ご法事前の晩におこなう行持)の仏祖礼(ぶっそらい・・ほとけさま方のみ名を唱えながら礼拝する法要)の導師を仰せつかっていますので、
午後2時前にはご本寺さまに到着しなければなりません。
でもって、能代へは大館能代空港行きの朝の便で出発です。
空港でレンタカーをピックアップしたあと、あまり早く着きすぎても、ということで能代周辺をゆっくり見て回ることにしました。
幾度か能代には来ているのですが、いつも空港から東能代行きのシャトルバスに乗ってしまいますので、近在に何があるのか知らないのです。
空港から一般道路へ出ると、一番先に目に付いたのはおおきな木蓮の木々。
冒頭の写真もそうですが、そこだけ白光を放つように、山林のなかに多くの木蓮が今を盛りとに咲き誇っていました。
耕運機が入ってしっかり耕された田んぼが、土のにおいを放っています。無人駅も、春らしいのんびりした風情です。
二ツ井方面に7号線を進んでいくと、米代川が大きく蛇行する地点にあるのが「きみまち坂公園」。
道の駅に車を置いて、片道10分ほどの公園までの散策に出かけます。
「 大宮のうちにありてもあつき日をいかなる山か君はこゆらむ 」
東北の旅の途中、この地で皇后の便りを受けた明治天皇は、一帯の風景と合わせて感動され、後にこの地を『きみまち坂』と名付けられた、というエピソードに納得する。
『日本一心のこもった恋文コンテスト』発祥の地でもある。
(以上 あきたファンドッとコム http://www.akitafan.com/sightseeing/detail.html?data_id=615 より)
秋田もやはり今年は豪雪だったようで、桜の開花は少し遅かったようです。
住職が行った時が、能代はちょうど桜が満開。1500本余の桜が満開になると、山に薄紅色の霞がかかったよう。
あたたかく、やわらかな花を求めて、たくさんの花見の方がいらっしゃいました。
ゆっくり花を見て、道の駅で「農家手作り」という看板の手打ちそばを食べていると、能代に行くんだったら工業団地にも行ってみるといいよ、とお店のお姉さんが教えてくれました。
なんでも、団地内の道路がほとんど桜の木だそうな。これはメモしておかないと・・
米代川沿いの堤防にも、たくさんの桜の木々。高齢者施設の方々がゆっくりお弁当を使っていました。本当にうららかな、よい天気でした。
ご本寺様に到着してあいさつの後、空いた時間に境内を拝観させて頂きました。
舟つなぎの大ケヤキや木蓮の大木。
周辺は宅地開発が進んでいますが、倫勝寺周辺だけは境内にそって流れる用水の流れも何も、以前のまま。
菜の花も、ちょうど盛りを迎えていました。
無事に仏祖礼の導師を終え、日本の、いや世界の銘酒「喜久水」を充分にいただき、奥様自慢のきりたんぽをいただいてその晩は市内に宿泊。
翌朝は早目に起きて、能代の工業団地へと出かけてみました。
散り始めてはいるものの、道路沿いに植えられた桜並木は圧巻の距離。まだ若い木々なのであと10年も経てば、それはそれは壮観な眺めとなるでしょう。
団地内の道路を外れて、田んぼの方へ出てみるとこれもまた素晴らしい景色が広がっています。
能代、いいところです。酒は旨いし・・・・・
さて、本法要にはまだ時間に余裕がありそうなので、車を飛ばしてこんどは「風の松原」へ。
秋田火力発電所の近くになります。
周囲にはJAXAの能代ロケット実験場もあります。ここは見学もできるそうな。
秋田は由利本荘・道川海岸に発射実験場もありましたから、日本のロケット発祥の地でもあるんですね。
「風の松原」
日本の自然100選、日本の名松100選、森林浴の森日本100選などに選ばれている。
樹齢100年を超すクロマツ林760haの中には遊歩道や林間広場が設置されている。
その昔、海風によって飛ばされて来る砂によって、町が埋もれてしまったり海水に浸ったりということの繰り返しだったが、
何人もの人々によって、二百年もの歳月をかけて黒松が植栽され、ついに砂防林として総延長14キロメートル、日本最大級の松原が出来上がった。
住民はやっと穏やかな暮らしを得る事が出来たのである。
今そこに花が咲き、鳥がさえずり、動物たちが駆け回り、五つもの『21世紀に残したい日本の自然』に選ばれた。
ここは、人々が憩い、心潤す、秋田県の誇りである。
(以上 あきたファンドッとコム http://www.akitafan.com/sightseeing/detail.html?data_id=458 より)
見渡す限り、クロマツの林であります。先人の苦労がしのばれます。木々はやはり、海風の影響で陸側に傾いて成長するんですね。
林の中の広場で見た桜吹雪が、非常に印象的でありました。
前日、着陸時の機内からも見えましたが、能代周辺の海岸沿いには沢山の風力発電設備があります。
写真撮影のときもけっこう風が強くて難儀しましたが、冬場はもっとすごいのでしょう。
横浜港(ハマウイングは回転直径80メートル)や東京湾にあるのと違い、ふた回りほど小ぶりな感じ(回転直径44メートル)ですが、ブンブン風車が回ったらものすごい光景でしょうね。
景観的にはあまり良くはないのでしょうが、人家から離れたところであれば低周波による害も無いでしょうし、電力的には大事な役割を担っているのかも。
しかし、バードストライクによる発電機の事故や、希少種類の鳥類の保護、メンテナンスや経年劣化による事故のことも気にかかります。
再生エナジーは場所と効率が問題なんですねえ・・・
北海道乙部の方に行ったときにも思ったのですが、送電設備って、どうなっているんでしょうか?近くに送電線がなかったしなあ・・
こういったエナジー関連の設備、いちどきちんと見てみたいものです。
さて、11時からの先住忌法要では焼香師さんの御世話係と両班末位で随喜をさせていただき、お食事もきちんと頂戴して、次の目的地、岩手県一関市へと向かいます。
プリウスをひたすら走らせること数時間。
途中休憩をはさんで秋田自動車道から東北道に入り、ようやく一関に着きました。
岩手内陸部では唯一本堂全壊の被害を受けた市内の円満寺さんは、住職の同安居、永平寺で同じ釜の飯を食べた間柄であります。
なかなか見舞いに行くこともできず気にかかっていたのですが、今回ようやくお伺いすることができました。
20数年前に一度お伺いして以来の拝登です。往時を思い出しながら参道を上がります。
数年前に新築したという仏塔は、全く被害が無かったといいます。本堂の上側に作った和風建築の書院も、たった1枚ガラスが割れただけ。
しかし、鉄筋コンクリートの本堂は、全壊してしまったそうです。
「建物は建ってたんだけどさ、あちこちヒビだらけで・・・少し古くなってたし、調べてもらうまでもなくもうダメだったんだよ」
無念そうな顔で彼はつづけます。
「断層がちょうど境内の真ん中、本堂の下を走っていたらしいんだ、まあそれで、本堂は解体、今は更地だ」
「日本建築のほうは全然なんともないんだよ、見ての通り・・・でもあの書院は本堂代わりには使えないし・・庫裏も危ないんだよねえ、あちこち傾いたりずれたりしてるしさ」
日本には日本建築だよ、彼は言います。
「宗務庁からプレハブの仮本堂も頂いたしさ、一つ一つやっていくよ それしかないしさ・・」
「ウチでやってる幼稚園の子供たちが何ともなくて、それが一番ほっとしたな、うん」
別れ際、すこし息を吐きながら言った言葉です。
多くの子供たちを預かっている園長先生としての彼にしてみれば、ほとけさまのこともさりながら、地震のあとの子供たちの心もケアなどにも心を砕いた1年であったのでしょう。
30分余の立ち話でしたが、毎日の法務や業務の中で再生を目指すことも、かなり厳しいものだと気付かされたことでありました。
泰英さん、なんかあったら、遠慮なく声かけてください、手伝いにいきます。
一関を後にして、あとは一路、南三陸へ。
途中、八郎右衛門神社に参拝してちょっと休憩。あとはひたすら、日の暮れぬうちにと南三陸に急いだのでありました。
大学生の頃、自転車で東北一周に挑戦しました。
下宿していた世田谷から山形の実家まで、自転車小僧は一泊二日で帰って来ました。その勢いで、8月上旬に出発。
しか~し、ちょうど三陸の海沿いの道を走っている最中、台風に直撃されて歌津、元吉近辺の宿に2日足止めされ、結局、失敗です。
ですから、南三陸町にはちょっとした思い入れもあります。
雨の降りしきる南三陸の夕闇に浮かんできたのは、寸断された橋脚や道路、焼け焦げた建物ばかり。
車を進めるにつれて、自分の顔がだんだんムッとしていくのがわかりました。
今日はここまで。