前回に続き、昌龍寺をご紹介いたします。今回は菱川師宣の描いたと言われる「涅槃図」を中心に紹介いたします。
昌龍寺は千葉県安房郡鋸南町保田にあります。
館山道・鋸南保田インターチェンジで下車し、一般道路を右折して500メートルほどいった所に「昌龍寺」の看板が出ています。
その看板から緩やかな坂を上ること100メートル。昌龍寺は小高い丘の上にあります。
本堂入り口からは、東京湾が望むことができます。
天気のよい日は遠くに大島が見えますし、空気の澄んだ秋、冬の夜は満天に輝く星や月を見ることが出来ます。
さて、昌龍寺は私で23代目になります。
慶長18年(1613年)、格峰本逸大和尚によってお寺は開かれました。
今年で395年目。あとすこしで開創400年になります。
今の本堂は前回書いたように、平成14年に檀信徒皆さんの力をあわせて建てた本堂ですが、私が住職になった当時は茅葺の上にトタンをかぶせた本当に古いお寺でした。
元々、本堂は裏山の中腹に建っていたとのことですが、地滑りが起きて建物がすべて倒壊し、今の場所に移ったのだそうです。
裏山の斜面に少しくぼんでいる部分があり、そこが本堂のあった場所といわれています。
新本堂の落慶式には、当時大本山總持寺の監院を勤めておられた故伊東盛熈老師を導師にお招きし、武蔵川部屋の力士衆にも来ていただいて餅つきをしました。
近隣の方々も参加して、それは賑やかな落慶式でした。
本堂入り口にかけてある山号額「大峰山(だいほうざん)」は伊東老師の筆によるものです。
次の写真は、前回もお話した本堂の天井絵。三浦市在住、佐藤雅画伯の双竜図。
天蓋というきらびやかな飾り道具ではなく龍の絵天井にしたのは、狭い本堂を広々と見せたいということと、菱川師宣という浮世絵の創始者の菩提寺ということから、なにか大きな絵をかけたいという意図があったからです。
(仏具には日焼けを防ぐため、白布がかけてあります)
さて、これが菱川師宣の筆になるものではないか、といわれている涅槃図です。
筆致が菱川系に間違いない、とはいわれるものの、本人が書いたかどうかは不明です。
画の左下隅に、赤い首輪をした猫が描かれています。
体調の悪いお釈迦様の薬袋を隠したという罰から、猫は涅槃図に描かれることはないのですが、この画には少し悲しそうな顔で描かれています。
涅槃図に猫が書き添えてあるのは、菱川だけに見られる特徴とのことなのですが・・。
またあらためて御案内いたしますが、明年2月、横浜市仏教会主催の涅槃会が倫勝寺で行われます。
その際、本堂正面にこの涅槃図をかけてご供養いただく予定です。
出開帳のような感じですが、皆さまにはその折に是非お参りいただきたく思います。
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今日のおまけ
急に寒くなったので霊園内の紅葉もどんどんすすんできました。
朝方の冷たい雨に、菊の色も心なしか引き締まって見えます。
最後は昌龍寺の山茶花。
小春日の穏やかな光のなかで咲いていました。
今日はここまで。