先日(12月17日)、鳳友産業さん主催の日帰りバス旅行に参加してきました。
「講談師と行く師走の江戸巡り・忠臣蔵ゆかりの地と浅草羽子板市の旅」というバス旅行です。
行先は「泉岳寺」「吉良邸跡」「回向院」「浅草寺」・・・行こうと思っても、なかなか行けない場所ばかりですので、参加してみることにしました。
講談師さんと巡る赤穂四十七士の史跡なんて、めったに機会がありません。
泉岳寺さんは倫勝寺と同じ曹洞宗の寺院です。赤穂四十七士のお墓のあることで知られています。
住職が大学生の時に、泉岳寺現住職の小坂機融先生に禅について教わったこともありますが、参拝させていただくのは初めてです。
泉岳寺から、講談師の神田陽司さんが合流し、いろいろとガイドをしてくれます。(写真は大石内蔵助像前)
さすが、講談師さん、これほど丁寧、緻密かつリアルなガイドは聞いたことがありません。
ネタそのものを現場でやってるわけですから、聞いている方もとてもわかりやすいのであります。
眼からウロコですね。こういうの、かなりいいです。
さて、本堂をお参りしてあたりを見渡すと、左方にどこかでお会いしたことのあるような方の御像があります。
住職が駒沢大学の学生時代、体育館ロビーでお会いした、というかロビーに似たような坐禅の像があったような・・・
で、よくよく見ると、おお、沢木老師ではないですか!
初めてお邪魔しましたが、泉岳寺さんには沢木興道老師の御像があったのですね、知りませんでした・・不覚であります・・・(平成元年に建てられたようです)。
大学時代から今に至るまで、沢木老師の著作にはけっこうお世話になっております。
『沢木興道聞き書き ある禅者の生涯』(酒井得元著、講談社学術文庫、1984年)などは沢木老師を初めて知るの方にも、読みやすいかもしれません。お礼の意味を含めて、しみじみとお参りさせていただきました。
沢木老師をお参りの後、団体一行と一緒に四十七士のお墓に参拝しました。山門くぐって左に50メートルくらいのところでしょうか。
12月14日の義士祭には、山門前からお参りまで2時間以上かかることも(!)あるそうです。
浅野家お墓入口のところで、お線香を求め、浅野家の殿様、奥さまのお墓とおまいりして、四十七士のお墓へ。
大石内蔵助以下、堀部安兵衛など、聞いたことのある名前が並んでいます。
忠臣蔵の解説を聞きながら、お参りします。主君の仇討ち、義のために死ねるかどうか・・・
うーん、その時代に生きていないと判らないことでしょうね・・
ここから、またバスに乗って今度は討ち入りの現場、吉良邸跡へ向かいます。
高輪から東京タワーの下を通り、国会議事堂を眺めながら丸ノ内へ。新大橋を渡って本所松坂町へ。
鬼平犯科帳などの話も織り交ぜながら、神田師匠のガイドは乗客を江戸時代にタイムスリップさせてくれます。
ここらへんに本所の鐵とよばれたころの若かりし鬼平さんの実家があった、とか、池波正太郎さんは軍鶏鍋の五鉄をこの辺に設定したのだ、とか・・・。
その昔は広大な敷地があったそうですが、今の吉良邸跡は本所松坂町公園になり、往時の90分の1ほどの大きさだそうです。
ナマコ塀の中には、首洗いの井戸やお稲荷さんがお祀りなどがありました。
その後、徒歩で回向院へ移動。
歴代相撲年寄りの供養碑、力塚(回向院は大相撲発祥の地)や鼠小僧次郎吉のお墓(受験合格に功徳があるそうな)、
犬猫供養塚(義太夫節の創始者、竹本義太夫さんのお墓があることから、三味線の皮に使われた犬猫を供養しているそうな)、をお参りし、昼食です。
昼食は江戸町衆料理、助六の宿「貞千代」さん。ここで食事をしながら、忠臣蔵から講談を一席、聞かせていただきました。
話は大高源五と宝井其角の段です。源吾は俳人となり其角と友人になり、討ち入り前日に雪降りしきる橋の上で句を交わす、というところです。
間近で講談を聞いたのは初めてです。表情、身振り手振りもまじえての語りに、目の前に映像が浮かび上がるようで、すっかり魅了されてしまいました。いいもんですねえ・・・
その後、浅草寺の羽子板市を見物。
初めて羽子板市に行きましたが、初日ということもあって、すごい人出でした。
サザエさんやクレヨンしんちゃん、白鳳関や来年の大河ドラマ・坂本竜馬などのかわり羽子板もあります。
でもやっぱり、私は伝統的な柄のものがいいですね。
中央の赤い着物の羽子板を娘に買って帰りました。息子には菅原道真の羽子板。
浅草寺は現在屋根の吹替え中。金龍山の山号からか、金色の龍が覆いの正面で睨みを利かせています。
たまに来るといいもんです。お昼にいただいたお酒も手伝って、とても豊かな気持ちになりました。
江戸情緒を満喫した一日でした。今日はここまで。