JAZZ from Nishinomiya

V・プレミアリーグのJTマーヴェラスを応援しつつ、日々の出来事や雑感を語ります。ときどき毒づきます。

Wikipediaの原稿の材料として

2007年05月20日 11時32分49秒 | JTマーヴェラス/高木理江選手
当ブログのコメント欄にも書き込みを頂きましたが、Wikipediaに項目「高木理江」が追加されました。

毎日チェックしたりしてます(笑)。hiroに似てるとか小西真奈美に似てるとかも書いてあったのですが、いつのまにか消えていましたね。あれはあれで面白かったと思いますが(笑)

俺はまだ書き込んでないし、書き方もよくわかりません。また、Wikipediaの仕組みを充分に理解しないまま自分で書くと、間違えたときに困りますので、自分で書き込むことは避けたいと思います。かといってせっかく協力要請を頂いたのになにもしないのもいかがなものか・・・

というわけで、現行の記事(2007.05.14現在)に少し補足したものをまとめてみました。使えそうな部分はコピペして使っていただければ、と考えます。

なお、2002年には全日本Bに選ばれたはずなのですが、そのソースとなる(信頼できる)資料・サイトが見当たりません。昔はあったんですけどねぇ、ミズノかJVAのサイトだったかと記憶しているんですが。。。



[プロフィール]
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山口県防府市出身
ポジション:ウイングスパイカー
身長:176cm
体重:64kg
最高到達点:290cm
足のサイズ:26.0cm
血液型:AB型


[来歴]
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小学校4年生からバレーボールを始める。小・中学時代のポジションはレフト。高校は山口県の強豪・三田尻女子高等学校(現・誠英高等学校)に進学。ポジションはセンターをつとめる。

後輩の栗原恵らと共に、2000年に全国高等学校総合体育大会(インターハイ)と国民体育大会(少年A女子)、翌2001年には春高バレー、インターハイを征し、4冠を達成する。またこの年の学生東西対抗戦メンバー(西軍)に選出される。

高校卒業後、2002年4月にJTマーヴェラスに入団。チームは前年度にVリーグ(現V・プレミアリーグ)から下部リーグであるV1リーグ(現Vチャレンジリーグ)に降格しており、高木の入団初年度はV1リーグでの戦いであった。初得点は2003年2月1日、第5回V1リーグの対PFU戦。

なお2002年には全日本Bチームに選出されている。メンバーは他に内藤香菜子(現・武富士バンブー)、五十川葉子(同)、吉澤智恵(同)、西脇万里子(現・東レアローズ)、芝田安希(同)、佐田樹理(現・日立佐和リヴァーレ)、高橋翠(現・トヨタ車体クイーンシーズ)、など。

Vリーグにおけるスターティングメンバーとしての初出場は、2005年1月29日、第11回Vリーグの対シーガルズ戦である。森山淳子選手(当時)の怪我に伴い出場のチャンスを得た高木は、アタックポイント6点(アタック決定率40%)、ブロック1本、サービスエース1本(サーブ効果率12.8%)を記録。そしてセンタープレーヤーとしては珍しくサーブレシーブにも参加し、受数13本に対し11本成功(成功率84.6%)と勝利に貢献した。この試合は高木のスパイクで幕を閉じたが、高木はその瞬間に感極まってコートで涙を流した。

第11回Vリーグでは、レギュラーラウンド計4試合にスタメン出場、またファイナルラウンドにおいても1試合にスタメン出場し、シーズン4位(当時のチーム過去最高位)に貢献した。

2005年の第55回黒鷲旗全日本バレーボール選手権大会から同年夏季に開催されたサマーリーグ西部予選にかけての数ヶ月間はライト(セッター対角)にも挑戦していたが、同年9月から開催の第12回Vリーグからはレフトに完全コンバートした。このリーグは故障者の発生や外国人選手の不調等によって、チームのスタメンが固定できない苦しいシーズンであった。高木もレフトやライト、センターのバックアップとしてユーティリティな活躍を見せた。リーグ終盤は主として外国人選手が後衛に下がった際の守備固めとしての活躍が多く、この戦術の定着によってチームの安定度は増したものの、チームはリーグ前半での不調が最後まで響き7位に終わる。

2006年5月3日の黒鷲旗・日立佐和リヴァーレ戦において、途中出場ながらチームを鼓舞する奮闘を見せるがチームは敗退する。

黒鷲旗終了後、監督の寺廻太からキャプテン就任を指名される。「簡単に受諾できるものではない」という高木の生真面目な性格から了承の返答は1ヵ月後になったという。寺廻が高木をキャプテンに指名した理由として、その真面目さと練習熱心さ、そして負けない気持ちといったものを挙げている。キャプテンとしての公式戦デビューは同年6月30日のサマーリーグ西部予選初戦である。

続く2006/07V・プレミアリーグでは開幕戦からジャンプサーブを披露する。ジャンプサーブは2005年のサマーリーグ西部予選において初披露したが、完成度が低く1日で封印したという経緯がある。なお通常のジャンプサーブは利き腕でトスを上げるが、高木は利き腕と逆の腕でトスを上げる。ただしサーブミスを回避するという観点から、リーグ中盤からは従来のジャンピングフローターサーブへと回帰している。

2006-07V・プレミアリーグではチーム史上初となる決勝進出を果たし、チームを準優勝に導く。2007年5月に開催された、第56回黒鷲旗全日本バレーボール選手権大会においても3年ぶり3回目の準優勝に貢献した。

努力家であり、チームでも有数の練習量を誇る。真面目かつひたむきなプレーで監督からの信頼も厚い。


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「主な経歴」「外部リンク」は現在のままで良いかと。


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2 コメント

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Wikipedia (Rodoriguez)
2007-05-22 03:43:41
yonsamaさん、ありがとうございます。Wikipediaは客観性に基づいた事実&簡潔性が求められるのでなかなか難しいですね。
あまりお役に立てませんでしたが、宜しくお願い致します。
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wikipedia (yonsama)
2007-05-21 05:18:39
ありがとうございます。
返信する

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