ジャーナリストとして死を覚悟していた後藤さん。
後藤さんが間際まで思っていたことはなんだろうか。
日本が交渉に応じれば、今後も同様のことが増えるだろう。
だから、救いを求めはしない。
救いを求めることは、人質の価値を上げてしまうこと。
後藤さんはおそらくわかっていた。
後藤さんは少しも恐怖を見せず。
まばたきのモールス信号で「助けるな」「見捨てろ」とメッセージを送っていたという意見もある。
当初から筆者も後藤さんの瞬きは何か気になっていた。
偶然では無いような気はする。
事前に、こうなった時にはこうしよう、と多分決めていたんだと思う。
それくらいの準備を行い、覚悟はあったと思う。
人質事件において後藤さんの意志を一番くむ方法は、
国として、一切交渉に応じないことだった。
首相もそれはわかっていただろう。
しかしそれはできなかった。
世論は、人質を見捨てる。それを認めないだろう。
もしそうなればそれは安易に口をつき、騒ぎ立てただろう。
それは逆に人質の価値を上げることになるわけだ。
つまり私たち国民の行動が人質の価値を上げてしまう。
より悪い方向へ進む。
それを自覚すべきだ。
後藤さんの覚悟は確かだった。
が、国民には覚悟がなかった。
今後次の被害者がでたとしたら、
それは我々の責任そのものだと思う。
安い論はテロに加担することど同義だ。
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