皆様 もうお忘れでしょうが…
実は 昨年より黙っていたことがありました。
一昨日、昨年9月「お墓詣り」に 帰福された松原夫妻とご一緒させていただい
た写真を載せましたが…
その時 とっても素敵な事があったのです。
そのお話の前にこれからの話をちょっと頭においてくださいね。
以前の日記を見てくだされば 同じことが書いてあります。
335のいきさつも 他の日で載せていますのでどうぞご覧ください。
*****************************
さて 見てください!
↓この中に松原正樹さんが世界一欲しいギターがあります。

マーチンD45 ギブソン…
なかなかツワモノが揃ってるでしょ?
小さい越前市の楽器屋にはこれだけ揃ってはいませんじゃ!
えっへん!!
で、どれなのかって?
それは ヒントは3月12日の日記です。
335を購入する為に2年間愛用していたギターを手放した…10万で…と書き
ました。
そうです そのギターどうなりましたでしょうか?
そこなんです!
手放したギターがまだこの世にあったら…
そしてそのギターに出会ったとしたらです。
手元に取り戻したい気持ちになるのはわからないでもありません。
「回答」
そのギターは「フェンダーストラートキャスター」でした。

ちなみに刻印には
「FENDER381613」と打ってあります。

韓国とかで製造する前のタイプで 今でも「良い音するんにゃわ~(福井弁)」
335が欲しかった時 まっつあんが大学のギター部に属している 友人N君に
話を持ちかけたところ二つ返事で購入してくれるとの事(その時はまっつあん知
らない他人に売るよりは嬉しかったと思うよ) よく10万持ってたものだと思
うけどね…。(かなりお坊ちゃまだっ!)
ほらね!
松原正樹愛用のギターだという証拠もありますよ。
「MASAKI」の手彫りサインなんかもあったりして…

この黒い色も「つや消しペイント」で塗ったとか…正樹さん言ってました。

当人は忘れているでしょうが お金と交換する時「麻雀パイ」も一緒に添付して
くれたそうです。
そのパイもギターも 放出する事無く ギターは今も現役でN君の営業(バンド
活動)の際は活躍しているそうです。
この間の会話…(ウメは聴いた!)
いっぱい 335の話をした後 フェンダーが健在だと聴いて…
松原「フェンダー 30万で売ってくれないか?」
N「やぁ~だね。オレずっと使ってて愛着あるもん」
松原「そっか そうだな…それだけ使い込んでてくれてるもんな ありがたいな
…でも いくらなら売ってくれる?」
N「だから 金の問題じゃないないんだって」
昌江「でも すごいねぇ~そのギターがあるってこともすごいけど…ずーっと使
っててくれたって事がね ありがたい話だねぇ~すんごく見たいっ!」
N「じゃ こんどブログにUPできるようにするよ」
昌江「それでさ、ホントにいくらだったら手放しても良いかなぁって ちょっと
聞きたいんだけど…」
N「いや 売る気ないって!」
N氏曰く
こいつはオレのところにいるから幸せなんだ!
弾いてもらえるしね。。。
昔手放す事になってしまったっていう出来事もあって 買い戻して手元に置きた
いっていう松原の気持ちもわかるけど やっぱり松原正樹の音は335なんだよ
。
オレは335は使いこなせてないけど(N氏の得意はアコギ。営業では場が持て
るのでバンド編成だそうで)
フェンダーの音は好きなんだ。
*******************************
と、言う事で この話は途切れたのでした。
でも 昨年の帰福時に 話をした際
「ねえ まっつあんのギター返してあげたら」
と、口火を切ったのは 私です!私!
すると、なんということでしょう。
N氏がいうことにゃ
「いいよ、やっぱもとの持ち主に帰るのはいいよな。
金はいらん。でも 俺も使ってるフェンダーやから
なんでもいいから 替りになるのくれ!」
まっつあん夫妻
「ほんと!ほんとにいいの
そんなもん あげますって」みたいな
あれよあれよの会話で このギターが持ち主のもとに戻る事になったのです。
N氏が そう言ったのは 松原君が病気の事を話したから?
いいえ 違うんです。
その前に なんか そうしたいって思っての承諾でした。
そこが 素敵です。
(もともといつか返してやろうって思っていたのだとか)
ほどなくして フェンダーを送ったN氏
そして 松原さんから かわりの愛用のギターが届きました。

ウェブで見ると ちゃんと載っていますね。
このギターです。

本当は 東京へ行く用事があった際に
松原邸に 持って行きたかったらしいのですが
その時 まっつあんがちょうどレコーディングとか忙しかったのです。
それが ちょっと心残りだったとN氏。
まっつあんと ギター見ながらあーだこーだ言って話したかったそうです。
今迄 黙ってたのは
もしも またライブ開催された時に
「こういうギターが戻ってきました」って
ステージで生きた音を鳴らしてくれたりしたら
その時に書こう!って決めていたんです。
でも・・・全部置いて 逝っちゃいました。
ただ 彼の音楽や エピソードはてんこもり。
ずっと生きていくんです。
それは 本当に素晴らしいと思います。
って ことで 母親の介護を卒業した私は
また N氏のギター教室に通うようになり
この「ムーン」の前で いつまでたってもへたくそギターを
「ちくりちくり」と 叱られてへこんでいるのですよ。
まっつあん 助けて!!
実は 昨年より黙っていたことがありました。
一昨日、昨年9月「お墓詣り」に 帰福された松原夫妻とご一緒させていただい
た写真を載せましたが…
その時 とっても素敵な事があったのです。
そのお話の前にこれからの話をちょっと頭においてくださいね。
以前の日記を見てくだされば 同じことが書いてあります。
335のいきさつも 他の日で載せていますのでどうぞご覧ください。
*****************************
さて 見てください!
↓この中に松原正樹さんが世界一欲しいギターがあります。

マーチンD45 ギブソン…
なかなかツワモノが揃ってるでしょ?
小さい越前市の楽器屋にはこれだけ揃ってはいませんじゃ!
えっへん!!
で、どれなのかって?
それは ヒントは3月12日の日記です。
335を購入する為に2年間愛用していたギターを手放した…10万で…と書き
ました。
そうです そのギターどうなりましたでしょうか?
そこなんです!
手放したギターがまだこの世にあったら…
そしてそのギターに出会ったとしたらです。
手元に取り戻したい気持ちになるのはわからないでもありません。
「回答」
そのギターは「フェンダーストラートキャスター」でした。

ちなみに刻印には
「FENDER381613」と打ってあります。

韓国とかで製造する前のタイプで 今でも「良い音するんにゃわ~(福井弁)」
335が欲しかった時 まっつあんが大学のギター部に属している 友人N君に
話を持ちかけたところ二つ返事で購入してくれるとの事(その時はまっつあん知
らない他人に売るよりは嬉しかったと思うよ) よく10万持ってたものだと思
うけどね…。(かなりお坊ちゃまだっ!)
ほらね!
松原正樹愛用のギターだという証拠もありますよ。
「MASAKI」の手彫りサインなんかもあったりして…

この黒い色も「つや消しペイント」で塗ったとか…正樹さん言ってました。

当人は忘れているでしょうが お金と交換する時「麻雀パイ」も一緒に添付して
くれたそうです。
そのパイもギターも 放出する事無く ギターは今も現役でN君の営業(バンド
活動)の際は活躍しているそうです。
この間の会話…(ウメは聴いた!)
いっぱい 335の話をした後 フェンダーが健在だと聴いて…
松原「フェンダー 30万で売ってくれないか?」
N「やぁ~だね。オレずっと使ってて愛着あるもん」
松原「そっか そうだな…それだけ使い込んでてくれてるもんな ありがたいな
…でも いくらなら売ってくれる?」
N「だから 金の問題じゃないないんだって」
昌江「でも すごいねぇ~そのギターがあるってこともすごいけど…ずーっと使
っててくれたって事がね ありがたい話だねぇ~すんごく見たいっ!」
N「じゃ こんどブログにUPできるようにするよ」
昌江「それでさ、ホントにいくらだったら手放しても良いかなぁって ちょっと
聞きたいんだけど…」
N「いや 売る気ないって!」
N氏曰く
こいつはオレのところにいるから幸せなんだ!
弾いてもらえるしね。。。
昔手放す事になってしまったっていう出来事もあって 買い戻して手元に置きた
いっていう松原の気持ちもわかるけど やっぱり松原正樹の音は335なんだよ
。
オレは335は使いこなせてないけど(N氏の得意はアコギ。営業では場が持て
るのでバンド編成だそうで)
フェンダーの音は好きなんだ。
*******************************
と、言う事で この話は途切れたのでした。
でも 昨年の帰福時に 話をした際
「ねえ まっつあんのギター返してあげたら」
と、口火を切ったのは 私です!私!
すると、なんということでしょう。
N氏がいうことにゃ
「いいよ、やっぱもとの持ち主に帰るのはいいよな。
金はいらん。でも 俺も使ってるフェンダーやから
なんでもいいから 替りになるのくれ!」
まっつあん夫妻
「ほんと!ほんとにいいの
そんなもん あげますって」みたいな
あれよあれよの会話で このギターが持ち主のもとに戻る事になったのです。
N氏が そう言ったのは 松原君が病気の事を話したから?
いいえ 違うんです。
その前に なんか そうしたいって思っての承諾でした。
そこが 素敵です。
(もともといつか返してやろうって思っていたのだとか)
ほどなくして フェンダーを送ったN氏
そして 松原さんから かわりの愛用のギターが届きました。

ウェブで見ると ちゃんと載っていますね。
このギターです。

本当は 東京へ行く用事があった際に
松原邸に 持って行きたかったらしいのですが
その時 まっつあんがちょうどレコーディングとか忙しかったのです。
それが ちょっと心残りだったとN氏。
まっつあんと ギター見ながらあーだこーだ言って話したかったそうです。
今迄 黙ってたのは
もしも またライブ開催された時に
「こういうギターが戻ってきました」って
ステージで生きた音を鳴らしてくれたりしたら
その時に書こう!って決めていたんです。
でも・・・全部置いて 逝っちゃいました。
ただ 彼の音楽や エピソードはてんこもり。
ずっと生きていくんです。
それは 本当に素晴らしいと思います。
って ことで 母親の介護を卒業した私は
また N氏のギター教室に通うようになり
この「ムーン」の前で いつまでたってもへたくそギターを
「ちくりちくり」と 叱られてへこんでいるのですよ。
まっつあん 助けて!!