436回忌宗治祭
6月3日 日曜日に岡山市北区高松の高松城址(じょうし)公園で 行われました。
ウチの亭主が ひょろりと行って 土産に饅頭を買ってきました。
その饅頭の箱の包み紙に 思わず 見とれてしまいました。
コレです。
清水宗治は 戦国時代 備中高松城の城主です。
備中高松城は 当時 織田信長と対立する毛利の東の要にありました。
部下の羽柴秀吉は 低湿地にある沼城、高松城を攻めあぐねて
水攻めという奇策に出ました。
城の南側 平野部の全域に堤防を築き 足守川の水を堰き止めて
城下を湖にしたのです。
清水宗治は 湖水の孤城となった高松城から出て
水上の舟の上で 和睦の条件を受け入れて 自ら切腹したのでした。
「浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して」
辞世の句です。
切腹の雛型が出来たのは この時からだと言われています。
信長が本能寺で明智光秀に討たれた その二日後のことです。
これを 清水宗治が知っていたら 切腹などしなかったでしょうね。
ジーッと 包み紙を見ながら、ふむふむと陣取りを見て
饅頭を頬張りました。
美味い。。。
特に 一番下の 黒い饅頭は なんと、水攻め饅頭と
言うそうです。
薄皮の こしあんの きんつばです。
美味い。。。
清水宗治を偲んで 宗治饅頭を食べたのでした。
宗治さんの死は無駄にはなっていませんよ〜
436回忌に 宗治饅頭
こんなに後世まで 偲ばれる人も そういないでしょう。
亭主が 疑問に思ったこと
岡山市長が 436回忌なのに式典に防災服で参加していた。(他は 黒服 黒ネクタイ)
同日 足守川 氾濫の防災訓練があり
それに参加して その後こちらに直行した為であるが
足守川氾濫訓練は 水攻めの日にちなんで 行われているのか?
川の氾濫と 人為的に堰き止めた事(水攻め)を 関連づけて 行事を組んでいるのか?
そんな事を ぶつぶつ言っておったが。。。
そんな事 どうでもええやんけ。
饅頭 美味い。。。の きなこママであった。
6月3日 日曜日に岡山市北区高松の高松城址(じょうし)公園で 行われました。
ウチの亭主が ひょろりと行って 土産に饅頭を買ってきました。
その饅頭の箱の包み紙に 思わず 見とれてしまいました。
コレです。
清水宗治は 戦国時代 備中高松城の城主です。
備中高松城は 当時 織田信長と対立する毛利の東の要にありました。
部下の羽柴秀吉は 低湿地にある沼城、高松城を攻めあぐねて
水攻めという奇策に出ました。
城の南側 平野部の全域に堤防を築き 足守川の水を堰き止めて
城下を湖にしたのです。
清水宗治は 湖水の孤城となった高松城から出て
水上の舟の上で 和睦の条件を受け入れて 自ら切腹したのでした。
「浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して」
辞世の句です。
切腹の雛型が出来たのは この時からだと言われています。
信長が本能寺で明智光秀に討たれた その二日後のことです。
これを 清水宗治が知っていたら 切腹などしなかったでしょうね。
ジーッと 包み紙を見ながら、ふむふむと陣取りを見て
饅頭を頬張りました。
美味い。。。
特に 一番下の 黒い饅頭は なんと、水攻め饅頭と
言うそうです。
薄皮の こしあんの きんつばです。
美味い。。。
清水宗治を偲んで 宗治饅頭を食べたのでした。
宗治さんの死は無駄にはなっていませんよ〜
436回忌に 宗治饅頭
こんなに後世まで 偲ばれる人も そういないでしょう。
亭主が 疑問に思ったこと
岡山市長が 436回忌なのに式典に防災服で参加していた。(他は 黒服 黒ネクタイ)
同日 足守川 氾濫の防災訓練があり
それに参加して その後こちらに直行した為であるが
足守川氾濫訓練は 水攻めの日にちなんで 行われているのか?
川の氾濫と 人為的に堰き止めた事(水攻め)を 関連づけて 行事を組んでいるのか?
そんな事を ぶつぶつ言っておったが。。。
そんな事 どうでもええやんけ。
饅頭 美味い。。。の きなこママであった。
秀吉は信長訃報を聞き
急遽毛利と和睦をして
京へ取って返したあのお話ですね
光秀の放った間者は3人ともつかまり
毛利はその話を知らなかったんですね
この後、秀吉軍は鎧や武器を担いで褌(ふんどし)いっちょで10日間駆け通したのでしたっけ、確か。距離にして約200km!
この間の補給はいったいどうやってしたのでしょう?
3万人のごはん、3万人のトイレ、とても気になります。
おはようございます。
備中高松城は最近天空の城として脚光を浴びているところですね。
大河ドラマでも何度も出てきていますので、ぜひ行ってみたいと思っていました。行ったら、この饅頭ですね!(笑)
こちらは 平野部の沼城
高松 松山とややこしいですね。
備中高松城は 清水さんで絶えましたが
備中松山城の松山藩は 幕末まで続きました。
幕末の藩政改革をしたのが 陽明学者 山田方谷です。
情報をゲットする、ほんの1日の差で
秀吉は 大返しをして 光秀を討ち 天下を取り
毛利方に忠誠を誓った清水宗治は切腹したのです。
水攻めという 攻め方を考えた黒田官兵衛も
また 知将であったのです。
足軽たちは重い武具は外し ただひたすら駆けたのでしょう。
途中の村々で炊き出ししてもらい トイレは 野山で。。。?
姫路までの道のりで 岡山の野殿というところを通ったそうです。
ここには私がよく行く ホームセンターがあります。
そこに行くたびに 秀吉の大返しを空想しています。
水攻めも 一俵積むごとに かなりの報奨金を出したそうで
大返しも 金をばらまいたのでは?と思います。
人間って 欲で動きますからね〜
あの水攻めです。
来年の大河ドラマは 光秀ですよね。
きっと このシーン クライマックス辺りで出るはずです。
楽しみ〜