歴史探偵さかもとさん

岡崎・三河の歴史を紹介しています

公園で一番太い松 歴史探偵さかもとさん

2017-11-25 00:07:31 | 日記
公園で一番太い松 歴史探偵さかもとさん




歴史探偵 さかもとさんがゆく!!【岡崎公園で一番太い松】

岡崎公園にはたくさんの松が見られますが、一番太いと言われている松は
「えな塚」のすぐ近くにあります。「岡崎市の木」のひとつ、クロマツです
とても太い幹で、立派としか言いようがありません
きっと、多くの出来事をみてきたことでしょう
なんだか、聞いてみたいですね

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【幸せを呼ぶけどキケン!?岡崎公園のテーダ松の松ぼっくり】歴史探偵さかもとさん

2017-11-22 21:59:05 | 日記
【幸せを呼ぶけどキケン!?岡崎公園のテーダ松の松ぼっくり】歴史探偵さかもとさん


歴史探偵 さかもとさんがゆく!!【幸せを呼ぶけどキケン!?岡崎公園のテーダ松の葉】

岡崎公園には「岡崎市の木」のひとつ、クロマツのほかに、テーダ松が見られます。
テーダ松は北米東部原産の松です。クロマツが2本1組の葉に対し、テーダ松は
3本1組。ところが、中には4本1組の葉が見つかる事もあるのですが、それは
四葉のクローバーと一緒で非常に珍しく、幸せを呼ぶと言われる事があるそうです。
松ぼっくりも、大きくて立派なのですが、立派なとげも生えています!
手に取る場合は、本当に気をつけてください><
落ちてから時間が経っているものは、とげもだいぶ落ちているので痛くないものが多いですよ
クリスマスには活躍しそうですねw

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【東照公えな塚】歴史探偵さかもとさん

2017-11-18 18:32:50 | 日記
【東照公えな塚】歴史探偵さかもとさん

歴史探偵 さかもとさんがゆく!!【東照公のえな塚】
徳川家康公のえな(胞衣)を埋めた塚で、もともと本丸南にあったものを移転した際に作った記念碑
家康公のえな(へその緒・胎盤)を埋めたと伝えられる塚です。
古来、日本ではえなを埋めて子供の成長を願ったといわれ、生誕時の喜びと祈りの込められたスポットとされています
そのためか、戦国時代の武将には、生まれた子のえなを祀る風習があったそうです

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【竜の子、贔屓(ひき)】歴史探偵さかもとさん

2017-11-17 12:29:12 | 日記
【竜の子、贔屓(ひき)】歴史探偵さかもとさん

歴史探偵 さかもとさんがゆく!!【竜の子、贔屓(ひき)】

岡崎城の正面右手にみえる神獣。これは亀のようにみえますが亀ではありません。中国の伝説上の生物で、竜が生んだ9頭の神獣のひとつで、贔屓(ひき)といい、9頭の長男と言われています。亀との違いは、口に牙が生えていること。伝説では重いものを負う事を好むと言われるため、中国の習わしで、古来石柱や石碑の土台(亀趺きふ)として用いられて来たものが、ここ岡崎城でも使われています。寄贈者の名は本人の意思により刻まれていません。そういうところも素晴しいです。

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【家康公のしかみ像】歴史探偵さかもとさん

2017-11-16 10:12:00 | 日記
【家康公のしかみ像】歴史探偵さかもとさん

歴史探偵 さかもとさんがゆく!!【しかみ像】
徳川家康三方ヶ原戦役画像』(とくがわいえやすみかたがはらせんえきがぞう)は、徳川家康の肖像画の一つ。徳川美術館所蔵。像主が顔を顰(しか)め憔悴したような表情に描かれていることから、『顰像』(しかみぞう)とも呼ばれている。
日本国・愛知県および名古屋市による文化財指定・登録はなされていない[5]。

『徳川家康三方ヶ原戦役画像』(徳川美術館所蔵)[1][2]。家康が、三方ヶ原での敗戦直後にこの像を自戒のため描かせたとする伝承は、昭和時代に創作・形成されたもので史料的根拠は存在しないが[3]、そこに含まれる教訓性が多くの日本人から共感・支持された結果、同伝承が広く定着するに至った[4]。
Wikipediaより抜粋


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