〈上高地 河童橋〉
1979年だった。
その前年の1978年に所謂江川事件で
巨人の小林繁がドラフトで
指名された阪神を嫌った
江川卓の身代わりに阪神へ移籍した。
小林の前年の成績は13勝12敗2セーブ、
小林の前年の成績は13勝12敗2セーブ、
勝率は.520で,防御率が.410だった。
ところが翌年の成績が22勝9敗1セーブ
で勝率は.710で防御率は.289だった。
そこで小林繁は悲劇のヒーローと
言われた。
引退後の小林繁は解説者、近鉄のコー
チそして日本ハムのコーチをつとめた。
さらに小林は少年硬式野球チームの
オールスター福井の総監督を
つとめている。
〈鹿島槍ヶ岳山頂〉
小林が「必ずプロ野球選手になる逸材」と
見初めた少年が平沼翔太だった。
平沼は敦賀気比高校へ進学し
三年生では第87回選抜高校
野球大会に四番打者で
出場して敦賀気比高校を
甲子園優勝へ導いた。
甲子園での通算打率が.375だった。
その後2015年10月22日の
ドラフト会議で日本ハムから
内野手として4位で指名された。
今年の成績は69打数18安打で
打率が.261。
ポジションはショートで
打率が低い中島を
脅かす存在になった。
小林繁は平沼翔太の活躍を
見ることもなく2010年1月17日に
心不全でなくなった。
生前偶然に札幌駅前のスクランブル
交叉点ですれ違った小林繁は
紺のスーツを着た紳士だった。
ただ顔色は真っ黒で疲れているように
見えた。
享年は57歳で若すぎる死だった。
平沼の活躍をテレビで見かけると
小林繁を思い出す。
〈鹿島槍ヶ岳山頂〉