【「日本ボウリング史料館」】
2007年6月22日は1年でもっとも昼間が長い日です。しかし
首都圏エリアでは朝から雨。一瞬だけ空が明るくなったものの、夕方
またまた雨。そして朝のラッシュ時における交通網のトラブル・・・。
今年の夏至はそんな感じで過ぎていきました。
ところで、6月22日は「ボウリングの日」なのです。なぜ?
ボウリングは、今から7000年前(5200年前ともいわれている)エジ
プトの地で誕生しました。当時の子供のお墓から大理石でできたピン
が発掘されたことから判明しました。 500年前の中世では、ドイツの
僧院で「ケーゲル倒し」が行われました。これは宗教の儀式のひとつ
で、ケーゲル(棍棒)を悪魔に見立て、丸いものを転がしてその倒れ
た数の多さで投球者の信仰心を評価していました。この儀式はやがて
その信仰心よりも「投げて目標物を倒すという面白さ」が上回るよう
になり、信仰心そっちのけでブームになってしまいました。ドイツを
発端にフランス、イギリスにもその「競技」が流布したのです。
16世紀に入り、現在の「テンピンズ・ボウリング」の原型となる
「ナイン・ピンズ」が考案されました。9本のピンをダイア型に並べ
それを倒すもので、考案者は驚くなかれ、あのマルティン・ルターだ
ったのです。これがまた爆発的に流行し、1626年にアメリカへ伝播さ
れたのです。
アメリカではニューヨークを中心にまたたく間に流行し、1800年代
に全盛期を迎えました。ナイン・ピンズは、ピンもボールも小さかっ
たので、酒場の片隅などにレーンが設置されました。酒が入ると賭け
をしたくなる・・・ということで、皮肉にも賭博としてさらに流行し
ていきました。しかし、あまりにもその行為がエスカレートしたため
1841年のコネチカット州を発端に、全米で「禁止」されてしまったの
です。
しかし、何時の世にも頭がキレる人物がいるものです。「ナインが
NGならば、もう1本増やしてテンにすればいいじゃん」ということ
で「テンピンズ・ボウリング」、すなわち近代ボウリングが誕生した
のです。
1874年にはニューヨークに初めてのボウリング・センターが作られ
1875年にはレーンの長さやボールの大きさ等の「規格」が制定され、
標準化が図られたのです。「酔っ払いの賭け事」だったボウリングは
ここに「スポーツ」として大きく生まれ変わったのでした。
日本にボウリングが伝播されたのは、1861年 6月22日のことです。
長崎・出島の「唐人屋敷波止場」に近い広馬場という場所に、初めて
ボウリング・サロンが登場しました。そしてヘンリー・ギブソン氏が
“THE NAGASAKI SHIPPING LIST ADVERTISER ”という日本最初の英字
新聞に、本日(6月22日)開業の案内広告を掲載したのです。
その後、日本で広く流行したのは、第二次世界大戦後のことです。
1950年に日本ボウリング協会が設立され、その2年後に東京・青山の
地に本格的なセンターが設立されたのです。そして1967年に日本プロ
ボウリング協会が発足し、プロ競技がスタートしました。1970年頃に
迎えた「大ブーム」、そしてその後の衰退は、皆様ご存知のことだと
存じます。
6月22日を「ボウリングの日」としたのは、日本でその日に記念
すべき「第一投」が投じられたことを偲び、昔の人達がそうであった
ように、わたしたちもボウリングの大きな魅力を、出来るだけ多くの
人々に伝え残したいと願うからなのです。
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