【写真:「釜鳴屋平七の像」@熱海市 2012年12月11日15時06分撮影】
「マグロの競り」が話題になっています。「マグロ」を巡りその昔
行動を起こした人のお話をさせていただきます。
釜鳴屋平七
時は安政の時代。熱海の海岸で漁民一揆が起こりました。
マグロ網の権利をめぐって網元と漁民との争いが激化する中、網元
の一人、平右衛門の長男、釜鳴屋平七は他の網元のやり方に反対し、
漁民に同調、網元から脱退し漁民の先頭に立ち問題解決を図ろうとし
ました。
しかし、争いは収まりませんでした。そこで、平七らは漁民 250人
とともにムシロ旗を立てて韮山代官所に押し掛け、役人の制止を振り
切り代官に訴状を差し出したのです。
代表者平七ら7名は捕らえられ、首謀者とみなされら平七は流刑に
処せられました。文久3年(1863年)の10月、江戸から八丈島へ送ら
れた平七は、船中での虐待で衰弱し大島で降ろされ、同11月 4日35歳
で亡くなりました。
漁民たちは平七の遺志を受け継ぎ、長い間苦難の戦いを続け、よう
やく勝訴を勝ち取りました。
その後 100有余年、今もなお大衆の心の中に生きる義人平七の魂は
ここに眠っています。
「熱海市 資料より引用 加筆」
平七が見つめる熱海の浜べ
おだやかな熱海の海岸…。どの地でも熱き志をもった人物はいます。
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