
【マディソン・バッグ】
1970年代のバラエティ番組の象徴といえば私は『ぎんざNOW!』
を推したい。タモリやビートたけしがブレイクする前、この番組の司
会をしていたのが「せんだみつお」である。彼は当時『ちびろく』の
CMを含め「仕事ください」ではない状態であった。
『ぎんざNOW!』は1972年10月 2日に始まり、1979年 9月まで続
いた。この番組がスタートした頃、私はまだ小学生であった。この番
組の存在に気づき、意識して観だしたのは中学1年生からだったかと
記憶する。
好きだったコーナーは「素人コメディアン道場」である。このコー
ナーをきっかけに世に出、現在でも活躍しているコメディアンがいる。
代表的なのは関根勤(デビュー当時は「ラビット関根」)、小堺一機
であろう。その後、第二世代として清水アキラ、桜金造、アゴ勇(註)
らが登場した。「ザ・ハンダーズ」というグループも結成され、「ハ
ンダースの想い出の渚」等左卜全のものまねを含むコミックソングも
リリースされた。
※(註):桜金造とアゴ勇は後に、「アゴ&キンゾー」を結成した。
「小山ゆうえんち~」はスマッシュヒットであった。
とりわけ、いちばんインパクトの強かったのは「ラビット関根」で
ある。まず第一印象が「濃い」。いでたちは「アイビー・スーツ」に
「蝶ネクタイ」であった。得意芸は「ジャイアント馬場」もの。それ
以前でも「馬場ネタ」は様々な芸人が演じていたのであるが、彼の演
ずるそれは非常にテクニカルであった。詳細な部分まで、木目細かな
配慮があった。
ラビット関根はその後、他局の『カックラキン大放送』にレギュラ
ーで出演する。「素人~」で華々しくデビューしたものの、この番組
で「必殺カマキリ忍法」を駆使し、研ナオコ+新御三家(郷ひろみ、
野口五郎、西城秀樹)にあえなく撃沈される姿は、子供の目にも痛々
しくさえ映ったものだ。
しかし彼は、『欽ちゃんのどこまでやるの』の中の一コーナで小堺
一機とのユニットを組み、お茶の間の人気を確立した。その後着実に
活動を続け現在に至る。その健在ぶりは、皆様ご存知のところであろ
う。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます