らば~そうる “IN MY LIFE”

旅、音楽、そしてスポーツのこと。過去、現在、そして未来のこと・・・「考えるブログ」。

3037.「連合赤軍あさま山荘事件」の頃を思う

2014-02-28 | 52.The Past
 「連合赤軍あさま山荘事件」。この事件は私の幼少時代に起こり、
日本中を震撼させた事件である。特に1972年 2月28日警察側が山荘に
突入し犯人を連行する場面は、その様子を報道した画像とともに、今
でも鮮明に記憶に残っている。この記事は2007年 8月30日付けの内容
を、当時の模様を伝える動画とともに再度お伝えしたい。

 はじめにお断りをいれておきたい。

 「連合赤軍あさま山荘事件」は日本社会運動史上、まさに重大な転
換となる大事件である。事件の背景にある一連の動き、例えば、「集
団リンチ殺人事件」との関連等、軽々しく論じられるものではないと
認識している。ここでは「茶の間で見たテレビの映像とその時代」と
いう観点で書いてみたい。

 1972年 2月28日午前10時前、最後の5分前警告に対し、あさま山荘
に人質を抱えながら篭城する連合赤軍犯人らは、沈黙を守り続けた。
そして午前10時、警察側の作戦開始命令が発せられるや否や、犯人側
は一発の銃弾を放ってきた。

 バーン!

 厳寒の現場に響く乾いたその音とともに、銃撃戦が開始されたのだ。
かくして日本全国津々浦々、6,000 万人をテレビの前に釘付けにし、
89.7%の視聴率を記録したと言われている「連合赤軍あさま山荘警備」
の生中継が同時に開始されたのである。

 理由は定かではないが風邪でも引いたのだろうか、わたしはその日
自宅で寝ており、テレビの前で中継を観ていたのである。当時は世相
的にどのような時代だったのだろうか。ちょうどひと月前にグアム島
で横井庄一陸軍兵が発見されたこと、札幌で冬季オリンピックが開催
され、日の丸ジャンプ隊が70メートル級純ジャンプで金・銀・銅メダ
ルを独占したこと、女子フィギア・スケートの妖精ジャネット・リン
が人気を博したことが思い出される。2月上旬から妙義山周辺で繰り
広げられていた「薄暗い逃走・逮捕劇」は、少なくとも小学生のわた
しには、明るい話題に隠れ「そのこと」すらわからなかったのだ。

 風邪でボーッとしている中、「クレーンにくくりつけられた鉄球」
が突然画面に映し出された。鉄球で山荘の壁を叩き壊す作戦だという。
当時警察本部で現場の指揮官を務めていた佐々淳行氏によれば、この
「大鉄球作戦」は1969年の東大安田講堂城攻め以来、アイデアを暖め
続けてきたということである。破壊された壁面の隙間から放水・・・。
異常な映像が次から次へと続く。

 激しい銃撃戦の中、警察側の隊員が凶弾に倒れ搬送されるシーンが
映し出される。そして「静かで不気味なあさま山荘北側壁面」の映像
の中、実況のアナウンサーの声が響く。

 動き出しました。
 あの場所では突っ込みにくいですね。
 何か見えます。
 白い「布」・・・ですね。三階のいちょうの間でしょうか。

 信越地方の日暮れは早い。人質が救出され、ボサボサの髪を警察隊
につかまれ白い息を吐きながら連行される犯人たちを映し出すために
は、「ライト」で現場を照らさなければならなかった。

 よしだたくろう「結婚しようよ」、ペドロ&カプリシャス「別れの
朝」がヒットしていた時代、まだテレビのカラー映像が少し色褪せて
滲んで見えた時代の事件である。





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