5月になった。この季節になると「北海道の旅」の企画を始める。
とはいっても、そんなに大袈裟なものではなく「こんな感じで・・・」
というラフなイメージだ。
北海道を訪ねて数十年、いつの日かその廃線跡を辿るようになった。
鉄道にはそんなに詳しい知識を持ち合わせていないのだが、現場でその
痕跡を確認すると、とても懐かしい気持ちになる。道北エリアに郷愁を
感じるわたしにとって、とりわけ「天北線」に対してはその響きといい
なにか引き寄せられるものを感じる。
天北線は、もともと宗谷本線の一部として1914年から1922年に開業。
1926年に音威子府~幌延~稚内(現在の南稚内)間が天塩線として全通
すると、そちらの方がメイン路線となり、1930年に天塩線が宗谷本線と
なった。同時に、音威子府~浜頓別~稚内間は北見線(ややこしい)と
なり、1961年に天北線に改称、同年に札幌~稚内間の急行「天北」が天
北線廻りで運行を開始している。
しかし、沿線の人口減少と自動車の普及とともに1970年代には旅客が
半減、貨物は20%以下に減少。1980年代になるとその需要はほとんどが
通学輸送となり、ついに国鉄は第二次特定地方交通線として廃止を申請
するに至った。代替輸送手段が未整備であるという理由から廃止申請の
承認が保留されたものの、1985年に承認、そして1989年に廃止された。
音威子府~浜頓別間は現在の国道 275号線に沿って北上する。浜頓別
から猿払あたりまでは同じく国道 238号線にそってオホーツク海沿岸を
走行し、鬼志別から西進し内陸を走行。ゆるやかなアップダウンの後、
曲淵の集落に到達する。路線は一転し北上、声問付近の稚内空港を横に
みながら南稚内へと続く・・・。
わたしがその遺構を目にしたのは小石付近の宗谷丘陵の地帯である。
道道 138号線を走行していると側道の至るところにその痕跡を確認する
ことができる。
・・・とこの記事を書いているうちに、音威子府駅内にある「常盤軒」
のそばを味わいたくなった。今年も行こうっと。
↑If this article is quite good, will you please click?
とはいっても、そんなに大袈裟なものではなく「こんな感じで・・・」
というラフなイメージだ。
北海道を訪ねて数十年、いつの日かその廃線跡を辿るようになった。
鉄道にはそんなに詳しい知識を持ち合わせていないのだが、現場でその
痕跡を確認すると、とても懐かしい気持ちになる。道北エリアに郷愁を
感じるわたしにとって、とりわけ「天北線」に対してはその響きといい
なにか引き寄せられるものを感じる。
天北線は、もともと宗谷本線の一部として1914年から1922年に開業。
1926年に音威子府~幌延~稚内(現在の南稚内)間が天塩線として全通
すると、そちらの方がメイン路線となり、1930年に天塩線が宗谷本線と
なった。同時に、音威子府~浜頓別~稚内間は北見線(ややこしい)と
なり、1961年に天北線に改称、同年に札幌~稚内間の急行「天北」が天
北線廻りで運行を開始している。
しかし、沿線の人口減少と自動車の普及とともに1970年代には旅客が
半減、貨物は20%以下に減少。1980年代になるとその需要はほとんどが
通学輸送となり、ついに国鉄は第二次特定地方交通線として廃止を申請
するに至った。代替輸送手段が未整備であるという理由から廃止申請の
承認が保留されたものの、1985年に承認、そして1989年に廃止された。
音威子府~浜頓別間は現在の国道 275号線に沿って北上する。浜頓別
から猿払あたりまでは同じく国道 238号線にそってオホーツク海沿岸を
走行し、鬼志別から西進し内陸を走行。ゆるやかなアップダウンの後、
曲淵の集落に到達する。路線は一転し北上、声問付近の稚内空港を横に
みながら南稚内へと続く・・・。
わたしがその遺構を目にしたのは小石付近の宗谷丘陵の地帯である。
道道 138号線を走行していると側道の至るところにその痕跡を確認する
ことができる。
・・・とこの記事を書いているうちに、音威子府駅内にある「常盤軒」
のそばを味わいたくなった。今年も行こうっと。
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