
中正紀念堂の本館(というべきか)に向かう。
率直なところ、私自身が蒋中正という人物を冷ややかに見ている。何より、台湾の人々の中で、立場が変われば見方が180度は変わるであろう以上、ここが単なる観光名所で済まないことも理解している、つもり。
それだけに、多少の複雑さは感じないではない。
ないが、その一方で、私も物見高い俗世の人間だ(でなければ東日本大震災の被災地でシャッター音を何度も響かせる神経は持てまい)。
まして、20世紀、東西対立、権威主義政治を見ながら育ってきたのだ。それらの中心にあった人物を記念した巨大な建造物、見ない方が馬鹿らしい。私の足が止まることはなかった。

青天に瑠璃色の二重屋根が映える。天気予報はあまり芳しいものではなかったのだが、外れて良かった。

正面には白日の紋章。
両脇の階段は84段、それを上がってさらに正面に5段、合わせて89段という段数は、蒋介石の没年齢を表す、らしい。
この辺のいかにもな20世紀的個人崇拝、外国人の目からすれば、現在の台湾の民主主義とはどうにもずれたものに映る。少なくとも、完全に合致するようにはどうしても思えない。
しかし、さればこそ、それが曲折こそ経たとして、今も堂々と生き残っている事実が重要なのだろう。
権威主義それ自体は否定されるべき負の遺産である。蘇ってはならない「過去」である。私はそう固く信じる。
だが、その「過去」において実現した全てが過ちであると言うのは、これまた誤りであろう。
何よりも、戦後生まれた多くの国家が開発に苦悩し、あるいは挫折する中で、飢えからの自由に留まらない「豊かさ」を勝ち得たことは、決して否定されるべきことではなかろう。
事物はなべて表裏2つの顔を持つ。そしてそれは切り離すことができないものだ。「過去」とてそうだ。
しかし、現実には「過去」の表か裏か、どちらかのみの存在を認め、もう一方を切り捨てるか、せいぜい蔑むことはよくあることだ。
なぜなら、「過去」を経験した多くの人々が、表裏双方に等しい割合で直面することなど、めったにないからだ。
されば、自分や近しい人々が表をより多く見ていれば表が、裏を見せられ続けていれば裏が、それぞれにとっての真実の「過去」なのだ。
そうして、「過去」は一面のみの真実として、ある時、ある人々、ある政権からはまるごと美化され、またある時、ある人々、ある政権からは断罪される。私がいるのは、その衝突の場なのかも知れない。
そして、そのような衝突は、決して台湾だけのものではない。それどころか、決して他人事ではない。ないはずなのだが……いや、少し口を滑らせ過ぎたようだ。

閑話休題。長い階段を何とか上り、来し方を振り返る。青天は遮るものもほとんどなく広がり、その先は中国大陸に続いている。

その大陸を遠く眺める蒋中正の像。
しかし、彼には足元の変化についてこそ、どう思うのか聞いてみたい気がする。
(中正紀念堂について)
・中正記念堂日本語版サイト
・wikipedia「中正紀念堂」
率直なところ、私自身が蒋中正という人物を冷ややかに見ている。何より、台湾の人々の中で、立場が変われば見方が180度は変わるであろう以上、ここが単なる観光名所で済まないことも理解している、つもり。
それだけに、多少の複雑さは感じないではない。
ないが、その一方で、私も物見高い俗世の人間だ(でなければ東日本大震災の被災地でシャッター音を何度も響かせる神経は持てまい)。
まして、20世紀、東西対立、権威主義政治を見ながら育ってきたのだ。それらの中心にあった人物を記念した巨大な建造物、見ない方が馬鹿らしい。私の足が止まることはなかった。

青天に瑠璃色の二重屋根が映える。天気予報はあまり芳しいものではなかったのだが、外れて良かった。

正面には白日の紋章。
両脇の階段は84段、それを上がってさらに正面に5段、合わせて89段という段数は、蒋介石の没年齢を表す、らしい。
この辺のいかにもな20世紀的個人崇拝、外国人の目からすれば、現在の台湾の民主主義とはどうにもずれたものに映る。少なくとも、完全に合致するようにはどうしても思えない。
しかし、さればこそ、それが曲折こそ経たとして、今も堂々と生き残っている事実が重要なのだろう。
権威主義それ自体は否定されるべき負の遺産である。蘇ってはならない「過去」である。私はそう固く信じる。
だが、その「過去」において実現した全てが過ちであると言うのは、これまた誤りであろう。
何よりも、戦後生まれた多くの国家が開発に苦悩し、あるいは挫折する中で、飢えからの自由に留まらない「豊かさ」を勝ち得たことは、決して否定されるべきことではなかろう。
事物はなべて表裏2つの顔を持つ。そしてそれは切り離すことができないものだ。「過去」とてそうだ。
しかし、現実には「過去」の表か裏か、どちらかのみの存在を認め、もう一方を切り捨てるか、せいぜい蔑むことはよくあることだ。
なぜなら、「過去」を経験した多くの人々が、表裏双方に等しい割合で直面することなど、めったにないからだ。
されば、自分や近しい人々が表をより多く見ていれば表が、裏を見せられ続けていれば裏が、それぞれにとっての真実の「過去」なのだ。
そうして、「過去」は一面のみの真実として、ある時、ある人々、ある政権からはまるごと美化され、またある時、ある人々、ある政権からは断罪される。私がいるのは、その衝突の場なのかも知れない。
そして、そのような衝突は、決して台湾だけのものではない。それどころか、決して他人事ではない。ないはずなのだが……いや、少し口を滑らせ過ぎたようだ。

閑話休題。長い階段を何とか上り、来し方を振り返る。青天は遮るものもほとんどなく広がり、その先は中国大陸に続いている。

その大陸を遠く眺める蒋中正の像。
しかし、彼には足元の変化についてこそ、どう思うのか聞いてみたい気がする。
(中正紀念堂について)
・中正記念堂日本語版サイト
・wikipedia「中正紀念堂」
日本で言えば、薩長同盟の関係者が郷土の英雄になったり、
立ち位置が変われば、郷土のライバルになったり……。
>権威主義
個人的な話ですが、そういう意味では、朝鮮半島の情勢が大きく変わったときに、
かつての指導者を称える像や建築物がどう扱われるのかというのは、
(おそらくほとんどは取り壊されるのでしょうけれど)
どう扱われるのかというのは、気になるところです。
台湾と違い、「豊かさ」を勝ち得ることはできませんでしたし……。
それこそ「歴史認識」自体、異なっていても不思議は感じません。
>朝鮮半島
指導者の像なり、現在「旧跡」と公式に位置づけられている諸々なりは、
ベルリンの壁やレーニン像、スターリン像の運命をたどるのでしょう。
あるいは、サッダーム・フセイン像のように市民に足蹴にされるかも知れません。
ただ、それから何年かすれば、往時を懐かしむ層が現れるんでしょうね。