にわか日ハムファンのブログ記念館

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【2013北海道・東日本の旅】(23)宮古へ

2014-01-04 07:27:39 | さすらいブロガー旅情編
 山田線の快速「リアス」がやってきた。これからこの快速で、宮古まで向かうのだ。
 この山田線は盛岡から釜石までの路線だが、宮古から釜石の間は大震災で壊滅的な被害を受け、復旧のめどは立っていない。BRTによる仮復旧も地元が拒否したそうで、現在は路線バスが代わりに走っている。
 既に復旧している盛岡・宮古間も、大震災の前から並走する急行バスに客を奪われ、列車の本数も少ない。駅によっては上り下り合わせて停まる列車が1日3本、冬は閉鎖するところすらある。
 そんな中で、さらに数の少ない宮古までの通しの列車に乗ったのだが、実際のところ座席が埋まるぐらいは乗客がいる。夏の帰省ラッシュは既に終わったはずだが、それでもこの時期を利用して訪れる人がいるのだろう。



 鉄道の旅で手放せないのが地酒のワンカップ。たまに切れると気が滅入る。こだわらなければ何とでもなるのだが、せっかく旅に出たのだ。どこででも手にはいるものなど、呑む気にならないではないか。
 とはいえ、ここからはそうも言っていられないのだろう。18年前、嫌という程見た光景よりまだ酷い(しかも2年以上経っているというのに!)光景をこれから私はただ見て、帰るのだ。
 そう、ただ見て、気の向くままに写真に撮って、それ以外は何もせずに帰る。それが、私がこれからやることだ。これが素面でいられるか。



 盛岡を過ぎるとすぐに山の中。人里は駅の周りに見えるのみ。



 時折見えるのは、谷川と、細い道路。あとは、ただ山の中。



 そんな列車も、しだいに山を下りて行き、はてにようやく街が見えてきた。



 左手に三陸鉄道の車両が見える。宮古駅だ。



 列車は時間通り宮古駅に到着。大漁旗が乗客を待ち受けている。



 やっと、宮古に来ることができた。
 鉄道好きの私にとって、三陸の路線は20年以上前から、時刻表を見ては憧憬を繰り返す土地だった。3年前には実際に旅行計画を立てていたのだが、寸前に岩泉線が災害で不通となり、訪問を断念したこともある。
 あの時に来ることができていたら……正直に言えばそう思う。しかし、もはやどうしようもない。



 さておき、駅の売店はすっかり観光客向けの顔を取り戻したようで、名産品の宣伝が所狭しと並んでいる。
 そんな中、筆書きでCDの宣伝というのに時代を感じる。レコードならまだしも、CDというミスマッチ感がなおよろしい。DVDならもっと良かったかも知れない。
 それにしても、狙ってやってるのだろうか。「あまちゃん」という元ネタが元ネタだけに、そうであっても驚きはない。



 大震災以降、三陸への路線でポケモンのイベント列車が運転されるようになった。おそらくそれに合わせてだろう、こんな像が置かれている。



 宮古駅は、駅舎も真新しい。



 駅前ターミナルも綺麗に整備されている。



 駅から先は、ありがちな地方都市の風景。率直に言って、この風景「だけ」で、大震災の跡を見てとることは難しい。



 しかし、停車しているバスの行先は「船越駅前」。列車が途絶えて2年以上経つ駅への代行輸送を行う路線バスだ。



 宮古への鉄道開通と、その功労者を顕彰する碑。
 彼らの魂が、失われた残りの鉄路を蘇らせる日は来るのだろうか。


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