フィンランド・エストニア旅行記5回目です。他のエントリはこちらからどうぞ。
トゥルクに着いたのはお昼。ホテルのチェックインにはまだ時間がありそうですし、お昼ごはんも食べに行きたいところです。
ただ、トゥルク駅は街の中心部からはちょっと離れていて、食べられそうなところが見当たりません。トゥルク散策もかねて、歩いていくことにしました。
駅から中心部に向かう辺りは、通りが碁盤の目のようになっていて、何ブロック歩くかさえ間違わなければ、そう迷うことはありません。ただ、南に向かうにつれて登り坂になっていくのが大変です。
南から東に進路を変えて進んでいると、何やら不思議なお店を発見。
2体のこいのぼりに「いらっしゃいませ」の文字。日本料理店なのは分かります。
「やすこの台所」。そういえば、こちらの旅行記でも登場していましたね。
どう見ても日本料理店です。
画像をクリックすると別ウィンドウで拡大表示されます。それで詳しいメニューをご覧いただけると思いますが、カレーライスが和食になっているのが興味深いですね。
そういえば、以前海外でラーメン屋が「日本料理店」として店を開いていたのを思いだしました。確かカレーもあったんじゃないかと。
日本で育った人が考える「日本料理」と、それ以外の人が考える「日本料理」とは違いがあるようですが、育った文化が違えばモノの捉え方も違うのは自然なことですね。
ともあれ、旅行でここまで来てカレーを食べても仕方ないので、今回はパスしました。
さらにちょっと歩いて、トゥルクの中心地、マーケット広場に到着です(クリックで別窓拡大)。
奥に見えるのはロシア正教の教会(クリックで別窓拡大)。
スウェーデンと帝政ロシアの支配を経験したフィンランドには、宗教改革前からの教会、はじめからプロテスタントのものとして建てられた教会、ロシア正教の教会があります。
平日だからか、人でごった返すということはありませんが、それでもさまざまなお店が並んでいます(クリックで別窓拡大)。
野菜などの食料品だけではなくて、ここでは植木も売っています(クリックで別窓拡大)。
一通りマーケットを見回したところでお昼ごはんです。天気が良ければマーケットで何か買って食べるのも楽しそうですが、あいにくの曇り空、いつ雨になっても不思議はありません。
なので、広場に面したソコス百貨店のカフェに入ることにしました。
お昼ごはんはサーモンと卵のサンドイッチとコーヒー。香草が入ってるのが良いですね。
食べてみると、サーモンも卵も結構な量です。卵はまるまる1個分入ってます。朝食といい、食べる量が違うなぁと妙なところに感心しました。
しっかり食べたところで、時計を見るとまだ13時過ぎ。チェックインの時間にはまだ早いような気がしますが、カフェも混んできたことですし、粘っていても仕方ありません。
ダメだったらダメで考えることにして、ホテルまでぶらぶら歩くことにしました。ソコス百貨店を軽く見て回り、ふたたびトゥルクの街に出ていきます。
マーケット広場を越えて西に歩いてホテルへ。トゥルクは古都という割に新しそうな建物が結構多いのですが、こういう昔ながらの建物も残っています。
さらに進んでいくと、またも不思議な店を発見。
ハンコ寿司!?
よく見ると「印」と書いています。ということは、印鑑のハンコなのでしょう。
しかし、なぜ寿司なのにハンコ?やすこには、とんだライバルがいたものです。
こちらがお店。持ち帰りも店内での飲食もできるようです。
びっくりしつつも、さらに西に進んでいくと、建物の外壁が穴だらけになっています。
「この損傷は冬戦争中の1940年1月29日、トゥルク空襲による爆撃でできたものです」
冬戦争。1939年から1940年の冬、フィンランド征服を企んだスターリン率いるソ連の侵入にフィンランドが抵抗して戦った戦争です。
この間フィンランドは大国ソ連を苦しめはしましたが、独立を守ることと引き換えに多くの人命と領土を失いました。その後もフィンランドはソ連との戦争を余儀なくされ、膨大な犠牲を負うことになりました。
戦後のフィンランドは、自由主義体制を維持しつつ、「パーシキヴィ路線」という親ソ外交を維持することになります。
これは「フィンランド化」というネガティブな表現で捉えられることがしばしばですが、この間フィンランドが自らの独立と体制を守り通し、経済的な繁栄をも実現したことを見落としてはなりません。
大国でもない国が独立を守るために払った犠牲と、必要な努力の凄まじさ。さすがに考えさせられました。
そんなことを考えているうちに、ホテルに到着。14時前ですがチェックインも問題なくできました。
日の長いフィンランド、観光はまだまだできます。さらにトゥルクを見て回りますが、続きは次回に。
トゥルクに着いたのはお昼。ホテルのチェックインにはまだ時間がありそうですし、お昼ごはんも食べに行きたいところです。
ただ、トゥルク駅は街の中心部からはちょっと離れていて、食べられそうなところが見当たりません。トゥルク散策もかねて、歩いていくことにしました。
駅から中心部に向かう辺りは、通りが碁盤の目のようになっていて、何ブロック歩くかさえ間違わなければ、そう迷うことはありません。ただ、南に向かうにつれて登り坂になっていくのが大変です。
南から東に進路を変えて進んでいると、何やら不思議なお店を発見。
2体のこいのぼりに「いらっしゃいませ」の文字。日本料理店なのは分かります。
「やすこの台所」。そういえば、こちらの旅行記でも登場していましたね。
どう見ても日本料理店です。
画像をクリックすると別ウィンドウで拡大表示されます。それで詳しいメニューをご覧いただけると思いますが、カレーライスが和食になっているのが興味深いですね。
そういえば、以前海外でラーメン屋が「日本料理店」として店を開いていたのを思いだしました。確かカレーもあったんじゃないかと。
日本で育った人が考える「日本料理」と、それ以外の人が考える「日本料理」とは違いがあるようですが、育った文化が違えばモノの捉え方も違うのは自然なことですね。
ともあれ、旅行でここまで来てカレーを食べても仕方ないので、今回はパスしました。
さらにちょっと歩いて、トゥルクの中心地、マーケット広場に到着です(クリックで別窓拡大)。
奥に見えるのはロシア正教の教会(クリックで別窓拡大)。
スウェーデンと帝政ロシアの支配を経験したフィンランドには、宗教改革前からの教会、はじめからプロテスタントのものとして建てられた教会、ロシア正教の教会があります。
平日だからか、人でごった返すということはありませんが、それでもさまざまなお店が並んでいます(クリックで別窓拡大)。
野菜などの食料品だけではなくて、ここでは植木も売っています(クリックで別窓拡大)。
一通りマーケットを見回したところでお昼ごはんです。天気が良ければマーケットで何か買って食べるのも楽しそうですが、あいにくの曇り空、いつ雨になっても不思議はありません。
なので、広場に面したソコス百貨店のカフェに入ることにしました。
お昼ごはんはサーモンと卵のサンドイッチとコーヒー。香草が入ってるのが良いですね。
食べてみると、サーモンも卵も結構な量です。卵はまるまる1個分入ってます。朝食といい、食べる量が違うなぁと妙なところに感心しました。
しっかり食べたところで、時計を見るとまだ13時過ぎ。チェックインの時間にはまだ早いような気がしますが、カフェも混んできたことですし、粘っていても仕方ありません。
ダメだったらダメで考えることにして、ホテルまでぶらぶら歩くことにしました。ソコス百貨店を軽く見て回り、ふたたびトゥルクの街に出ていきます。
マーケット広場を越えて西に歩いてホテルへ。トゥルクは古都という割に新しそうな建物が結構多いのですが、こういう昔ながらの建物も残っています。
さらに進んでいくと、またも不思議な店を発見。
ハンコ寿司!?
よく見ると「印」と書いています。ということは、印鑑のハンコなのでしょう。
しかし、なぜ寿司なのにハンコ?やすこには、とんだライバルがいたものです。
こちらがお店。持ち帰りも店内での飲食もできるようです。
びっくりしつつも、さらに西に進んでいくと、建物の外壁が穴だらけになっています。
「この損傷は冬戦争中の1940年1月29日、トゥルク空襲による爆撃でできたものです」
冬戦争。1939年から1940年の冬、フィンランド征服を企んだスターリン率いるソ連の侵入にフィンランドが抵抗して戦った戦争です。
この間フィンランドは大国ソ連を苦しめはしましたが、独立を守ることと引き換えに多くの人命と領土を失いました。その後もフィンランドはソ連との戦争を余儀なくされ、膨大な犠牲を負うことになりました。
戦後のフィンランドは、自由主義体制を維持しつつ、「パーシキヴィ路線」という親ソ外交を維持することになります。
これは「フィンランド化」というネガティブな表現で捉えられることがしばしばですが、この間フィンランドが自らの独立と体制を守り通し、経済的な繁栄をも実現したことを見落としてはなりません。
大国でもない国が独立を守るために払った犠牲と、必要な努力の凄まじさ。さすがに考えさせられました。
そんなことを考えているうちに、ホテルに到着。14時前ですがチェックインも問題なくできました。
日の長いフィンランド、観光はまだまだできます。さらにトゥルクを見て回りますが、続きは次回に。
日本料理店に駆け込むと、脂ギトギトのカツ丼が出てきて
これまた食べられるような代物ではなかったとか、いろいろな話を聞きます。
「見よう見まねで作るとこうなるのか」と分析していたような……。
>スターリン
独ソ戦関係の映画を2~3本観ていますが、本当に歴史的な事実は重たいですね。
侵略者になったり、侵略される側になったり……。
いずれの映画でも、ドイツの敗戦が決まったシーンでは、(たとえナチス政権の終焉と言えども)
寂しさや悲しさみたいなものが感じられました。
「ヒトラー~最後の12日間~」では、プロデューサーが
「一番描きたかったのは、(ヒトラーの存在ではなく)
戦争では一般の市民が一番被害を受けることだ」と。
ちゃんと修業を積んでない人が作ったら、そりゃ困ってしまうことになりますよね。
ま、日本国内でも正月料理で大炎上した話があったんですが(苦笑)
>独ソ戦
独裁者同士が戦うと、どれほど被害が大きくなるかという最たるものですね。
映画は私も見ましたが、総統地下壕の住民が遺言で瑣末なことを書いているのに、
一般市民・傷病兵が爆撃にさらされているのをかぶせたシーンが印象的でした。
私が行ったのは冬でしたので、シチューやスープ類が多かったですが、夏はどうなんでしょう?
お食事レポも含め、旅行記の続きが楽しみです(^^)
確かに、あまりごてごてした味付けのものはなかったような。
基本は素材重視なんでしょうね。
旅行記はまだ全体の2割行ったか行かないかです(笑)
というわけで、今後もぜひお楽しみに。