秋田に着いてみると、ダイヤの混乱はさらに酷くなっていた。
奥羽本線の運転見合わせ区間は森岳から大館までの間に拡大している。今日は能代まで行って泊まる予定なのだが、途中の森岳から東能代までが見合わせ区間に引っかかってしまった。
幸い代行バスがあるということなので、深くは考えないことにする。
秋田からは男鹿(おが)行のディーゼルカーに乗る。能代に向かう前に、途中の追分から男鹿を結ぶ男鹿線に乗るためだ。
男鹿線は「男鹿なまはげライン」という愛称がつけられている。なまはげといえば漠然と秋田のイメージを持っていたが、正確には男鹿半島の行事らしい。
そういうわけで、車両には男鹿のなまはげをアピールするイラストが貼られている。もっとも、車内になまはげが出るということはなく、2両のディーゼルカーは立ち席も含めて普通の人間で満員であった。
乗客が多いのは奥羽本線のダイヤ混乱の影響もあってのことだろうが、列車が秋田を出たのは定刻通り。追分で多くの乗客が降りた後、徐々に乗客は減っていき、しまいには数えるほどになっていた。
男鹿到着。雨自体は降っていないが海風が強い。荒れ模様であることは間違いない。
やはりというべきか、男鹿駅にはなまはげの面が飾ってあった。
面だけではなく、等身大の展示もあった。それにしても、年がら年中この展示を見る男鹿の子どもたちは、いい加減なまはげに慣れないものなのだろうか。
展示の横に、なまはげ伝説の解説があった。読んでみると、鬼と賭けをした人間が、鬼を欺いて勝つという話である。
そういえば、以前エストニアはタリンでも似たようなパターンがあった。教会を建てる報酬を巡って賭けをした人外(日本なら「鬼」になるだろう)を、人間が欺いて殺してしまうというものだ。
■ フィンランド・エストニアの旅(25) タリンを歩く:その6 聖オレフ教会とその伝説
人間の思いつくストーリーには世界で共通性があるのか、あるいは時代を越えて生き残る民話に共通の条件があるのか。この辺はよく分からない。
なまはげのイラストは床面にも描かれている。踏んでも祟られないのだろうか。
男鹿駅の壁に並ぶなまはげのイラスト。さすがになまはげではないが、こうして腕を掲げた並びのイラストから強い既視感を感じた。
はたしてどこだったか、しばらく考えてみて、とある野球系のアスキーアートだったことをようやく思い出した。
\俺達!!! 俺達!!! 俺達!!!/
、 、 、 、 、
/っノ /っノ /っノ /っノ /っノ
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\ ⌒\\ ⌒\\ ⌒\ \ ⌒\\ ⌒\
/ 19 /ヽ / 26 /ヽ / 38 /ヽ / 34 /ヽ / 45 /ヽ
「病膏肓に入る」とは、私のような者を指して言うのであろう。
ともあれ、折り返しの秋田行に乗り込み、男鹿を後にした。
さて、本日の夕食は秋田を出る時に買っておいた駅弁である。私にはこの手の買い物をする時に迷い過ぎてしまう悪い癖があり、秋田でもキオスクやスタンドをかなり彷徨ったが、最後は定番っぽいものにした。
こちらが中身。実に定番である。さんざ迷ってそれか、とは自分でも思うのだが、人間最後は安定感を求めるのだろう、とよく分からない納得の仕方をしてみる。
さて、旅の友といえば駅弁だけではない。私にとって、その土地ならではの地酒のワンカップは、どうしても外せない同行者である。
私が地酒ワンカップに目覚めたのは比較的最近のことだ。数年前に中国地方を旅した際にに意気投合した同好の士に、地酒片手に鉄道を旅する「呑み鉄」の素晴らしさについて、レクチャーを受けたのがきっかけである。
爾来、私は単なる乗り鉄に飽き足らず、呑み鉄を楽しむことが多い。念のため断っておくと、TPOに応じてしらふの時ももちろんある。
中でも、比較的安価で旅行気分に浸れる地酒のワンカップは、まさに鈍行の旅向きのものである。そして、米どころ酒どころの東北は、呑み鉄にとって理想郷と言っても過言ではない。
この理想郷を守るためには、とにかく、乗ることと呑むこと。今あるものの価値を味わい、感謝すること。そして、その価値を伝えていくことではないだろうか。
ならば、そこに鉄道があれば乗り、酒があれば呑む。それでいいのだ。いや、それがいいのだ。
と、口実をうまく作ったところで、今回も私は呑む。
奥羽本線との合流地点、追分駅に戻ってきた。ここから北上するのだが、気になるのは電車がどこまで動いているか。先ほど同様東能代までの運転が見合わせになっていると厄介だ。
ともあれ、細かいことは駅員さんに聞いてみればいいと思って降りたところ、改札に誰もいない。来しなに通った時は確かにいたのに……
それではたと思いついた。さっきは夕方のラッシュだが、今は既に夜8時。時間が遅いので引き揚げてしまったのだろう。
これでは駅にいても運転状況が分からない。電池の不安をおして携帯を駆使し、東能代までなら電車が動いていることを確認する。もちろん定刻通りなわけなどなかろうが、電車が来てくれさえすれば何とかなる。
東能代行の電車は22分遅れで追分に到着した。本来なら東能代から先の大館に向かうものだが、東能代で運転を打ち切ることになったようだ。
ほとんどの席が若い乗客で埋まっていたが、途中でかなり降りたので、その後は比較的楽に過ごせた。
電車はその後さらに遅れ、東能代に着いた時には9時半を回っていた。ともあれ、たどり着くことはできたわけだ。
ホームでいきなりバスケットボールのゴールを見つけた。高校バスケットの強豪、能代工業高校を擁する街だけのことはある。
改札口。すっかり夜になってしまい、蛍光灯の明かりもすべて届かない中、この表情で歓迎と言われるのも怖い。
が、実はそれどころではない。今夜の宿は東能代駅前ではなく、能代市内の中心部にある。そのため、東能代から五能線で一駅先の能代まで進む必要があるのだ。
しかし、ここまで遅れたおかげで、乗るはずだった能代行の発車時間はとっくに過ぎている。さすがに20分も30分も接続待ちをするわけにはいかなかったようだし、次の能代行は23時過ぎにならないと出ない。
JRは東能代から先、大館方面に行くはずだった乗客には代行バスを仕立ててある。しかし、能代へは?とりあえず駅員さんに聞いてみるほかない。
改札を抜けると、なぜかロケットが飾ってあった。調べてみると、能代にはロケットの実験場があるのだそうだ。
それはさておき、駅員さんが見つかったので能代へ行く方法を尋ねてみる。すると、この電車で到着した乗客のために能代駅までの代行タクシーを用意したとのことだ。本当にありがたい。
タクシー乗り場に案内されると、すでに先客を1人乗せたタクシーが待っていた。能代駅に行くのは私を合わせて2人のみ。すぐにタクシーは東能代駅を出て、10分で能代駅に着いた。
能代駅からはほぼ寝静まった市内を歩き、22時前に宿に到着。綱渡りの旅程であったが、昨日と違って綱から落とされずに済んだのだから何の不満もない。すぐに宿に入って休息を取ったのだった。
【本日の旅程】新潟→米沢→山形→新庄→秋田→男鹿→追分→東能代→能代
奥羽本線の運転見合わせ区間は森岳から大館までの間に拡大している。今日は能代まで行って泊まる予定なのだが、途中の森岳から東能代までが見合わせ区間に引っかかってしまった。
幸い代行バスがあるということなので、深くは考えないことにする。
秋田からは男鹿(おが)行のディーゼルカーに乗る。能代に向かう前に、途中の追分から男鹿を結ぶ男鹿線に乗るためだ。
男鹿線は「男鹿なまはげライン」という愛称がつけられている。なまはげといえば漠然と秋田のイメージを持っていたが、正確には男鹿半島の行事らしい。
そういうわけで、車両には男鹿のなまはげをアピールするイラストが貼られている。もっとも、車内になまはげが出るということはなく、2両のディーゼルカーは立ち席も含めて普通の人間で満員であった。
乗客が多いのは奥羽本線のダイヤ混乱の影響もあってのことだろうが、列車が秋田を出たのは定刻通り。追分で多くの乗客が降りた後、徐々に乗客は減っていき、しまいには数えるほどになっていた。
男鹿到着。雨自体は降っていないが海風が強い。荒れ模様であることは間違いない。
やはりというべきか、男鹿駅にはなまはげの面が飾ってあった。
面だけではなく、等身大の展示もあった。それにしても、年がら年中この展示を見る男鹿の子どもたちは、いい加減なまはげに慣れないものなのだろうか。
展示の横に、なまはげ伝説の解説があった。読んでみると、鬼と賭けをした人間が、鬼を欺いて勝つという話である。
そういえば、以前エストニアはタリンでも似たようなパターンがあった。教会を建てる報酬を巡って賭けをした人外(日本なら「鬼」になるだろう)を、人間が欺いて殺してしまうというものだ。
■ フィンランド・エストニアの旅(25) タリンを歩く:その6 聖オレフ教会とその伝説
人間の思いつくストーリーには世界で共通性があるのか、あるいは時代を越えて生き残る民話に共通の条件があるのか。この辺はよく分からない。
なまはげのイラストは床面にも描かれている。踏んでも祟られないのだろうか。
男鹿駅の壁に並ぶなまはげのイラスト。さすがになまはげではないが、こうして腕を掲げた並びのイラストから強い既視感を感じた。
はたしてどこだったか、しばらく考えてみて、とある野球系のアスキーアートだったことをようやく思い出した。
\俺達!!! 俺達!!! 俺達!!!/
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「病膏肓に入る」とは、私のような者を指して言うのであろう。
ともあれ、折り返しの秋田行に乗り込み、男鹿を後にした。
さて、本日の夕食は秋田を出る時に買っておいた駅弁である。私にはこの手の買い物をする時に迷い過ぎてしまう悪い癖があり、秋田でもキオスクやスタンドをかなり彷徨ったが、最後は定番っぽいものにした。
こちらが中身。実に定番である。さんざ迷ってそれか、とは自分でも思うのだが、人間最後は安定感を求めるのだろう、とよく分からない納得の仕方をしてみる。
さて、旅の友といえば駅弁だけではない。私にとって、その土地ならではの地酒のワンカップは、どうしても外せない同行者である。
私が地酒ワンカップに目覚めたのは比較的最近のことだ。数年前に中国地方を旅した際にに意気投合した同好の士に、地酒片手に鉄道を旅する「呑み鉄」の素晴らしさについて、レクチャーを受けたのがきっかけである。
爾来、私は単なる乗り鉄に飽き足らず、呑み鉄を楽しむことが多い。念のため断っておくと、TPOに応じてしらふの時ももちろんある。
中でも、比較的安価で旅行気分に浸れる地酒のワンカップは、まさに鈍行の旅向きのものである。そして、米どころ酒どころの東北は、呑み鉄にとって理想郷と言っても過言ではない。
この理想郷を守るためには、とにかく、乗ることと呑むこと。今あるものの価値を味わい、感謝すること。そして、その価値を伝えていくことではないだろうか。
ならば、そこに鉄道があれば乗り、酒があれば呑む。それでいいのだ。いや、それがいいのだ。
と、口実をうまく作ったところで、今回も私は呑む。
奥羽本線との合流地点、追分駅に戻ってきた。ここから北上するのだが、気になるのは電車がどこまで動いているか。先ほど同様東能代までの運転が見合わせになっていると厄介だ。
ともあれ、細かいことは駅員さんに聞いてみればいいと思って降りたところ、改札に誰もいない。来しなに通った時は確かにいたのに……
それではたと思いついた。さっきは夕方のラッシュだが、今は既に夜8時。時間が遅いので引き揚げてしまったのだろう。
これでは駅にいても運転状況が分からない。電池の不安をおして携帯を駆使し、東能代までなら電車が動いていることを確認する。もちろん定刻通りなわけなどなかろうが、電車が来てくれさえすれば何とかなる。
東能代行の電車は22分遅れで追分に到着した。本来なら東能代から先の大館に向かうものだが、東能代で運転を打ち切ることになったようだ。
ほとんどの席が若い乗客で埋まっていたが、途中でかなり降りたので、その後は比較的楽に過ごせた。
電車はその後さらに遅れ、東能代に着いた時には9時半を回っていた。ともあれ、たどり着くことはできたわけだ。
ホームでいきなりバスケットボールのゴールを見つけた。高校バスケットの強豪、能代工業高校を擁する街だけのことはある。
改札口。すっかり夜になってしまい、蛍光灯の明かりもすべて届かない中、この表情で歓迎と言われるのも怖い。
が、実はそれどころではない。今夜の宿は東能代駅前ではなく、能代市内の中心部にある。そのため、東能代から五能線で一駅先の能代まで進む必要があるのだ。
しかし、ここまで遅れたおかげで、乗るはずだった能代行の発車時間はとっくに過ぎている。さすがに20分も30分も接続待ちをするわけにはいかなかったようだし、次の能代行は23時過ぎにならないと出ない。
JRは東能代から先、大館方面に行くはずだった乗客には代行バスを仕立ててある。しかし、能代へは?とりあえず駅員さんに聞いてみるほかない。
改札を抜けると、なぜかロケットが飾ってあった。調べてみると、能代にはロケットの実験場があるのだそうだ。
それはさておき、駅員さんが見つかったので能代へ行く方法を尋ねてみる。すると、この電車で到着した乗客のために能代駅までの代行タクシーを用意したとのことだ。本当にありがたい。
タクシー乗り場に案内されると、すでに先客を1人乗せたタクシーが待っていた。能代駅に行くのは私を合わせて2人のみ。すぐにタクシーは東能代駅を出て、10分で能代駅に着いた。
能代駅からはほぼ寝静まった市内を歩き、22時前に宿に到着。綱渡りの旅程であったが、昨日と違って綱から落とされずに済んだのだから何の不満もない。すぐに宿に入って休息を取ったのだった。
【本日の旅程】新潟→米沢→山形→新庄→秋田→男鹿→追分→東能代→能代