にわか日ハムファンのブログ記念館

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〔津軽流れ旅〕(5)かた雪:芦野公園から金木へ

2013-01-10 06:12:51 | さすらいブロガー旅情編
 津軽鉄道の列車の車内で、私は金木付近の地図を睨んでいた。
 もともとの予定では、津軽中里で折り返した後は金木まで向かい、太宰の生家である斜陽館を訪れるつもりだった。
 確かに芦野公園駅は気になるし、公園内には太宰の像もあるという。行けるものなら行ってみたいものの、金木での予定とうまく組み合わせられないので外していたのだ。
 ところが、地図をもらってみると、芦野公園から斜陽館や金木駅までの道のりまで書いている。そして地図を見る限り、普通なら芦野公園から斜陽館までは20分とかからないし、道も複雑ではない。
 むろんこの天気と降雪であるから、実際にはより時間はかかるだろうが、道に迷うことはなさそうだし、これなら行けるかも知れない。もとより時間は十分ある。
 しかし外は寒い。まさか遭難でもしたら……いや、街中を歩くのに遭難も何もあるまい。危ないと思ったら、店や自動販売機で温かいものを買うなり、喫茶店でコーヒーでも飲めばいいではないか。しかし……
 そう考えているうちに、列車が芦野公園に近づいてくる。そろそろ決めねばならない。
 ……行くか。急いで身支度をして、雪に埋もれた芦野公園のホームに降り立つ。



 今乗ってきた列車をホームで見送る。次の列車までは時間が空く。



 駅舎はあるが、暖房が入っているような気配がない。利用する人もいないのなら、暖房は不用心な火でしかない。とにかくここから歩いて金木にまで行くしかない。



 ただ、まずは芦野公園の太宰像を訪れる。現在の装備で可能な限りの防寒態勢をとり、駅舎の横を抜けて、駅前の通りに出る。



 現在の芦野公園の駅舎。旧駅舎は隣にある。公園へは旧駅舎の前を通り、さらに踏切を渡る必要がある。
 しかし、ここでいきなり問題が現れた。歩く道がないのだ。車道は除雪してあるが、その車道を歩くにも車通りが多い。滑って転べば文字通りグッド・バイだ。
 はやくも断念か。何とも締まらない。そんな時、車道の車にふと目をとられる。教習車だった。しかも、少し沖に何台も通過していく。
 この時期に路上教習など正気の沙汰かと思ったが、雪国で運転する人にとっては、雪道の運転の練習は必須なのだろう。周囲の車は本人より怖かろうし、これが合宿免許で暖地から来た人なら、同情は禁じ得ないが。
 彼らも頑張っているのだから、という、きわめてありがちな理屈にならない言葉を言い聞かせ、歩きはじめることになった。
 そこから何とか歩けそうなルートを探り、片足を踏み出しては雪に埋もれ、また踏み出しては埋もれを繰り返しながらなんとか前進する。そして踏切を渡ると、芦野公園の入口に出た。



 ここまで来て分かった事実があった。この時期に公園を訪れる人などほとんどいない。そして、そうであれば、除雪などしているはずもないのだ。我ながら何を考えていたのか。



 しかし、幸いなことに園内のルートは分かっている。ルートから外れて迷いさえしなければ大丈夫だ。園内地図や木々の配置を手掛かりに進んでいく。



 しばらくすると「津軽三味線発祥の地」の記念碑を見た。記念碑ではあるが、今の私にとってはそれ以上に貴重な道標だ。



 はたして、太宰の銅像のある辺りに出た。道はこの先も続いているが、当然さらに進む気などない。



 吹雪の中立ち続ける太宰像。これがために駅から歩いてきたのだ。



 ふと口をついて出てきたのが、「あんたのせいだからな」
 我ながら、ここまで純度の高い逆恨みもあるまい。



 解説の碑文は雪に埋もれていた。なんとか掘り出す。



 その横にあるのは、太宰でも何でもない、「津軽平野」の歌碑。



 こちらは津軽三味線の記念碑だろうか。同じ場所にいろいろな像碑を、揃いも揃えたものである。
 ただ、こんなところで佇んでいるわけにもいかない。足跡と地形を頼りに、今来た道を引き返す。
 歩いているうちに、一つの失態に気がついた。確かに銅像は見たが、太宰の文学碑を見るのを忘れていたのだ。
 しかし、ここからまた戻る気力もないし、何より安全第一というではないか。いずれまたこの地に来ればいいのだ。できれば別の季節に。
 再アタックの考えを退け、先へと進むこととした。公園の入口のところで自動販売機を見つけた。うち1つはどういうわけか冷たい飲料しかなかったが、もう1つから温かい飲み物を買うと、それを懐炉として金木を目指す。



 芦野公園駅のそばを再び通り、金木への道へ。そうするうちに、金木の小学校の前に出た。碑にもあるようにここは明治以来の小学校、太宰の母校でもある。
 そして、ここでも文学碑を探し出すのに失敗する。このご時世、大の男が小学校の中に入ってうろつこうものなら怪しまれるのは必然だ。ここでも安全を優先するしかない。



 ある程度進むと住宅地に出た。さすがに除雪も進んでおり、車通りも少ないので、はるかに容易に歩ける。
 とは言え車は怖いので、歩き、車を見ては立ち止まり、歩きを繰り返し、今度は「思ひ出広場」という公園に出た。太宰の初期の作品名を冠した公園、冬以外は広場として納得できる風景なのだろう。



 公園の由来を示す解説書き。「憩いながら」という陽気では、残念ながらない。



 公園には、太宰の作品名が、おそらく発表順(執筆順ではないはずだ)に並べられている。



 最初の方には、習作、つまりは太宰を名乗る前の作品も掲げられている。単純に並べるだけと思われるかも知れないが、並べるための素材を十分集めきるのが大変なのだ。
 広場を発ってさらに歩くと、ようやく商店街に出た。人通りも増え、初めての土地なのに帰還したという思いが頭をよぎる。地元の人にとっては、とばっちりもいいところだろう。



 商店の1つで、太宰の名を冠した焼酎が売り出されていた。便乗といえば便乗だが、太宰といえば酒なので、本人に文句は言えまい。
 さらに歩いて、もう1つ角を曲がると、大きな屋敷が目の前に現れた。



 斜陽館だ。ついに来たのだ。


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