見どころいっぱいのタリン。まだまだ見足りない気はしますが、フェリーの時間をそろそろ考えないといけません。名残惜しくはありますが、旧市街を後にすることにしました。
旧市街北側の城門を出てすぐのところにあるモニュメント。
これは、1994年9月28日に起きた大型フェリー「エストニア号」沈没事故の犠牲者のために建てられたものです。
当時バルト海を航行中だったエストニア号は、不具合により車両デッキに海水が浸入したために制御を失い転覆、沈没しました。
事故の発見が遅れたこと、また時間帯が深夜であったため、乗客のほとんどは避難もままならず船内に取り残されることとなりました。
結果として、犠牲者852名、生存者わずか137名という、再独立を果たした矢先のエストニアにとって痛恨の大事故となってしまったのです。
【参考】
・失敗事例データベース「車両デッキへの海水流入でフェリーが沈没、852名死亡」(2011年3月3日閲覧)
・失敗百選「カーフェリー『エストニア』が沈没」(2011年3月3日閲覧)
これからバルト海を渡る私たちにとって、このモニュメントを見ることは決して気分の良いことではありません。
ですが、事故はなかったことにはできない。しかも、バルト海だけならまだしも、私のルーツが小豆島にある以上、私たちはこれから一生の間、折にふれて海を渡り続けなければならないのです。
せめて事故による計り知れない犠牲に思いを馳せ、安全を願うことだけでもせねば、と思い、しばし佇んだのでした。
旧市街を離れ、フェリー乗り場に向かいます。
途中トラムの線路を横切りました。それにしてもレールの幅が狭いです。JRよりも狭そうにすら見えますね。
エストニア・クローンが少し余ってたので、寄り道してショッピングモールを覗いてみました。
服やカバンの店が多かったのですが、どうもどこかで見たようなデザインのものが……ともあれ、シプローティという魚の油漬けの缶詰を買うことにしました。
港近くのモニュメントで遊ぶ子どもたち。
フェリーターミナルに着きました。来た時よりも市街地に近いターミナルなので、歩き疲れたぶんには助かります。
帰りはここからバイキングラインのフェリーに乗ります。行きよりも30分かけての船旅です。
バイキングラインのフェリー。大きさから言うと、行きのタリンクシリヤとそう変わるような気はしません。搭乗は難なく進み、定時の5分前にはタリンを出港したのでした。
これからヘルシンキまで2時間半、夕食にはちょうどいい時間帯です。
フェリーにはビュッフェがあり、22ユーロを払えば食べ放題だったのですが、搭乗してみると予約券を持った人で行列ができていました。すでにチケットは売り切れていて入れないそうです。
さて困ったと思っていたら、少し離れたところにカフェテリアがありました。中を見ると、100グラム1.04ユーロのメニューなんてのもあります。これはなかなか良さそうです。
お好みで取った食べ物に、ドリンクもつけて17ユーロほど。かえって安くつきました。何が幸いするか分からないものですね。
ただ、一難去ってまた一難。今度はテーブルを見つけるのに一苦労。どこも人でいっぱいで、なかなか見つかりません。
5分以上は歩き回ったでしょうか。なんとかラウンジの一角にスペースを見つけて、ようやく晩ごはんにありつくことができました。
ラウンジにはバーがある一方で、奥の方にはステージもあります。呑んでる人もいますし、大人向けのショーでもやるのかと思ってたら正反対。子どもたちがステージ前に集まっています。
見ていると、人形劇が始まりました。それに続いて、歌のおねえさんのコーナーです。ステージは私たちの席からは遠かったのですが、近くのテレビモニタでも写されていました。
なんというか、歌の姐さんと言った方がいいかも……横では船員さんがかぶりもの。つくづく大変な仕事ですね。
ステージはフィンランド語なのかエストニア語なのか、とにかく何を言ってるかはまるで分かりません。
ただ、歌のコーナーになるとどこかで聞いたような歌が始まりました。よく聞いてみると、現役時代の大村コーチの応援歌です。
ただし、当然ながら歌詞は日本のものではなく、なんたらかんたらなんたらかんたら、合いの手の部分が「♪ヒーヤラヒーヤラヘイ」となっています。
まさかこんなところでこんな歌を聞くことになるとは思いませんでしたが、あるいはこちらの方の影響かも知れません。って、バイキングラインには乗ってないはずですが……
ともあれ、2時間半の船旅を終えて、ヘルシンキはカタヤノッカ港に到着。行きしなの西港とは異なり、ヘルシンキの東側にあって市街地まで近い便利な港です。
こちらで船を降りると、通路に係官とリードでつながれた大きな犬が一匹。麻薬探知犬か何かでしょうか。
エストニアとフィンランドはシェンゲン条約に加盟しており。両国間の往来には出入国の手続きなどは必要ないのですが、一応の用心はするということでしょうね。
ともあれ、私たちに問題などあるはずもなく、無事ヘルシンキに再び足を降ろしました。
このあと市電でホテルに戻り、軽く一杯だけ飲んでから眠りに就いたのですが、それ以来ヒーヤマヒーヤマ、じゃなかった、ヒーヨラヒーヨラという掛け声が頭から離れません……
(フィンランド・エストニアの旅まとめエントリ)
旧市街北側の城門を出てすぐのところにあるモニュメント。
これは、1994年9月28日に起きた大型フェリー「エストニア号」沈没事故の犠牲者のために建てられたものです。
当時バルト海を航行中だったエストニア号は、不具合により車両デッキに海水が浸入したために制御を失い転覆、沈没しました。
事故の発見が遅れたこと、また時間帯が深夜であったため、乗客のほとんどは避難もままならず船内に取り残されることとなりました。
結果として、犠牲者852名、生存者わずか137名という、再独立を果たした矢先のエストニアにとって痛恨の大事故となってしまったのです。
【参考】
・失敗事例データベース「車両デッキへの海水流入でフェリーが沈没、852名死亡」(2011年3月3日閲覧)
・失敗百選「カーフェリー『エストニア』が沈没」(2011年3月3日閲覧)
これからバルト海を渡る私たちにとって、このモニュメントを見ることは決して気分の良いことではありません。
ですが、事故はなかったことにはできない。しかも、バルト海だけならまだしも、私のルーツが小豆島にある以上、私たちはこれから一生の間、折にふれて海を渡り続けなければならないのです。
せめて事故による計り知れない犠牲に思いを馳せ、安全を願うことだけでもせねば、と思い、しばし佇んだのでした。
旧市街を離れ、フェリー乗り場に向かいます。
途中トラムの線路を横切りました。それにしてもレールの幅が狭いです。JRよりも狭そうにすら見えますね。
エストニア・クローンが少し余ってたので、寄り道してショッピングモールを覗いてみました。
服やカバンの店が多かったのですが、どうもどこかで見たようなデザインのものが……ともあれ、シプローティという魚の油漬けの缶詰を買うことにしました。
港近くのモニュメントで遊ぶ子どもたち。
フェリーターミナルに着きました。来た時よりも市街地に近いターミナルなので、歩き疲れたぶんには助かります。
帰りはここからバイキングラインのフェリーに乗ります。行きよりも30分かけての船旅です。
バイキングラインのフェリー。大きさから言うと、行きのタリンクシリヤとそう変わるような気はしません。搭乗は難なく進み、定時の5分前にはタリンを出港したのでした。
これからヘルシンキまで2時間半、夕食にはちょうどいい時間帯です。
フェリーにはビュッフェがあり、22ユーロを払えば食べ放題だったのですが、搭乗してみると予約券を持った人で行列ができていました。すでにチケットは売り切れていて入れないそうです。
さて困ったと思っていたら、少し離れたところにカフェテリアがありました。中を見ると、100グラム1.04ユーロのメニューなんてのもあります。これはなかなか良さそうです。
お好みで取った食べ物に、ドリンクもつけて17ユーロほど。かえって安くつきました。何が幸いするか分からないものですね。
ただ、一難去ってまた一難。今度はテーブルを見つけるのに一苦労。どこも人でいっぱいで、なかなか見つかりません。
5分以上は歩き回ったでしょうか。なんとかラウンジの一角にスペースを見つけて、ようやく晩ごはんにありつくことができました。
ラウンジにはバーがある一方で、奥の方にはステージもあります。呑んでる人もいますし、大人向けのショーでもやるのかと思ってたら正反対。子どもたちがステージ前に集まっています。
見ていると、人形劇が始まりました。それに続いて、歌のおねえさんのコーナーです。ステージは私たちの席からは遠かったのですが、近くのテレビモニタでも写されていました。
なんというか、歌の姐さんと言った方がいいかも……横では船員さんがかぶりもの。つくづく大変な仕事ですね。
ステージはフィンランド語なのかエストニア語なのか、とにかく何を言ってるかはまるで分かりません。
ただ、歌のコーナーになるとどこかで聞いたような歌が始まりました。よく聞いてみると、現役時代の大村コーチの応援歌です。
ただし、当然ながら歌詞は日本のものではなく、なんたらかんたらなんたらかんたら、合いの手の部分が「♪ヒーヤラヒーヤラヘイ」となっています。
まさかこんなところでこんな歌を聞くことになるとは思いませんでしたが、あるいはこちらの方の影響かも知れません。って、バイキングラインには乗ってないはずですが……
ともあれ、2時間半の船旅を終えて、ヘルシンキはカタヤノッカ港に到着。行きしなの西港とは異なり、ヘルシンキの東側にあって市街地まで近い便利な港です。
こちらで船を降りると、通路に係官とリードでつながれた大きな犬が一匹。麻薬探知犬か何かでしょうか。
エストニアとフィンランドはシェンゲン条約に加盟しており。両国間の往来には出入国の手続きなどは必要ないのですが、一応の用心はするということでしょうね。
ともあれ、私たちに問題などあるはずもなく、無事ヘルシンキに再び足を降ろしました。
このあと市電でホテルに戻り、軽く一杯だけ飲んでから眠りに就いたのですが、それ以来ヒーヤマヒーヤマ、じゃなかった、ヒーヨラヒーヨラという掛け声が頭から離れません……
(フィンランド・エストニアの旅まとめエントリ)