にわか日ハムファンのブログ記念館

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〔津軽流れ旅〕(3)わた雪:三厩にて/から

2013-01-08 08:55:43 | さすらいブロガー旅情編
 津軽線のディーゼルカーは北に向け走る。既に日はかげりはじめ、やがて日は落ち、ただでさえあるのか無いのか分からない窓外の景色が、とてもあるとは信じられないほどの闇と白色に覆われたところで、三厩に着いた。



 三厩駅、夜5時前。当然未明ではない。夜の、5時前。
 数えるほどの乗客は、それぞれ迎えの車に乗って早々に駅を去ってしまった。同好の士とてまったく乗り合わせておらず、駅前にいるのは物好きが一人だけである。



 折り返しの時間まで1時間ほどある。いつもなら駅前を歩くところだが、街灯の灯で微かに見える集落には人の気配がまるでない。とても出歩く気分にはなれず、最低限の写真だけ撮ると、駅舎内に戻ることにした。
 駅舎に入ってみると、女子学生が一人、握りしめた携帯電話に向かって何やら切実に訴えている。一人だけ残っているということは、おそらく迎えに来るはずの車が来なかったのだろう。
 三厩駅は駅員もいて暖房も効き、当然灯りも燈る。外界からすればはるかに落ち着ける場所ではあるが、裏を返せば、そこから身一つで外界に出ていくことは難しい。何かの助けがなければ、ここから帰ることはできない。
 そんな場所に自分だけ取り残される。他の人に来た迎えが自分にだけ来ない。来るはずのものが現れない。出られない。雪に閉ざされた中での心細さ。不安。焦燥。それらを一気に目の当たりにする。
 とはいえ、しばらくすると彼女にもようやっと迎えが来て、三厩駅を抜け出すことができた。それをまったくの他人事としてただ見る中年前の男一人がここにいるが、はたしてこれが「他人事」で済むのかどうか。
 さておき、まだ時間はある。小さな駅を見渡す。



 竜飛崎のイラスト。予定をうまく組めば、ここからバスで訪れることもできるが、さすがにそこまでする気にはならなかった。



 竜飛崎について『津軽』より。それにしても、北に向かって歩む道が尽きたその先、北海道からいまや船に依らずに竜飛崎に現れる人々がいると知ったら、太宰はどう思ったことか。



 三厩駅のスタンプ台。その太宰が一笑に付した義経伝説は今も消えていない。もっとも、日本国内でやる分には、まだ学問や道義への冒涜と断ぜずに済む可能性もあろう。



 三厩駅を発着する列車は、1日にこの5往復のみ。私が乗って折り返す6時前の列車を逃せば、あとは翌朝まで、この地に留まるしかない。
 そして、時刻表をさらによくご覧いただきたい。三厩に最も遅く到着する列車は、最終列車が発車した後の19時38分。翌日の始発列車が6時10分。
 つまりその10時間半ほどの間、列車は三厩に留め置かれるのである。つまりは、その運転士も車掌も、そして駅員も三厩に留め置かれるということである。
 読者諸賢もどうか心に留めていただきたい。この寂寥を体現した地で、地域の輸送の輸送のため、雪に閉ざされながら夜を過ごす鉄道員がいるのだ。
 しばらくすると、発車までまだ間があるにもかかわらず、列車に乗り込んでいいとの駅員の案内があった。それに従い、一人ホームに向かう。



 振り返って駅舎を見る。駅員の他には、誰もいない。



 ホームから終端部を望む。鉄路がどこで終わっているのか、分かるべくもない。



 たった一人の乗客の乗車を乗せて蟹田に向かうべく、発車を待つ列車に乗り込んだ。
 先頭車両(といっても2両編成だが)に乗車してしばらくするとドアが閉まり、エンジンが吹かされる。そしてエンジン音が静まり、再び高まりを繰り返す。
 発車に備えて空吹かしでもしているのだろうかと思うと、車掌が走ってきた。何事かと思っていたら、車掌をこちらを見てニコリと、
「凍って動かないみたいです」
 一瞬で釣られた。反射でこちらも笑ってしまった。これが多少なりとも申し訳なさそうにされた日には、こちらも不安になるなり焦るなりできるが、相手は屈託のない笑顔である。釣られるしかないではないか。
 ほどなく、作業員がホームに到着して凍結を取り去ろうとする。するとエンジン音の高鳴りとともに車両がカクンと動くなるようになるが、それだけでまた停まってしまう。まだ発車と呼べる動きではない。
 運転士を含めた奮闘の末、車輪が回転して列車が三厩を抜け出したのは、定刻から9分過ぎた後であった。とりあえずは抜け出られた、というのがその時の感想であった。



 しばらくして気がついたのは、このままの遅れだと蟹田での乗り換え列車に間に合わないことであった。ようやく不安になった。
 車内を巡回する車掌に尋ねると、乗り換えられるかどうかは確認してくれるとのこと。とはいえ、たった一人の乗客のための接続待ちを期待するのは虫が良過ぎる。なんとか数分だけ遅れを回復してくれるといいのだが。
 良いのか悪いのか、その後列車に乗り込んだのは今別で一人のみ。駅での停車時間が要らない分、遅れは何とかなるかも知れない。客が少ないこと自体は憂慮すべきことかも知れないが。
 はたして、列車は蟹田に4分遅れで入線した。5分遅れを取り戻してくれたおかげで、何とか乗り換えができそうだ。
 ところが蟹田で降りてみると、乗り換えるはずの列車が7,8分遅れのアナウンス。これなら何も不安になることはなかったのだ。
 かと思いきや、列車はさらに遅れ、定刻の10分後に蟹田到着。今度は青森での接続が不安になった。車掌に聞いてもどうなるかは分からないとのこと。
 仮に遅れても宿まではたどり着けるが、その場合は10時を回ってしまう。なにせこの世界、早くたどり着けるに越したことはない。



 結局列車は11分遅れで青森着。本来なら弘前行の普通は出た後だが、ありがたいことに隣のホームでわれわれの到着を待っていた。急いで飛び乗ると、そのまま電車は弘前に向けて発車、する気配がない。
 しばらくするとアナウンスがあり、さらに他の普通電車の到着を待つとのことで、しばらくはこのまま停車するとのこと。思わぬ形でできた時間を利用して写真を撮り、夜食を調達する。



 結局電車が青森を出たのは21分遅れ。さらに途中でも長時間の停車があったりで、遅れは拡大していく。結局次の乗換駅の川部に着いたのは26分遅れのことであった。



 川部ではもともと待ち時間が30分以上あったので焦りはない。何より、この調子ならその列車も遅れているはずだと思ったところ、案の定、時間になっても列車は来ない。周囲を見回したり、撮影して時間を過ごす。



 鰺ヶ沢行が着いたのは定刻の31分後。さらに停車時間が長引いて川部を出たのは10分後、遅れは34分になっていた。
 その後は遅れながらも列車は走り、目的地の五所川原にたどり着くことができた。定刻から38分後のことであったが、とにかくたどり着いた。
 時間は既に9時を回り、気温の低さはいよいよその威を増してくる。歩くだけでも体温を奪われる感覚。寒くて耐えられないのではない、この空気に接していたら生命がもたないという恐怖。いつ以来の感覚だろう。
 何とか宿に着いた時に残っていたのは、安堵と疲労のみだった。調達した夜食を平らげるだけの力すら残っていなかった。


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