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にわか日ハムファンのブログ記念館

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〔津軽流れ旅〕(1)こな雪:函館から蟹田へ

2013-01-06 11:51:12 | さすらいブロガー旅情編
※ 勝手に主題歌:新沼謙治「津軽恋女」



「ね、なぜ旅に出るの?」
「苦しいからさ。」
「あなたの(苦しい)は、おきまりで、ちつとも信用できません。」
「正岡子規三十六、尾崎紅葉三十七、斎藤緑雨三十八、国木田独歩三十八、長塚節三十七、芥川龍之介三十六、嘉村礒多三十七。」
「それは、何の事なの?」
「あいつらの死んだとしさ。ばたばた死んでゐる。おれもそろそろ、そのとしだ。作家にとつて、これくらゐの年齢の時が、一ばん大事で、」
「さうして、苦しい時なの?」
「何を言つてやがる。ふざけちやいけない。お前にだつて、少しは、わかつてゐる筈たがね。もう、これ以上は言はん。言ふと、気障(きざ)になる。おい、おれは旅に出るよ。」(太宰治「津軽」青空文庫収録

 太宰の津軽旅物語は、この一節から本格的に始まる。20年余り前、中二病のよくある症状として太宰に嵌っていた私も、この作品を読んでからというもの、津軽の旅に憧れるようになった。
 しかし、当時の太宰のような長逗留などどだい無理な話。せめて短い旅でもと思いつつも果たせず、月日が過ぎて行った。それにはそれなりの理由が山ほどあったのだろうが、今となっては思い出す情熱が湧かない。
 そして気がつけば、私も「そのとし」になってしまった。作家どころか売文すらまともにできない私に、今ぐらいが一番大事も何も言えたものではないが、ただ年を重ねて来るところまで来てしまった事実が胸を重くする。
 ここに至っては、理由も何もあったものではない。何でもいいから訪れるしかない。
 しかも今は冬。「寒い土地を本当に見たいなら寒い時期に行かねばならない」がもとより持論の私である。その上、この時期の津軽にはストーブ列車もあれば、臨時の寝台特急「日本海」だって走るではないか。
 かくて、冬休みに僅かな予定をいささか無理やり詰め込み、津軽を訪れることにした。



 津軽の旅と言いつつ、往路の飛行機は函館行である。青森行より都合が良かったのだ……が、それは予定通り飛べばの話。
 当日の北海道の天気は大荒れ。関空に着いてみると、条件付き運航との知らせが入ってきた。着陸が不可能な場合、新千歳に向かうか関空に引き返すか、どちらかになるとのことだ。
 どうしたものか、いやどうしたもこうしたもない。無事着くことを期待するしかない。だめなら、それはそのときでしかない。
 半ば投げた気分で外を見ると、全日空の復刻塗装の飛行機が目に入ってきた。一瞬は心躍ったが、あはれ我が機体はその隣、あくまで普通のものであった。
 飛行機に乗り込むと、定刻通り出発。少し待たされたあと離陸し、恨めしいほどの青空の中を飛んでいく。函館がこの天気なら何も困ることはないのだ。
 それからさらに何事もなく数十分が経過したところ、機長からの案内が入ってきた。
 いわく、函館では滑走路が除雪中で再開は9時半の見込み、しかし雪が降り続いていて除雪が間に合わず、着陸できない恐れがある。その場合は新千歳に行先を変更するとのこと。
 関空引き返しだけは免れたが、この時間に18きっぷで新千歳から青森まで向かえるものか。と、数分後に今度はCAから案内。現在青森付近で旋回中、天候の回復を待つとのことである。
 函館に着陸できるともできないとも分からない中、機内の雰囲気も硬くなってくる。だが私に何ができるでもない。自分の悪運だけを信じるしかない。
 すると、十数分後にふたたびCAから、今度は朗報が届いた。函館の天候が回復しつつあるので、15分後に函館に進入するとのことだ。
 続いて機長からも、間もなく進入開始のアナウンス。安堵は覚えつつも、着陸にあたって機体が大きく揺れるとの注意に気が引き締まる。
 はたして、機体は雪雲の中に突入していく。雲を切り裂く音とともに揺れに揺れる。左右の揺れならまだしも、上下動はどうにも気分が落ち着かない。
 そして雲が途切れると、眼下に時化の海が現れた。もう少しで着陸できるという安心感はまるで生まれない。早くしてくれ、と思ったところでCAからの放送。他機が先に進入するのを待つので、あと10分かかるとのこと。
 すぐさま機長から、先行の他機が進入するのであと5分待機するとの放送が届いたが、時間が短くなったとはいえ心を折られる思いがした。
 それからの5分間は10分以上にも感じられた。いや、実際に10分以上かかった。その間にも飛行機は徐々に項化していき、ようやく空港らしき景色が見え、やっとだ、と思ったところで、衝撃とともに着陸。
 どうだ、何とか着陸できたではないか。日本よ、これが私の悪運だ!30分以上の遅れもものかは、ついにブリッジにたどり着いた。



 函館空港はご覧の通り。よくぞ着陸できたものだ、としかいいようがない。
 とはいえ、遅れは遅れである。当初乗るはずだった鈍行にはどう考えても間に合わない。ともあれ、接続待ちをしていたバスに乗り込み、函館駅に向かう。天気は日が差したかと思えば吹雪、極端極まりない。



 再び吹雪いたところで函館駅到着。これがバスターミナルと言われて、はいそうですかと簡単に納得できるものではない。



 駅に着いてみると、運休の続出。津軽海峡線が動いているのは天佑というほかない。
 ただ、予定が狂ったことは事実である。考えた末、遅れの回復よりも、あくまでも鈍行中心の移動を優先することにした。



 ちょうど良い列車が函館を出るのは昼過ぎ。それまで時間が空くので、上磯行の鈍行で往復してみることにした。



 列車は嘘のように定刻通り進み、上磯到着。このまま木古内まで走ってくれればいいのだが、さすがにそうもいかないので、とりあえず降りて駅を撮影。



 駅にはファイターズガールオーディションのポスターが貼ってあった。これがどの程度スカウティングに役立つかは分からないが、掲示してあること自体も大事なのだろう。



 駅には札幌ドームの広報誌も置いてあった。今年の最新号のようであるが、



他に候補はなかったのか。これを選んだ時点でシーズンの結末も見えていただろうに、もう少し当たり障りのないものはなかったのか。
 力が抜けたところで、すぐに折り返しの列車に戻る。その後は五稜郭の手前で信号待ち、直後で踏切への車の異常進入があり、8分遅れながらも函館に着いてみると、



あれは……イカール星人?



 駅員も出て大々的な歓迎ムード。当然相手は私ではない。海外からの団体客であろう。



 ほどなく列車が入ってきた。初めて見る車体だが、どうも貸し切りのようだ。



 すると、台湾からと思しき団体客が一気に降りてきた。係員から何がしかのグッズを受け取ると、徐々にイカール星人の下へと向かっていく。



 イカール星人、大人気である。団体はひとしきり写真を撮ると、ガイドの指揮の下、それぞれ改札を抜けて行った。



 それでもまだ少し時間があるので、駅2階のホールを見に行ってみた。それにしても、やはりイカである。



 嗚呼、イカである。



 イカと並んで注目を集めるのが、開業が近づく北海道新幹線。ホールには昆布で作った新幹線が展示されていたが、



嗚呼、嗚呼、イカである。



 ようやっと木古内行のディーゼルカーが入線してきた。先程と同じ形式だが、今度は上磯から先に進むことができる。



 そして昼食。イカは十分見たので、今回は鰊みがき弁当にした。



 ニシンの身はもちろん、カズノコも入るので、コストパフォーマンスはすこぶる良い。十分に時間をかけて食べることができた。



 木古内からは特急で蟹田へ。以前にも書いたが、この区間は青春18きっぷや北海道・東日本パスで特急に乗ることができる。
 特急は何事もなく青函トンネルを通過し、地上へ出るといきなり吹雪になった。とはいえ特段遅れることもなく蟹田に到着。これまでの年月同様に長い前振りになってしまったが、いよいよ津軽の旅だ。


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2 コメント

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Unknown (M・K)
2013-01-09 00:00:30
「三十にして立つ 四十にして惑わず」ということですね。

それにしても、昨年2月の秋田遠征といい、
お互い、東北方面への移動は何かありますね。(笑)
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M・Kさん (ルパート・ジョーンズ)
2013-01-09 03:54:53
この分だと5,60歳でも惑ってそうな気はします[;;0J0]
冬に北国に飛行機で向かう以上、すんなりいかないのは仕方ないと言えばないのですが、
それにしても1年に2度条件付き運航を経験するとは思いませんでした(苦笑)
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