にわか日ハムファンのブログ記念館

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〔2012年夏・北海道・東日本パスの旅〕(20)常磐線亘理駅から不通区間を望む

2012-10-01 22:13:49 | さすらいブロガー旅情編
 南三陸町から仙台に戻り、5日目の朝が来た。この旅も今日が最終日だ。
 午前中妻は仕事の用事があり、合流するのは昼から。それまで時間を持て余すのでどうしようかと考えた。
 仙台近郊の路線はあらかた乗っているし、気仙沼線に乗って戻ってくるのは遠過ぎる。
 一番近いのは常磐線だが、今動いている区間に乗ったところで、全線が再開すればいずれ乗り直すことになる。再開すれば……
 いや、しかし、だ。
 今の不通区間のうち、津波の被害を受けた亘理から相馬の間は、何年かかかるだろうが、いずれは再開することだろう。相馬から原ノ町の間はすでに電車が動いている。
 だが、そこから先は?小高、桃内、浪江、双葉、大野、夜ノ森、富岡、竜田、木戸、そして広野までの区間に、再び電車が走る日は来るのだろうか。来たとして、その日を私は目にすることができるのだろうか?
 何一つ分からない以上、今乗れるところに乗っておくしかない。それで駄目なら、もうどうしようもないではないか。それに、ここまできたのだ。不通区間があるなら、それを見ることも大事だろう。
 本当は原ノ町まで行きたかったが、それだと午後の予定がつかえる。仙台から電車が通じている亘理まで行って、折り返すことに決めた。


(クリックで拡大)

 仙台駅の路線図。南三陸の光景が嘘のような(事実、前日仙台に戻ってきた時には、ある種の戸惑いを覚えたものだ)仙台だが、大震災の影響は明確に見てとることができる。



 常磐線の電車は当然亘理止。仙台からはしばらく東北本線を走り、常磐線の区間は2駅しかない。



 電車は20分もしないうちに終点に到着。本来なら通過線になっている線路にホームが設けられている。終点で一気に下りてくる乗客を捌くためだろうか。



 亘理駅の駅名板からは、南隣の浜吉田駅の名を見ることはできない。



 いや、長い直線の線路自体、すでに草生している。かつて特急が1日に何本も通った幹線の証は、今ここにはない。



 今使われているホームは、仮設の1面のみ。上り方面の電車がなくなってしまい、無用の長物と化した跨線橋には柵が置かれている。



 改札口には代行バスの案内が念入りに示されている。



 亘理駅。代行バスが駅前のターミナルで発車を待っている。奥に見える城のような建物は、町立の図書館と郷土資料館だそうだが、この日は休館。



 代行バスが間もなく発車する。亘理からの折り返しの電車が出るのは、あと30分以上。少し歩くぐらいの時間はありそうだ。駅から南に、線路沿いを歩いてみることにした。



 駅からすぐ近くの鉄橋。この路線を、かつてはSLに引かれた寝台特急、1年数か月前までは特急電車が上野から、あるいは上野を目指して走っていたのだ。



 停止を現示したままの上り方面の信号。その指示を要するところまで来る列車は、ない。



 線路沿いをしばらく歩き、最初の踏切付近に来た。



 これが東北本線のバイパスとして東日本の長距離輸送を支えてきた路線の、今の姿だ。



 まだ時間があるので、さらに踏切1つ分歩いてみた。ここで家並は途切れ、さらに先には一面に水田が広がる。



 警報機には多くの警報灯がつけられている。踏切を渡る道は2車線ながら交通量がそこそこあり、線路沿いの道路から曲がってくる車も見かける。



 しかし、警報機には「休止中」の文字。踏切を通る車の中にも、ほとんど減速せずに通過するものがあった。



 遮断機からは桿が抜かれている。少なくとも今の時点で、必要のあるものではない。



 南方を望む。この先の多くの鉄路が、鉄路の走る土地が、津波に襲われた。



 振り返って亘理方面を見る。線路にはロープが張られている。しかしそれ以前に、一面に生い茂った草むらの中を歩いて行こうとする物好きはいないだろう。冬はまた別かも知れないが。



 電車の時間もあるので引き返すと、「亘理」の標識を見かけた。駅が近いことを運転士に示すものだ。
 この標識も、その先にある赤信号も、意味をなさなくなってから1年と5ヶ月以上。
 季節が季節だから、とは思う(思いたい)が、線路は草で完全に覆い尽くされ、その存在を直接見て知ることは、もはやできない。

 夏草や……これが夢の跡とは、思いたくないのだけれど。


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