にわか日ハムファンのブログ記念館

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失われた風景

2007-01-22 19:12:56 | 関西は燃えているか
 甲子園球場の斜め向かい、阪神パークの跡地に建てられたららぽーと甲子園。私が子どもの頃、何度も訪れた阪神パークの面影はかけらもありません。
 ただ、ある日ふと正面のモニュメントを見ると、その阪神パークのことが記されているではありませんか。



 この写真では文字が小さくて見づらいかも知れませんが、確かに阪神パークのことが書かれています。

 「ここにはかつて阪神パークと呼ばれた遊園地がありました。
 阪神パークは世界大戦と阪神大震災を耐え抜き、70年以上にわたり阪神間の住民のオアシスとしての役目を果たしました。
 阪神パークは動物園やスイミングプール、スケートリンクをはじめあらゆる施設を備え、老若男女を楽しませ、また育んできました。」




「ゾウやキリン、それにサルなどの動物園の動物たちは、子どもたちの愛情を受けてきました。世界で唯一の動物であるヒョウとライオンの間の子どもには、子供たちから『レオポン』という名前を授かりました。
 日本中の人たちが、この愛すべき生きものを一目見ようと集まりました。」




 「時は過ぎ、そして今では『ららぽーと甲子園』がここに建っています。
 阪神パークを美しく飾った木々が、今でも立っています。
 長い歴史と数え切れないほどのほほえみを見守ってきたクスノキは、今ららぽーとの象徴になっています。」




 「クスノキは西宮市の木でもあります。
 ららぽーと甲子園はこの地域固有の自然を現代風に表した施設です。」




 「ららぽーと甲子園は六甲山から桜並木の川を経て、海にまで達するこの地域の自然を映したものです。」



 「『自然を通る胸躍る旅路』をお楽しみください!」


 ……


 当然と言えば当然なんですが、あくまでもこれは現在の施設の紹介なんですよね。
 そして、阪神パークはその前史に過ぎないと。
 でも、私にとっては、その阪神パークにこそ、愛着を感じてきたんです。いろいろな思い出を残してきたんです。甲子園で育った者として。
 あるいは、阪神パークの痕跡が何もないよりはましなのかも知れない。昔の木も移植されてるそうですし。
 ただ、今あるものの前振りではなくて、阪神パークそのものの跡、阪神パークそのものを振り返るよすががないものか……そう思わずにはいられません。



 甲子園球場を望む。球場の改修とともに、この風景も、いずれ過去のものになります。


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6 コメント

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そういえば・・ (ハムぞー)
2007-01-22 19:23:23
レオポン、どこいったんやろ・・・
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改修されても・・・ ((まめ)たぬき)
2007-01-22 20:24:53
甲子園はそこにある、んですよね。

関西に戻ってきてから
動物たちがほとんどいなくなった阪神甲子園パークに子供連れで冬場たびたび行きました。(そういえば、宝塚ファミリーランドもだったなあ・・・)
どちらも、もう思い出の中にしかない。

スタジアム跡地ってのも、なんともいえずきついものです。
なんばパークス、更地になるところを見ていた西宮球場。
・・・他人事だと思っていたんですけどね。
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まさか…。 (アパッチ)
2007-01-22 22:06:38
今日の昼間、デジカメ構えていた人をみかけましたけど…?
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ハムぞー所長 (ルパート・ジョーンズ)
2007-01-23 06:26:05
レオポンの剥製は天王寺動物園で保管されているそうですよ。
去年の阪神100周年イベントで、阪神百貨店に展示してありましたが、なんとか阪神パーク跡地で常時展示できないものですかねぇ……
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(まめ)たぬきさん (ルパート・ジョーンズ)
2007-01-23 06:43:11
ファミリーランドもなくなりましたし、ポートピアもなくなったんですよね。
阪神パークは、住宅展示場を兼ねるという戦略で生き残っていけるかと思っていたんですが、残念でした。

なんばパークスは大阪球場や南海ホークスのちゃんとした展示があるからまだいいんですが、西宮球場の跡地はどうなるんでしょうね。
私自身も思い入れのある球場だったので、何かあればとは思うんですが、ブレーブスの売却先がいちゃもんを付けてきたりして……
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アパッチさん (ルパート・ジョーンズ)
2007-01-23 06:43:48
あ、それは私じゃないです(^^;;)私が撮影したのは日曜日でした。
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