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『俺たちの 東京 日本ハムファイターズ』をうちでも購入したので、先日から読んでいます。
ご存知の通り、私は東京時代のファイターズをほとんど知りません。なので、本書に出てくる話やだったり、大量に掲載されている写真には初見のものが結構あり、新鮮な感じで見ている部分はかなりあります。
(その割にサイドスローのギョロタンの写真は見たことがあったりしますが)
その一方で、後楽園・東京ドーム時代を振り返ると、かつてのプロ野球自体がいろいろと思い出されるわけです。
それだけに、知らないことだらけなんだけれども懐かしい、妙な気分を感じながらページをめくっています。
そんな中で、ふと目に留まったのが、えのきどいちろう氏のこんな記述です。以下、少々長くなりますが。
「北海道のファンと話をすると、東京時代がブラックボックス化しているというか、歴史の断層が生まれているのを感じる。『北海道日本ハムファイターズ』の前史は単なる暗黒時代という風に見られてるか、もしくは逆に不可知な聖域のように受け取られている」(7ページ)
このことこそが、本書が生まれた背景ということですが、なるほどそういうきらいはあるとは私も思います。
ただ、だからといって北海道のファンが悪いってことではないと思うんですよね。えのきどさんも、そんな意図は全くないでしょうし。
むしろ、もし責任(なんか大げさな言葉でイヤですが)があるとしたら、北海道での「誕生」というあり方にこだわった球団の方になるのでしょう。
とはいえ、東京時代がまったくの無になったかというと、そんなことはない。これは断言できます。
その理由は明確で、東京時代にファン獲得のため、努力や試行錯誤を繰り返した蓄積、何より努力するものだという姿勢が浸透し、その財産があったからこそ、北海道や鎌ケ谷で根を張ることが成功したからです。
それは、ファイターズに私よりも長く、深くかかわっている人なら、私よりもよく理解されていることでしょう。本書の記述の中にも、このことを示す箇所は少なからずあります。
他方で、東京を去った球団への寂しさを感じつつも、今の成功を喜ぶファンを見ていると、ある種の羨ましさを感じるのも事実です。それは、私が関西でパ・リーグを見ていて、10年前を知っているからです。
関西での「古き良き」パ・リーグを思い出すことは、良く言っても悲劇的、有り体に言えば無残(いろいろ考えましたが、やはりこれです。「残」が無い)な結末を無視するか、直面するか、その選択を迫ります。
その選択からある程度自由でいられるのは、東京ファイターズとパラレルな存在、つまり大阪から去って福岡で成功したホークスを見続けているファンぐらいのものでしょう。
阪急・ブルーウェーブ・近鉄を思い出す時、少なくとも私は、悔悟、痛恨、怨嗟、憤怒、頭をもたげるネガティブな感情をどう処理すべきか、常々苦悩します。
それだけに、これは失礼な言い方なのかも知れませんが、寂しいけど移転して良かった、と思える人には、羨ましさを感じずにはいられません。
こと関西に関しては、良かったと振り返ることなどない。いや、私の立場からすれば、あってはならないのですから。
しかし、よし次は川崎時代のロッテだな、と思ったら、既にあった件。
ご存知の通り、私は東京時代のファイターズをほとんど知りません。なので、本書に出てくる話やだったり、大量に掲載されている写真には初見のものが結構あり、新鮮な感じで見ている部分はかなりあります。
(その割にサイドスローのギョロタンの写真は見たことがあったりしますが)
その一方で、後楽園・東京ドーム時代を振り返ると、かつてのプロ野球自体がいろいろと思い出されるわけです。
それだけに、知らないことだらけなんだけれども懐かしい、妙な気分を感じながらページをめくっています。
そんな中で、ふと目に留まったのが、えのきどいちろう氏のこんな記述です。以下、少々長くなりますが。
「北海道のファンと話をすると、東京時代がブラックボックス化しているというか、歴史の断層が生まれているのを感じる。『北海道日本ハムファイターズ』の前史は単なる暗黒時代という風に見られてるか、もしくは逆に不可知な聖域のように受け取られている」(7ページ)
このことこそが、本書が生まれた背景ということですが、なるほどそういうきらいはあるとは私も思います。
ただ、だからといって北海道のファンが悪いってことではないと思うんですよね。えのきどさんも、そんな意図は全くないでしょうし。
むしろ、もし責任(なんか大げさな言葉でイヤですが)があるとしたら、北海道での「誕生」というあり方にこだわった球団の方になるのでしょう。
とはいえ、東京時代がまったくの無になったかというと、そんなことはない。これは断言できます。
その理由は明確で、東京時代にファン獲得のため、努力や試行錯誤を繰り返した蓄積、何より努力するものだという姿勢が浸透し、その財産があったからこそ、北海道や鎌ケ谷で根を張ることが成功したからです。
それは、ファイターズに私よりも長く、深くかかわっている人なら、私よりもよく理解されていることでしょう。本書の記述の中にも、このことを示す箇所は少なからずあります。
他方で、東京を去った球団への寂しさを感じつつも、今の成功を喜ぶファンを見ていると、ある種の羨ましさを感じるのも事実です。それは、私が関西でパ・リーグを見ていて、10年前を知っているからです。
関西での「古き良き」パ・リーグを思い出すことは、良く言っても悲劇的、有り体に言えば無残(いろいろ考えましたが、やはりこれです。「残」が無い)な結末を無視するか、直面するか、その選択を迫ります。
その選択からある程度自由でいられるのは、東京ファイターズとパラレルな存在、つまり大阪から去って福岡で成功したホークスを見続けているファンぐらいのものでしょう。
阪急・ブルーウェーブ・近鉄を思い出す時、少なくとも私は、悔悟、痛恨、怨嗟、憤怒、頭をもたげるネガティブな感情をどう処理すべきか、常々苦悩します。
それだけに、これは失礼な言い方なのかも知れませんが、寂しいけど移転して良かった、と思える人には、羨ましさを感じずにはいられません。
こと関西に関しては、良かったと振り返ることなどない。いや、私の立場からすれば、あってはならないのですから。
しかし、よし次は川崎時代のロッテだな、と思ったら、既にあった件。
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やはり九州の西鉄ライオンズでなければ駄目だと仰いますからね。
最近は、「西武」が取り組んでいるライオンズクラシックでえらく嬉しそうでしたけれども。(笑)
移転前の歴史の扱い方が、つい最近までもっと苛烈でしたからね。
豊田氏が生きている間に状況が変わったのは救いでした。
一方で、福岡に球団があってくれさえいれば、
という稲尾氏のようなスタンスもあるわけで。
うちも問題が全くないとは思いませんし、だからこその本書刊行なんですが、
移転後もファンがごっそりと残れる基盤があったのは僥倖でした。
ライオンズOBのスタンスの違いは九州出身者と「最後までファンからはよそもの扱いされた」と根に持ってる人の違いかな
豊田さんは「ライオンズのいない九州」へはそんなに思い入れないんですよw
「ファイターズ」という名前は当時在籍の大杉さんにちなんだという説がありますが、
彼もそうそうに放出されてしまいましたからねぇ。
選手をあっさり放出するのは今に至る伝統と化した感があります。
>九州出身者
稲尾さんがそうでしたね。だからこその豊田氏との好対照と言うべきか。