
5日目の朝、目覚めるとすでに列車は本州に入っていた。陸奥湾、下北半島、さらに東の太平洋から日が昇る。今日も長い一日になる。

「はまなす」終着駅の青森に着いた。今日はここから岩手県に行く予定だ。
ここで、八戸に行く電車まで時間がある。その間に朝食を調達しつつ、駅前を歩いてみることにした。

青森駅西口。新幹線が乗り入れる新青森駅ができたとはいえ、県庁所在地の駅がこれかというので、たびたびネタにされる駅舎だ。
もっとも、青森駅の主な玄関口は東口。有り体に言えば、こちらは通用門とか勝手口ぐらいなものなのだが。

西口前。バスはほとんど、あるいはすべてかも知れないが、東口のターミナルに乗り入れるので、こちらはタクシーが1台止まっているか、時に送迎の自家用車が来るかという程度。時間帯にもよるのだろうが。

待合室。この大きさだが、自動券売機が複数あるだけ、ローカル線の有人駅よりは整っているとも言える。

改札口。通路は2つだけで、自動改札機は、ない。ないのだ。

西口はこのぐらいで、東口に回って少し歩く。「はまなす」の客車がまだ止まっている。札幌から引っ張ってきた機関車は、すでに放たれた後だ。

ここにはかつての青函連絡船、八甲田丸が展示保存用に停泊している。もちろん、この朝も早くから中に入ることはできないので、外から見学する。

ゲートから船尾を見る。このゲートから貨物を積んで、津軽海峡を往来していたのだ。

いくつものロープでつながれる八甲田丸。ここまでしないと危ないのだろうか。

八甲田丸の案内。まぁ、いずれ内部を見る機会はあるかも知れない(クリックで拡大)。

ファンネル(煙突)には国鉄のロゴ。青函連絡船が廃止されたのは民営化後のことで、八甲田丸もJRの所属線として運行されていた時期があるはずだが、展示用に旧来の塗装に戻したのだろう。

船首。今にも出航しそう、と言えればいいが、その機能を失った桟橋はただ静まり返るのみで、賑わっていた頃の面影を探すことは難しい。

2年連続2箇所目(昨年はこちら)の、「津軽海峡冬景色」の歌碑。
ふと思ったのだが、愛する男に別れを告げて連絡船で帰る、ということは、主人公は北海道出身の女性ということになる。当たり前だが。
ただ、私が知る範囲の人々から考える限り、いざ帰り着いたら、さっさと切り替えてのんびりと暮らしてそうな気がするのだが、さすがにそれを言うのは野暮というものか。

傍らを見ると、連絡船のスクリューが置かれていた。
連絡船の時代と、その象徴は、船であれ歌であれ何であれ、「いま」とは切り離されて、時が過ぎ行く中に据え置かれている。

「はまなす」終着駅の青森に着いた。今日はここから岩手県に行く予定だ。
ここで、八戸に行く電車まで時間がある。その間に朝食を調達しつつ、駅前を歩いてみることにした。

青森駅西口。新幹線が乗り入れる新青森駅ができたとはいえ、県庁所在地の駅がこれかというので、たびたびネタにされる駅舎だ。
もっとも、青森駅の主な玄関口は東口。有り体に言えば、こちらは通用門とか勝手口ぐらいなものなのだが。

西口前。バスはほとんど、あるいはすべてかも知れないが、東口のターミナルに乗り入れるので、こちらはタクシーが1台止まっているか、時に送迎の自家用車が来るかという程度。時間帯にもよるのだろうが。

待合室。この大きさだが、自動券売機が複数あるだけ、ローカル線の有人駅よりは整っているとも言える。

改札口。通路は2つだけで、自動改札機は、ない。ないのだ。

西口はこのぐらいで、東口に回って少し歩く。「はまなす」の客車がまだ止まっている。札幌から引っ張ってきた機関車は、すでに放たれた後だ。

ここにはかつての青函連絡船、八甲田丸が展示保存用に停泊している。もちろん、この朝も早くから中に入ることはできないので、外から見学する。

ゲートから船尾を見る。このゲートから貨物を積んで、津軽海峡を往来していたのだ。

いくつものロープでつながれる八甲田丸。ここまでしないと危ないのだろうか。

八甲田丸の案内。まぁ、いずれ内部を見る機会はあるかも知れない(クリックで拡大)。

ファンネル(煙突)には国鉄のロゴ。青函連絡船が廃止されたのは民営化後のことで、八甲田丸もJRの所属線として運行されていた時期があるはずだが、展示用に旧来の塗装に戻したのだろう。

船首。今にも出航しそう、と言えればいいが、その機能を失った桟橋はただ静まり返るのみで、賑わっていた頃の面影を探すことは難しい。

2年連続2箇所目(昨年はこちら)の、「津軽海峡冬景色」の歌碑。
ふと思ったのだが、愛する男に別れを告げて連絡船で帰る、ということは、主人公は北海道出身の女性ということになる。当たり前だが。
ただ、私が知る範囲の人々から考える限り、いざ帰り着いたら、さっさと切り替えてのんびりと暮らしてそうな気がするのだが、さすがにそれを言うのは野暮というものか。

傍らを見ると、連絡船のスクリューが置かれていた。
連絡船の時代と、その象徴は、船であれ歌であれ何であれ、「いま」とは切り離されて、時が過ぎ行く中に据え置かれている。
今年もよろしくお願いいたします。
>いざ帰り着いたら、さっさと切り替えてのんびりと暮らしてそうな気がするのだが
この一文を読んで新年あたりから連載されている北海道新聞の「札幌」に住む人たちの描写を思い出しました。
離婚率が高い道民、離婚話も双方家を巻き込むのではなく「当事者間での話し合い」で終了し、「事後報告」して「新たな生活に向かう」ことが多い、と。
それこそ当人同士にしかわからないことも多いでしょうが気質なんでしょうね~~~
と記事とは何ら関係のないコメントでした。
といっても、悪いことではなくて、妙なしがらみが少ない分、助かる面はありそうですが。
となると、ますます演歌な世界観とはズレてきますが(笑)
今年もよろしくお願いいたします。
青森駅ってこんなでしたっけ!?(笑)
考えてみれば、私は乗り換えの時しか青森駅を利用しないので、外から駅舎を見たことがないのでした(;^_^A
(小学校の修学旅行では下車しているけれど、駅舎の記憶は無い…)
>ファンネル(煙突)には国鉄のロゴ。
函館に保存されている摩周丸も、やはりJNRに直していますね。
それを見るたびに懐かしくて泣きそうです。(年がバレる。)
西口はほとんど何もなくて、ときどきネタにされています(笑)
青函連絡船は国鉄時代のイメージが強いので、やはりJRでは風情がそがれますよね。